3-2【古き地、ロントゥーサ】
不調のエスティラの命を受け、薬局へ薬を受け取りに行く途中のアデーレ。
屋敷を出た辺りから空には灰色の雲がかかり始めるも、雨が降る様子はない。
ロントゥーサ島の薬局は港町の中心部にある。
屋敷から向かうには坂を降り切らなければならず、それなりの距離を歩くことになる。
そのため使用人にとっては少々骨の折れる外出であり、歩き慣れているアデーレでも相応の重労働だ。
だが季節は冬。
どこか肌寒くも感じる空気を感じながら、アデーレは軽い足取りで坂を下っていた。
(自分の限界を超えた食事を摂るなんて、人間の欲はすごいね)
(ロックン、あまりそういうこと言わない)
ポケットの中のアンロックンが軽く震える。
まるでけらけらと笑っているような仕草からして、冗談のつもりで言ったのだろう。
第一それくらいのこと、神ならば知っていて当然だ。
人間では計り知れないほどの時間を生き、その中で多くの破滅した人物を見てきたはずだから。
それに比べれば、食べ過ぎで倒れたエスティラは可愛いものだ。
(それにしても、あの子も島の事を考えて行動するようになったんだ。僕もちょっと感心したよ)
これにはアデーレも「そうだね」とつぶやく。
半年前のあの出来事が、エスティラを大きく成長させた。
それを素直に歓迎できないのは、やはり悲劇を下地として変わっていったからだろうか。
魔女による干渉がなければ、もっと緩やかな日々が与えられたはずだ。
それでもきっと、エスティラは有力貴族の一員として立派にやっていけただろう。
少なくとも、アデーレにはそう思えてならなかった。
だからこそ現状を素直に喜ぶことが出来ず、今もなおエスティラのことが気になってしまうのだ。
(魔女って、一体何を考えてるんだろうね)
少し足取りが重くなるアデーレ。
視界の向こうに広がる水平線の上に、濃さを増した灰色の雲が浮かぶ。
(魔女の目的は昔から変わらないさ。自らが信仰する神に従って戦うのみだ)
(神……)
暗黒大陸にて信仰されるのは、アデーレ達が信じる西方主教の神々とは異なる存在である。
かつてアデーレがイェキュブと対峙した際も、そういった西方主教の神をイェキュブは異界の者と嫌悪していた。
アンロックンを通してアデーレと交流するヴェスタ。
彼女を始めとした神々は、こことは違う神の世界に存在しているのだ。
(魔女の信じる神っていうのは、この世界にいるの?)
こういったことをアンロックンに尋ねるのは初めてだった。
西方主教の神々からすれば、かつて大きな戦争において敵対関係にあった存在だ。
今後も魔女との戦いが続くのならば、そういった存在のことも知らなければならないだろう。
アデーレに尋ねられたアンロックンは、しばらく唸った後に言葉を続ける。
(そうだねぇ……うん。遺跡のこともあるし、その辺もアデーレには説明しないとね)
(遺跡? まさかこの島の遺跡って、暗黒大陸の神と関係あるの?)
(ちょっとね、うん)
珍しく歯切れの悪い様子のアンロックン。
言いにくいことがあるのは明白だが、アデーレは追及することなく次の言葉を待った。
(まずアデーレの考えている通り、僕らと敵対している神はこの世界の存在だ)
アンロックンのその言葉から、アデーレは申し訳なさそうな雰囲気を感じ取った。
だがすぐに、それが仕方のないことだと気付く。
当然だ。これを事実とするのならば、傍から見れば西方主教の神々がこちらの世界に侵略したものとしか見られないのだから。
しかし異形へと変化した暗黒大陸の魔女を見てしまうと、果たしてこの世界の神がまともな存在なのかという疑問も同時に浮かんでくる。
きっと侵略などといった単純な話ではない。
アデーレは直感でそう思った。
(この世界の神々は、この世界に生まれた生命を自らに近い存在へと変化させ、眷属に作り変えようとしているんだ)
(眷属……そうか、魔女がこの世界の神が言う眷属って訳だね)
(正解。それで細かい所は省略するけど、君達の中にそれを拒否する人々がいた。その言葉を聞き入れたのが僕らのところのジュビデイルさ)
ジュビデイル。
雷神と称される西方主教の主神であり、アデーレが持つ雷神の鍵の力の源でもある。
(そういった人々の考えの違いがやがて神々の戦いに発展して、この間の話にもあった【イオドの反乱】が起きたんだ)
昔に思いを馳せるように、アンロックンが深いため息をつく。
アデーレ達現代の人々の知識では、この辺りの事柄は神話として語り継がれている。
イオドの反乱についても、礼拝の時に司祭が語る伝承の一つだ。
(確か、神々の戦争で最も激しい戦いだったんだよね)
(そう。そしてその戦いはこの島でも行われたものだったんだ)
その話については、先日のダニエレ達との話題に挙がった内容だ。
反乱当時に存在していた建造物の遺跡がこの島にあり、その痕跡が残されている可能性があるという。
アデーレ達地元民からすれば、ただの崩れた建造物に過ぎなかった場所だ。
そこに何かしら歴史上の重要な記録が残されているなど、誰も考えたことがなかった。
しかし今、アンロックンの言葉を受けてアデーレの認識は変わった。
なぜならその反乱でアンロックン……竜神ヴェスタは直接戦っているのだから。
(あの遺跡は当時の戦いの主戦場跡でね。当時はあそこに地下都市があったんだ)
「ち、地下都市っ!?」
アンロックンの予想だにしない発言に、口から声が漏れてしまうアデーレ。
突然大声を上げた彼女に対し、周囲の人々が怪訝そうな視線を向けた。
「あ……申し訳ありません」
そんな彼らに平謝りをしつつ、アデーレは胸に手を当て呼吸を整える。
(驚いたでしょ? でも本当なんだよ。この島にはかつて地下に町があったんだ)
(いやいや、その時代ってそんな文明が進んでたの?)
(そうだよ。まあこの島にある地下水源を中心とした小さな町なんだけどね)
アンロックンの言葉を受け、アデーレは右横にある建物へと視線を向ける。
土レンガを積んだだけの簡素なその建物は、共同の小さな地下貯水池に繋がる階段がある。
雨が少なく川が存在しないロントゥーサ島において、地下水は重要な資源だ。
今でも地下にはこのような貯水池が点在しているし、バルダート別邸には専用の貯水池も設けられている。
地下水道で結ばれたこれらの貯水池は、まさに島の生命線だ。
それが数千年も前から続いており、しかも地下に町を造るほどというのはアデーレも想像していなかった。
当時を知るアンロックンだからこそ語ることのできる、古代の営みである。
しかし……。
(でもこの島にイオドに連なる神々や魔女たちが攻め込んだ時、地下都市は戦場となってしまった)
今の時代、古代人が築き上げた地下都市を知る者はいない。
つまり今の時代まで継承されることなく、それらは全て滅んでしまったということ。
イオドの反乱という大規模な戦いを乗り越えることが出来なかったのだ。
(僕たちは人々を避難させ、島全体で大規模な戦いを繰り広げた。その時に町は全て崩れ落ちたんだ)
(そっか。それじゃあ住んでた人達は助けられたんだ)
(うん。人命は決して譲れないことだからね。特にあの戦いでは)
人々の救いの声を聴いて世界を超えてきた以上、ヴェスタ達にとって人命は最優先だったのだろう。
今日までのアンロックンの言動を見ていても、違和感のない行動だ。
(そういうわけで、彼らがあの遺跡を調査しても地下への道が埋まってるだろうし、何も見つからないと思うんだよね)
(なるほど。でも本当に何もないの?)
当時のことを知らないアデーレにとって、そういった疑問を抱くのは自然なことだ。
アンロックンの言う通り入り口が塞がっていたとしても、そこに崩壊した都市があるのは間違いないのだ。
何より、アンロックンが口を閉ざしているのは、自身も疑念を抱いているからではないのか。
まるで降って湧いてきたかのように出てきた遺跡調査。
これまで誰もが見向きもしなかった廃墟に、人々の注目が集まっているのか。
(……本当、どうして今になって)
誰に話すわけでもなく、アンロックンがつぶやく。
アデーレはそれに言葉を返すことなく、自分が坂を降り切っていたことに気が付いたのだった。
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