第二幕【新たなる敵】

2-1【不安】

 一体どこから噂が漏れたのか。

 ロントゥーサ島に現れた新たな戦士、ベルシビュラ。

 その謎の戦士の話題は、その日のうちに島民達の間で広まっていた。


 島外の情報は遅いが島内での情報が伝わるのは一瞬だ。

 その存在を知らぬ者は、もう島のどこにもいなかった。


「参ったね、本当に」

「うん」


 その日の夜。

 誰もいない屋根の上で、アデーレはアンロックンとベルシビュラのことを思い出していた。

 同じように魔女を敵視するが、同時にヴェスティリアとも敵対する謎の戦士。

 自分と同じく鍵を用いて特殊能力を発揮することからも、魔女のような敵とは明らかに異質の存在だ。


 そう、自分と同じ能力をベルシビュラは有しているのだ。

 そのことが意味するのは、ヴェスタと同じく西方主教の神々から力を与えられていることに他ならない。


 これは一体どういうことだろうか。

 西方主教が多神教であることは常識であり、アンロックン……ヴェスタもそれを認めている。


「多分あの腕輪、ロックンと同じ依り代だよね」

「ああ、間違いないね」

「なら同じ神様でしょ? 正体分かるんじゃないの?」


 右手に持ったアンロックンと鼻を突き合わせるアデーレ。

 アデーレにとって、ベルシビュラの存在は大きな懸念であった。


「その神様から力をもらった人と、私は戦わなきゃならないんだよね?」


 そう話すアデーレの手は、ほんの少しだけ震えていた。

 彼女の不安が、アンロックンに対し情報を急かすような言動を口走らせる。


 今日この日まで戦ってきた相手は、異形の魔獣や人としての形を捨て去った魔女たちだ。

 初めてアデーレがヴェスティリアとなったときも、彼女は少年を守るためにその力を振るった。

 その際に魔獣の命を奪ったが、その頃の彼女には例え魔獣であっても殺害という行為に対して抵抗があった。

 それを乗り越えたのは、人々を守れないという責任を強く意識してきたからだ。


 しかしベルシビュラは違う。

 自分と同じならば、あの狼の戦士は人間なのだ。

 そして互いは敵対し、いつかはその力をぶつけ合うことになるだろう。


 それが意味するのは人間同士の殺し合いに他ならない。


「……やだな。そういうのは」


 敵対する相手が人間と気付いてしまい、アデーレは恐れていた。

 アンロックンを握る手は震え、それに対して力がない。


 それは仕方ないことだ。

 彼女は半年前まで戦闘は無縁の人であり、今は戦士であって軍人ではない。

 人間の命を奪う責務を担ったつもりはない。その覚悟がないのだ。


「戦いを避ける方法、あると思う?」

「それは僕にも分からないよ。正体も目的も分からないからね」

「だよね」


 深いため息をつき、アンロックンを屋根の上に置くアデーレ。

 今日は新月。見上げる空に月はなく、いつもより星が明るく輝いている。


 瞬く星。変わらず輝く星。

 どこか遠く見える冬の空が。優しく吹く寒風が。

 戦士としての使命を帯びたアデーレを慰めるように包み込んでいく。


(せめてベルシビュラの事を少しでも知らないと)


 どのような未来が待ち受けているにせよ、相手を知らなければ行動に移すことは出来ない。

 夜空を見上げるアデーレの瞳に宿る光は星の灯りによるものだろうか。

 そんな不安と決意の間に立つ彼女に、もう一つの疑問が浮かび上がる。


「そういえば、お嬢様はどうしてベルシビュラの名前を……」

「ああ、確かに。彼女はベルシビュラを知っているようだったね」


 あの場で名乗る前から、エスティラはベルシビュラの名を知っていた。

 それがどういうことかといえば、結局のところ彼女が以前にベルシビュラと対面していた以外に有り得ないわけなのだが。


「詳しいことはお嬢様に聞かないと分からないだろうけど、ある程度の推測はできるよね」

「推測……確かに」


 顎に右手を当て、アデーレは思案の姿勢を見せる。


 アンロックンの言う通り、エスティラとベルシビュラが遭遇する場面については思い当たる情報がある。

 それはシシリューア本島にて彼女が魔獣に襲われた事件だ。


「イェキュブの苛立ち具合からしてもベルシビュラは彼女の近くにいて、魔獣を倒してしまったんだ」


 「理由は分からないけど」と、アンロックンが最後に付け加える。


 ヴェスティリアの守護のない場所で魔獣に襲われても無傷でいられたこと。

 そして魔獣を嗾けたであろうイェキュブがベルシビュラに対し怒りを露わにしたこと。

 これらを加味すれば、本島での魔獣事件を収めたのはベルシビュラだったと考えるのが自然だろう。


 ベルシビュラがエスティラに危害を加えるつもりがないことも、それを裏付けるものになる。


「ベルシビュラがこの島に来たのも、お嬢様を追ってきたというのが一番納得できるね」

「うん……」


 アンロックンの推測は的を射ているし、アデーレもほぼ同意見だ。


 しかし、これが意味するもう一つの事実があるために、アデーレはどうしてもその可能性を受け止めきれずにいた。


(この島まで追いかけて来たってことは、事前にお嬢様の行動を知っていないとダメだから)


 場合にもよるが、大貴族の令嬢が早々今後の予定を公にするはずがない。

 つまりエスティラがこの島に戻ることを知るには、それなりに身近な人物でなければ知ることが出来ない。


 それが可能なのは屋敷の関係者……特に彼女と共にこの島に戻る付き人となる。

 そうなると必然的に、ベルシビュラはバルダート家関係者としてこの屋敷に潜り込んでいることになるのだ。


 家政婦のアメリアを殺し、彼女に成り代わる形でバルダート家に潜伏したイェキュブ。

 半年前のあの状況が、再びアデーレの身の回りで起きようとしているのか。


「さて、私はもう寝るよ」


 不安を振り払うように、アンロックンを手にして立ち上がるアデーレ。

 その後アンロックンの返事を待つことなく屋根から飛び降り、錠前の力で軟着陸する。


「アデーレ……」


 彼女の行動を見ていたアンロックン。

 その声にいつもの調子のよさは感じられず、どこか沈んだ様子だった。

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