2-4【すぐ傍にある未来】

「この国が、なくなる?」


 突然国家の行く末を聞かされ、アデーレは次の言葉をうまく紡ぎだせずにいた。


 この後身の上話が来るとアデーレは考えていた。

 しかし国際情勢――故郷が失われるという話を想定などできるはずもない。


 立場上、こういった公にしにくい話題も耳に入ってくるものではある。

 それでもやはり、この話は自分が聞いていいものなのかという疑問は湧いてきてしまう。


「聞いたことない? 最近大陸の小国同士で統一運動が盛んになってる噂。それがこの国にも波及するんじゃないかって話よ」

「そんなことが……申し訳ございません。初耳です」

「そう。やっぱりもっと情報伝達をどうにかしなきゃダメそうね、この島」


 呆れた表情を浮かべ、エスティラがため息をつく。

 そんな大きな噂が伝わってこないことを思うと、アデーレもエスティラの言葉にうなずくことしか出来なかった。


 とはいえアデーレも、前世の存在である良太も歴史に詳しいわけではない。

 こういった話題を聞かされると、素人考えでは戦争や革命などといった暴力的なものを意識してしまう。


 そんな不安が表情に出ていたのか、アデーレのことを見上げるエスティラが微かにほほ笑む。


「お父様は戦争にはならないようにするって言ってたわ。でも、ただ大国の一部になるのも有り得ないとも話してた」

「有り得ない、とは?」

「存在感よ。一つの共和国になろうとも、シシリューアを大国の代表足り得る存在にするんだって」


 この笑みは、アデーレではなくエスティラが語る父親を思ってのものなのだろう。

 なぜなら父の務めを話す彼女の姿は真っ直ぐで、誇らしく思っていることがアデーレにも伝わってくる。


『パパにもママにも、アルにだって失望してなんかいない』


 イェキュブに尊厳を踏みにじられても、エスティラは決して家族への思いを違えなかった。

 それだけ彼女にとって家族とは大切な物であり、尊敬する存在だ。


 そこでアデーレは、彼女がドゥランをパパと呼ばなくなったことに気付く。

 それもまた、大きな事件を経て彼女が精神的に成長したことを意味しているのだろう。


「ドゥラン様は、未来に向けてこの国を残そうと務めていらっしゃるのですね」


 その言葉に対し、うなずいて答えるエスティラ。


「すごいわよね。私なんて何が残せるかとか考えているのに、この国を残すために行動が出来るんだもの」

「今はそうだとしても、いずれお嬢様も先導する側に立つことになりますよ」

「アンタがそういう風に言うなんて……まぁ、ありがと」


 横目でアデーレを見つめるエスティラの耳が、わずかに赤らむ。

 アデーレが素直に褒めたことを珍しく思っているようだが。


(珍しがられるほど褒めていないつもりはないんだけどなぁ)


 それが不満だというわけではない。

 とりあえず表情には出さず、ほんの少しだけ目を逸らすアデーレ。

 冬の風が中庭を抜け、草木を揺らす。


 東屋を吹き抜けた風が二人の髪をかすかになびかせ、髪型が崩れるのを嫌がったのだろうエスティラが右手で髪を押さえる。

 キャップの中に髪をまとめているアデーレが微風を気にすることはない。

 しかしエスティラのような仕草が咄嗟に出ない辺り、やはり前世が男性であったことに影響を受けているのだろうか。


 だからだろうか。

 髪を押さえるエスティラの姿から、アデーレが目を離せなかったのは。


「ん、何よ?」


 突然こちらに振り向いたエスティラと目が合う。

 様子は至って普段通りだが、じっと見られていてはさすがに気になってしまうだろう。

 そもそも用もないのに主人を見つめるのも礼儀としてよろしくない。


「失礼しました。風が出てまいりましたので、お体が冷えていないかと」


 アデーレはすぐに視線を東屋の柱へと移し、謝罪のために頭を下げる。


「夜でもあるまいし、そんな訳ないでしょ。この島で凍えるほどの風が吹いたら異常よ異常」

「そ、そうですね」


 避寒地として人気のシシリューア共和国。

 ここ雪が降るのは本島内陸部の高山地帯くらいのものだ。


 とはいえ、避寒の為にロントゥーサ島へ来る外国人など皆無だ。

 本島やその近辺の島ならともかく、離島であるこの島を知る外国人自体少ない。


(観光客なんて生まれてこの方見たことも……ん?)


 そのとき、アデーレの脳内で先程の会話が思い起こされる。

 エスティラは父親の精力的な活動に心を打たれていた。

 そしてジェシカに対し、この島の料理について尋ねるようなことをしている。


 島のことを知ろうとしているエスティラ。

 この存在感の薄い、ロントゥーサ島という離島のことを。


「お嬢様は先ほど、ドゥラン様のお姿を見て思うことがあると仰ってましたが」

「ん? あー、そういえばそのこと話してなかったわね」


 話が途中だったことを思い出したのか、エスティラが改めてアデーレの方を見る。


「お父様を見て思ったのよ。私ってロントゥーサ島で一番偉いのに、島のこと何も知らないって」


 自分で自分を一番偉いと断言できる辺りには、アデーレも色々な意味で感心せざるを得ない。

 だが島に来たばかりのエスティラが島のことを知らないのは必然だ。


「というわけで、これからは島の代表として私が先頭に立とうと思い立ったのよ。どうよ、アデーレ?」

「どう、と申されましても。そういったお仕事はロベルトさんが受け持っているのでは」

「分かってるわよそんなことっ!」


 アデーレの一言に対し、エスティラが久しぶりに眉を吊り上げた。


 例え小さい島といえども、国の領地であるロントゥーサ島にも公務は存在する。

 現在未成年であるエスティラにそういった業務を執り行う能力はないため、執事であるロベルトが代理で務めているのが現状だ。


 エスティラの性格からして、そういった状況に不満を抱いていてもおかしくない。

 特に元首であるドゥランの影響を受けてのことだ。

 多感的な年頃に様々な経験をしてしまった今のエスティラは、居ても立ってもいられないという状態なのだろう。


 そういった感情に理解のないアデーレではない。


(お嬢様なりに真剣なのは分かる。けど)


 エスティラを見るアデーレが眉をひそめる。


 安易に彼女の後押しをしてしまえば、万が一のことがあった場合アデーレにも責任が及ぶだろう。

 しかしアデーレは、そういった厄介事が嫌なのではない。


 どれだけ楽観的に現状をかんがみても、エスティラが積極的に行動することはそれだけ命の危険に晒される可能性に繋がる。

 いつまでもアデーレが傍にいられれば守ることも出来るのだが、事実シシリューア本島での一件もある。

 彼女の周囲に本当の安寧が訪れるまで、この島で静かに過ごしてもらいたいというのがアデーレの本心なのだ。


 それが彼女に対する無理強いなのは百も承知のことではあるが。


「大体ロベルト一人に仕事を押し付けるのが大問題なのよっ。こういうときは主である私が動かないと!」

「それについては同意いたします。でしたらまずは副執事を用意してみてはいかがでしょうか?」


 大分ボルテージの上がってきたエスティラをなだめるように、横顔を伺いつつアデーレが提案する。

 身分の高い貴族や大きな屋敷の場合、執事が複数用意されることはごく一般的なことだ。


「それくらい分かってるわよっ。でも我が家の執事が務まるような人材がどれだけいるとおもってるのさ?」

「あ、ああ……はい」


 身分で言えばこの国最上位の名家であるバルダート家。当然仕えるハードルは極めて高い。

 エスティラの言葉に、アデーレは黙って身を引くことしか出来なかった。

 本来ならアデーレも使用人見習いとして雑務をこなす日々を送っていたはずなのだから。


 結局のところ、客人も少ないこの屋敷に多感的な年齢のエスティラを押し込めておくことが不可能なのだ。

 どのような状況であっても、彼女の向上心や好奇心を止める術などないのだから。


「失礼いたします」

「「うわあぁっ!?」」


 突然東屋に響く第三者の声を受け、油断していたアデーレとエスティラの悲鳴が重なる。


 二人が慌てて声の方を振り返ると、そこには困った表情を浮かべる一人の使用人がいた。


「め、メリナさんっ?」

「ちょっと驚かさないでよ!」


 アデーレと同じ装飾の施された使用人服を身にまとう使用人。

 先輩にして友人であるメリナ・バラッツィが、東屋の外に立ちアデーレ達を見ていた。


「申し訳ございません。ですがお嬢様にご挨拶をしたいという方がいらしてまして」

「挨拶ぅ? ったく、こんな時間に誰よ一体っ」


 確かに昼食前に貴族へ会いに来るというのは、少々礼儀がなっていない。

 エスティラが不満をあらわにするのも当然だ。


 だが念のために来客のことを聞く辺り、エスティラが客を追い返す意思は薄いと見える。


 メリナもそれを察知してか、両手を腰の辺りで重ね、姿勢を正してエスティラと向き合う。


「はい。ダニエレ・アルターノ=リッツィ様という、シシリューア大学の考古学者を名乗る方です」


 一瞬の沈黙。


「「考古、学者?」」


 そして再び、アデーレとエスティラの声が重なった。

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