1-4【その名は『ベルシビュラ』】

「ヴェスティリア!!」


 瓦礫の上に二つの人影。

 一つは先ほど自室から姿を消したエスティラ。

 そして……。


「まさか再び出会うことになるとはね」


 アンロックンが重苦しい声でつぶやく。


 エスティラの腹部を抱えるその人物。

 黒いフード付きのローブに身を包み、骨を接いで作った杖を空いた手に持つ魔女。

 ローブの下の体は細長い虫によって覆われ、その容姿を確認することはできない。


 見間違えるわけがない。

 あの異形こそ半年前にヴェスティリアが倒した魔女イェキュブである。

 間違いなくあの時倒した相手だった。


 だが魔女はそこに立っている。

 かつてと変わらぬ異形の姿で。

 耳障りな声で笑いながら。


「お嬢様を離しなさい。イェキュブ」


 フラムディウスの切っ先を向け、ヴェスティリアはイェキュブを睨む。

 だが彼女の警告をイェキュブは笑い飛ばし、逆にエスティラをその切っ先に向けてきた。


「動くんじゃないよ! 少しでも動いたらお嬢様が死ぬよっ」


 怒りを顔に滲ませたエスティラがヴェスティリアの目に入る。


(これは……どういうこと?)


 目の前の状況に対しヴェスティリアは眉をひそめる。


 半年前に戦ったイェキュブは、エスティラの体を無傷で手に入れるつもりでいたはずだ。

 だが今目の前で起きている状況はその目的にそぐわない。

 まるでエスティラをただの人質としか見ていない。そういった違和感があった。


(何かおかしい)


 疑問に対する答えは見いだせないが、イェキュブに隙を見せてはならない。


 ヴェスティリアは切っ先を向けたまま微動だにしない。

 その姿をイェキュブは手も足も出ないと判断したのか、高らかに笑う。


「はっ。所詮はヴェスタの巫女も甘ちゃんさぁ!」


 イェキュブが杖を掲げる。

 その先端に漆黒の力が集まり、自らの周囲に大量の氷の刃を作り出した。

 全ての切っ先はヴェスティリアに向けられている。


「そのまま何もできずに死んでしまいなぁッ!!」


 既にヴェスティリアが防御の体制に入っていることを知らず、勝ち誇った様子のイェキュブが彼女に向けて杖の先を向ける。

 空中に固定された氷の刃たちは震え、狙いを定めた方向へ飛び出し……。



「――死ぬのはアンタだよ」



 【それ】は、何の前触れもなく現れた。


 純銀の輝きを見せるガントレットがイェキュブの頭を鷲掴み、その体を地に押し付ける。


「ぐぎゃっ!?」

「きゃっ!」


 伏せられたイェキュブと拘束から解放されたエスティラが悲鳴を上げる。

 魔力が解かれたことにより氷刃は消失。エスティラの体はバランスを失い、瓦礫の山から落ちそうになる。


「危ないっ!」


 転げ落ちそうになったエスティラに向けて、ヴェスティリアがフラムディウスを地面に突き立てた後に跳躍。

 頭から落ちかけた彼女の体を抱え、そのままイェキュブと距離を取った場所に着地する。


「あ、ありがとう……っ、それより!」


 抱えられたままのエスティラと共に、ヴェスティリアがイェキュブの方を見る。

 その動きに合わせるように、地面から浮かび上がったフラムディウスが彼女の手元へと移動した。


「性懲りもなくまた現れた。本当めんどくさいね」

「き、貴様ァ……」


 身動きの取れないイェキュブを見下す少年の声。


 そこにいたのは、イェキュブの頭を踏みつける銀色の仮面を付けた戦士だった。

 仮面は牙を剥く狼の顔をかたどったもの。

 身に纏うのは暗い青色を基調としたインナーに、純銀を思わせる美しさを持つ銀色の軽鎧。

 左肩には白色の肩章がかかっており、そこからマフラーを思わせる紺色の細いマントが延びる。

 マントと共になびく長い髪は透明感のある白色。頭頂部はまるで狼の両耳を思わせるようなはね方をしている。


 そして、右手に持つ切っ先が二股になった長槍バイデント

 青と黒の装飾が施された、槍としては長めの刃が輝く。

 刃を支える柄は、まるで氷のような透明感のある素材で作られていた。


「ベルシビュラ……」


 腕の中のエスティラがつぶやく。

 それがイェキュブを捕らえている戦士の名前だろうか。

 なぜその名前をエスティラが知っているのか。


「さぁ、終わらせよう」


 まるで少年の声に促されるように、狼の戦士が掲げた槍を半回転させ切っ先をイェキュブの体に向ける。


「ま、待てっ! 待ってくれっ!!」

「命乞いは聞かない」


 仮面によって感情を隠したその姿に、ヴェスティリアはわずかな恐怖を覚える。

 一切の情けなく、冷たく鋭い仮面だけがイェキュブを睨む。

 まるで確実に獲物を仕留める肉食獣の無常さを表しているかのようだ。


「君の信じる神に縋るといいよ」


 強く目を閉じたエスティラが、耳をふさいで顔をそむける。


 彼女の様子を合図にしたかのように、二股の刃がイェキュブの胴体を貫く。

 更に槍に捻りを加え、傷口を大きくえぐるように刃を動かす。

 壮絶な痛みは想像に容易い。イェキュブは声にならない悲鳴を上げ、もがき苦しむ。

 しかし……。


「ヒィ!!」


 暴れるイェキュブの手足が徐々にその動きを鈍らせていく。

 その直後、大きく手足が跳ね上がったかと思うと、突如末端から白い氷によって覆われていく。

 氷はとてつもない速さでイェキュブの体に迫り、やがて肉体のほぼ全てが氷によって浸食される。


「さ、寒ぃ……こんな……」


 残された頭部が、か細い声を漏らす。

 だがそれもすぐに消え、異形の魔女の全身が完全な氷漬けとなった。


 勝負は決した。イェキュブが息絶えたのは誰の目からしても明らかだ。

 だが狼の戦士は槍の切っ先を持ち上げ、氷漬けの魔女をまるでヴェスティリアに見せるように掲げる。

 一体何のつもりかとヴェスティリアが戦士を睨むが……。


 ――戦士は槍を振り下ろし、氷漬けの魔女を瓦礫に叩きつけた。


 氷は肉体ごと粉砕され、周囲にはかつてイェキュブだったものの破片が四散する。

 これを見て、それがかつて人型をしていたと思う者はどれくらいいるだろうか。


「これは、なかなか……」


 イェキュブの壮絶な死を前にし、アンロックンも言葉を失う。

 ヴェスティリアも、戦士の持つ無慈悲な力に思わず息を呑んだ。

 だが、同時に彼女の脳裏に緊張が走る。

 魔女と対峙した時のそれよりも、更に強烈な危機感が体をこわばらせる。


 瓦礫の山に立つ狼の戦士は、今もなお敵意をむき出しにしている。

 ヴェスティリアの戦士としての本能が、それを見抜いていた。


「お嬢様」


 抱いていたエスティラを地面に下ろし、自分の後ろに立たせる。

 エスティラは素直に従い、ヴェスティリアの背後から狼の戦士を見つめる。


「彼女をかばう必要はない。お嬢様を傷つける意思は僕たちにはないから」


 石突を瓦礫に置き、狼の戦士がヴェスティリアたちを見下ろす。

 仮面に隠された素顔は分からず、先ほどから喋っているのは戦士ではないようだ。


 あのような仮面を被って喋れば声は確実に篭るはずだ。

 だが少年の声は明瞭であり、口を覆った人物の声とは明らかに異なる。


 そこでヴェスティリアは気付く。

 今喋っているのは、アンロックンのような依り代なのではないかと。


「でもね、君については話が違う。ヴェスティリア」


 ヴェスティリアが耳を澄ますと、その声が槍を持つ戦士の手首から発せられていることに気付く。

 戦士の手首には、何か大きめの意匠が付いた腕輪が身に付けられていた。

 それは一際目立つ、握り拳ほどはあろうかという狼の顔。

 その口が喋るたびに動いているようだ。


「それは魔女と敵対している訳ではないと取ってもいいの?」


 冷静さを装い、ヴェスティリアが尋ねる。

 しかし彼女の言葉に対し、狼の戦士は反応を見せない。


「いいや。でも魔女の敵だからと言って、君の味方とは限らないだろう?」

「そうだね。ずっと私に敵意を向けている。分かるよ」


 その一言に、驚きの声を上げるエスティラ。


 敵意では生ぬるい。殺意にも似た鋭い気配をヴェスティリアはずっと受けていた。


 紅蓮の剣士と、青き戦士。

 二人の間には文字通り一触即発の空気が流れていた。

 フラムディウスを握る手に一層力が入る。


「理解できているならいいよ。でも安心して、今は君達と争うつもりはない」


 それを証明するかのように、戦士が槍を下ろす。


「だがいずれ決着は付けるよ。果たしてどちらが守護者としてふさわしいか」

「守護者……」

「そうさ」


 腕輪がそこまで話すと、狼の戦士はヴェスティリアたちに背を向ける。

 直後、戦士の左手が青く輝き、その手にヴェスティリアが扱うような鍵が出現する。

 どのような形かは判別できないが、戦士はその鍵を狼の腕輪の開かれた口元へ平行になるようかざす。

 すると腕輪の狼が鍵に噛みつき、戦士はそれを鍵穴代わりと言わんばかりに左へと回す。

 鍵が持つ力が解放されると、戦士の周囲に出現した大量の水が水塊となって浮き上がる。


 浮き上がった水塊は、即座に馬の形へと変化した。


「ベルシビュラ。その名を君らも覚えておいてよ」


 狼の戦士……ベルシビュラが水の馬に跨る。

 すると、馬の背中部分が氷に覆われ、くらのような形状に変化した。

 更に馬の口から延びた細い水が手綱のように変化し、ベルシビュラがそれを握る。


 馬の脇腹をベルシビュラが軽く蹴る。

 それを合図に水馬はいななき、空中に向けて駆け出す。


 ベルシビュラは終始こちらに視線を向けることなく、最後は突如出現した大量の霧の中へと消えていった。


「……ベルシビュラ」


 アンロックンがつぶやく。

 全ての霧が風に流されると、そこに戦士の姿はなかった。

 瓦礫の山に残されたヴェスティリアとエスティラは、ベルシビュラの消えた先をただ見つめていた。

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