2-3【エスティラの心変わり】

「お、お嬢様っ」

「あらアデーレ。よく私がここにいるって分かったわね」


 分かったわけじゃない。完全なる偶然だ。

 だがそんな事よりも、なぜここにエスティラがいるのかという疑問でアデーレの頭はいっぱいだった。


 厨房を含めたこの辺りは、いわゆる屋敷における裏方だ。

 家主やその家族は屋敷の表側のみで生活し、全ての使用人は裏側を行き来して彼らの生活を支える。

 なので本来この場所に家の主がいることなど有り得ない。

 万が一用があった場合も、お付きの使用人であるアデーレが仲介するのが常だ。


 そうなると、困った様子で使用人たちが仕事の手を止めてしまっている理由も分かる。

 きっとジェシカも対応に困った結果、アデーレをここに呼びたかったのだろう。


「それよりも、なぜお嬢様がキッチンに? 言伝でしたら私に申しつけてくだされば」

「別にいいじゃない。実際の仕事場を見てみたって」


 よくはない。働く側からすればエスティラの目があっては委縮してしまう。


「それに私、気まぐれでここに来たわけじゃないわよ。ちゃんとした用があるんだから」

「ですから、そういう場合は私にお伝えしていただければ」

「ダメっ。これは私にとって大事なことなんだから!」


 声を荒げるも怒るわけでもなく、なぜか胸を張って誇らしげな様子のエスティラ。

 いつもとは違うその様子に、その場にいる使用人たちも困惑した様子を見せる。


 このままでは色々とまずい。

 身を正し気を取り直したアデーレが、やや早歩きでエスティラの傍に寄る。


「お嬢様にお考えがあることは分かりました。ですがこのままですと昼食の用意が進みませんよ」

「どうしてよ? 私のことは気にせず仕事を進めて――」


 そこまで口にしたところで、エスティラが周囲の様子を見渡す。


 彼女の視界には、きっと困った顔を浮かべた使用人たちの姿が映ったことだろう。

 四六時中傍に仕えるアデーレとは違い、ここにいるジェシカ以外の使用人にはエスティラに会ったことすらない者もいる。

 そういった使用人からしたら、主が傍にいることは恐怖にもつながりかねない。


「あぁー……うん、そうね。一度席を外しましょうか」


 珍しく苦笑を浮かべ、ドアの方へと向かうエスティラ。

 アデーレも慌ててその後に続き、他の使用人たちに向け頭を下げながらキッチンを後にする。

 エスティラに続いて廊下へと出た後、ジェシカがアデーレの後ろに立ちキッチンのドアを閉めた。


「悪かったわね、ジェシカ。突然乗り込んでいって」

「それは構いませんよ。それで、厨房にはどのような御用で?」


 目上の人物に対する表面上の敬意を見せつつ、ジェシカがエスティラを見る。


「ええ。あなた達にこの島の郷土料理を作ってもらおうと思ってね」

「郷土料理? それはまた変わったものをご所望しょもうで」


 突然の要求を受け、ジェシカだけでなくアデーレも目を丸くする。

 そういった反応は織り込み済みだったのか、エスティラは彼女らの反応について小言を挟む様子はない。


 ロントゥーサ島の郷土料理。

 このような辺境において、そういったものは必然的に庶民的な家庭料理を指すことになる。

 そういったものを貴族の食卓に出すはずもないし、相応しい物とは決して言えない。

 当然ながら、ジェシカがそういった料理を提供したことなど一度もないのだ。


 そのせいだろうか。

 エスティラの要求を受けたジェシカは左手を腰に当て、右手を顎に当てながら考え込む姿勢を見せる。


「お嬢様が言うなら用意はできますけど、そんな華やかな物じゃありませんよ。なぁ、アデーレ」


 ジェシカの言葉にうなずいて返すアデーレ。

 地元民であるアデーレは、ロントゥーサ島で一般的な料理がどれほど地味な物かはよく知っている。


 食卓に上がるのは肉より魚が多く、特にイワシがメインになることが多い。


 またトマトの産地なだけあり、あらゆる食材を使ったトマトの煮込みも一般的だ。

 他にはイチジクのサラダやナスとチーズのオーブン焼きなど、例を挙げても地元食材を使った家庭料理ばかりである。


 だが屋敷の主の指示ならば、よほどのことがない限り従うほかない。

 アデーレが恐る恐るエスティラの様子を伺う。


「そんなことは気にしなくていいわよ。私も少しはこの島の生活を知っておきたいと思っただけだから」


 自分達の態度に機嫌を損ねていないか。

 アデーレの懸念とは裏腹に、エスティラは至って冷静に二人のことを見ていた。


「そういうことでしたら是非協力したいところですが、随分と突然じゃないですか。何か思うところでもおありで?」

「思うところ……そうね。きっかけはあったわ」


 ここまでジェシカの言葉に気分を害すことなく答えているエスティラ。


 普段とは違うその雰囲気を前に、アデーレはエスティラから目を話すことが出来ずにいた。

 それはジェシカも同様なのだろう。顔を合わせるエスティラのことをじっと見つめている。


「……分かりました。でもここで話すようなことではないでしょう。まずは休憩時間まで待ってもらって構いませんかね?」

「ええ。昼食のこともあるだろうし、後でまた話しましょう」

「かしこまりました。では、私は仕事に戻りますよ」


 エスティラに一礼し、ジェシカは一人厨房へと戻る。

 その姿を見送ったエスティラは、傍にいたアデーレの方を見て彼女の服の裾を引く。


「ほら、行くわよ。今日は外も出られなくて暇なんだから、少しは相手しなさいよ」

「は、はぁ」


 外出不可に対する不満を漏らすエスティラ。

 しかしアデーレには、先程の様子が暇だった故の気まぐれとは思えなかった。


 ヴェスティリアとしてエスティラと接したことで、彼女が物事を深く考えていることは知っている。

 それがきっかけで、アデーレ自身も彼女のことを特別意識する事が多くなった。

 そういった思いがあるからだろうか。


「でしたら、少しお庭でも散歩しませんか?」


 外出を禁じられていても、屋敷の敷地内に出るくらいならば問題ない。

 アデーレは珍しく、自らエスティラと二人だけの時間を作ることにした。




 巨大なサイクロプスに踏み荒らされた中庭も、現在は元の美しい風景を取り戻していた。

 ただどの花も開花は先の話。今は緑一色の木々や生垣があるだけだ。


 しばらく庭園を歩いた後、アデーレとエスティラは東屋の下にいた。

 中央にはアデーレの用意した白い金属製のテーブルと椅子があり、エスティラは一人そこに座って風景を眺めている。


「どうにも私って、魔女に命を狙われる運命にあるみたいなのよね」


 何気なく口を開くエスティラの表情は、どこか遠くを見ているように見えた。


「バルダート家が特別な家柄なのは承知の上よ。でもちょっと色々ありすぎだと思わない?」

「それは……はい」


 これについてはアデーレも同意せざるを得ない。

 シシリューア共和国元首の長女という立場から、エスティラの周囲には陰謀が付きまとっている。


 以前の事件も、王政復古を狙う王党派の者達が彼女を利用しようとしたことがきっかけだった。

 それによって育ての親ともいえるアメリアを喪い、多くの人命を危険に晒してしまったエスティラ。


 事件発覚の前後で、彼女の様子は明らかに変わってしまった。

 表に出すことはないが、ごく稀に憂いのようなものを感じさせることがある。

 それが事件の影響によるものは明らかで、そのことをアデーレは気掛かりに思っていた。


 しかし今のエスティラは、その言葉の端々に前向きな口ぶりを感じさせていた。


「だから思うのよ。私って案外、すぐ死んじゃうのかもって」

「ッ。お嬢様、そんなことを口にしたらっ」

「分かってるわよ、軽々しく言ったわけないじゃない。というか死にたくないし」


 珍しく声を荒げそうになったアデーレに対し、なだめるような口調のエスティラ。


「例えばの話よ。万が一私が命を落としたとして、その先に何か残せたりするのかしらね?」

「それは……それまでの行いによる、としか」


 冷静さを繕うも、アデーレはわずかに視線を下に逸らしてしまう。

 だがそんな返答も想定済みだったのだろう。エスティラは小さくため息をついた後、椅子に深く腰掛けた。


「分かってるじゃない。それで私、お父様を見ていて思ったのよ」

「ドゥラン様を、ですか?」

「ええ。アデーレは今お父様が何をやってるか知ってる?」


 エスティラの問いに対し、アデーレは否定の言葉を返し首を横に振る。


 ロントゥーサ島に暮らすアデーレにとって、シシリューア本島の出来事は遠い異国のことに等しい。

 情報自体伝わるのも遅く、内政事情など知る由もないのだ。


 しばらく本島へ戻っていたエスティラが、そこで何を見たのか。

 アデーレは彼女の表情を伺いつつ、次の言葉を待った。


 だが、その言葉が想像を超えた内容だったことに、アデーレは驚きを隠すことが出来なかった。


「この国が近いうちに大国の一部になるって、お父様が話してくれたのよ」

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