1-3【再会】

 アデーレにとって、それは到底信じられる話ではなかった。


 魔獣を使役する魔女は、共和制を打倒し王政復古を狙う王党派と手を組み、国の主要貴族であるバルダート家の者を狙った。

 だがその野望は潰え、今や王党派の悪行は白日の下に晒されている。

 このような状況下で、どこにエスティラが狙われる理由があったのか。


 何よりロントゥーサ島以外での魔獣出現という、アデーレが最も恐れていた事態が起きてしまった。

 それを知らされた彼女は、表面上は冷静さを装うも日々の仕事をまともにこなすことが出来ないほど狼狽していた。




「で、なんで私が死んだとか、そんな話になってんのよ?」


 ……というのはつい先日までの話。

 今アデーレの前でソファに座り、ロングスカートであることを気にせず脚を組んでティーカップを持つ不機嫌そうな少女。

 彼女こそが屋敷の主であるバルダート家長女、エスティラである。


 結局噂は噂に過ぎないということか、エスティラは予定通りの日にロントゥーサ島へ帰ってきた。

 それまでの間に噂に尾が付きヒレが付き、いつしかエスティラ死亡という根も葉もない妄言が市井の間で持ちきりとなっていたのだ。

 これも情報伝達に時間が掛かる離島の宿命というものか。

 正しい情報が入る前に、人の想像が次々と噂話を彩ってしまうのだ。


 結果、無事エスティラが帰島した際の島民たちの反応は噂への疑いを抱いていた者達からの歓迎が半分。

 もう半分は、噂を信じてしまった人々からの驚きと警戒だった。

 何せ以前島を襲撃した魔女が、殺害した者の皮を被って屋敷の関係者に成り済ましていたことは周知の事実である。

 魔獣の出現が相次ぐロントゥーサ島では、誤った噂の反動もあって過剰に警戒する者も少なくなかった。


「というか心配いらないって手紙を屋敷に送ったはずなんだけど? どうなってんのさ、アデーレ」

「あ、ああ。あの時は時化しけの影響で船が出せず、到着が今日になってしまったようで」


 そんなこと自分に言われてもと思いながら、アデーレは弁明しつつ目を逸らす。

 こういった細かい仕草に対し、エスティラは極めて目ざとく反応するのだが。


「今日ッ!? あぁもお、これだから離島は……」


 だが幸いにも、今回は自分が死人扱いされていたことに対する怒りが勝っているようだ。

 アデーレの従者らしからぬ態度も見逃され、エスティラは唇を尖らせながらティーカップを口に寄せる。


 自室であらゆる感情をアデーレに向けながら、プライベートの時間を過ごすエスティラ。

 半年ぶりに戻ってきたこの日常に、アデーレは苦労と同時に安心感を覚えていた。

 何より魔獣に襲われたのに無傷でいてくれたことは、彼女にとって喜ばしいことだ。


「アンタ、ちょっと紅茶の淹れ方下手になってるわよ」

「え……?」

「私がいない間に腕が鈍ったみたいね。全く嘆かわしい」


 そう言いつつも、数度紅茶を口に含んだ後ティーカップをテーブルに戻す。

 新人でありながらも前世……良太の記憶を持つアデーレ。

 世話になった祖父母の為にお茶を用意することが多かった良太だったが、この時の経験が意外にもエスティラ好みのお茶の淹れ方に繋がっていた。


 だが半年のブランクを見抜く辺りは、さすが良家のお嬢様といったところか。


「それじゃあ私は少し休むわ。後のことはよろしく」


 そう言ってソファから立ち上がったエスティラは、ベッドの前まで進むと着飾ったドレスのまま横たわる。

 ロントゥーサ島とシシリューア島は船で半日をわずかに過ぎるくらいの距離がある。

 顔には見せないが、長旅の疲れは確実に彼女の体に蓄積しているようだ。

 アデーレとしては聞きたいことがたくさんあるのだが、主に無理をさせるのは使用人としてあるまじき行為。


「かしこまりました」


 エスティラのだらしない姿へ一礼した後、アデーレはテーブルに置かれたティーセットをティーワゴンへと移す。

 一通りの片付けを終えた後、ティーワゴンを押して部屋のドアへと向かい再びエスティラに一礼。

 その後静かにドアを開けて部屋から廊下へと出る。

 音を出さぬようドアを閉めた後、アデーレは小さくため息を漏らした。


 また使用人としての日々が始まる。

 それは当然気苦労も多いし、人に仕えるという感覚に乏しい彼女にとってこれが向いていない仕事であることに変わりない。


 しかし男性である前世の心がそう抱いているのか。

 傍から見て面倒くさい性格をしているエスティラに、アデーレはほんの少しだけ惹かれるような感覚を抱いていた。

 だから苦労は感じても、嫌悪は覚えていなかった。


 何よりヴェスティリアとして接したときに見せてくれた、エスティラの本心。

 それを知ってしまった今、アデーレがエスティラを放っておくことなどできなかった。


「さて、と」


 再び始まった日々に思いを馳せ、アデーレは再び歩き始める……。

 その時、ふと目に留まった窓のガラスが不自然に揺れたように見えた。


 直後、爆音と同時に屋敷全体が激しく揺れる。


 屋敷のあちらこちらから悲鳴や驚きの声が響く。

 アデーレは転ばぬよう壁に手を付き、空いた手は自然とアンロックンが収まるポケットへと伸びる。


「きゃあっ!!」


 先ほど後にした部屋から悲鳴が聞こえ、すぐさまアデーレはノックもせずにドアを開く。

 だが、先ほどまでベッドにいたはずのエスティラの姿はない。

 窓の外からは港町の外れで暴れる、巨大な魔獣の姿が確認できた。

 外見は二本の腕がヘビで構成された、頭部のない異形の巨人といったところか。


「しまった!」


 壁や天井に破損はないが、エスティラの姿が見当たらない。

 アデーレは魔術的なもので彼女が魔女に拉致されたことを悟り、急いで窓辺へと駆け寄る。

 乱暴に窓を開くと、躊躇なくスカートの裾を上げて脚を窓枠にかけた。


「ロックンッ」

「ああっ」


 事態を把握したアンロックンがポケットから飛び出し、アデーレの左手へと収まる。

 直後、アデーレの右手に竜の飾りをあしらった鍵が現れた。


 右手の鍵を確認したアデーレは、窓から飛び出すと同時に鍵をアンロックンの鍵穴に差し込み右に回す。

 錠前が解除されるのと同時に、アデーレの体はアンロックンを起点に吹き上がる聖火によって包まれる。

 聖火はすぐに可視化された火竜の力である赤いオーラへと変化し、彼女の姿をヴェスティリアへと変身させた。




 町の外れにある建物を荒らして回る、体長十メートルほどはあろうかという異形の巨人。

 踏み潰そうとした二階建て民家の屋根に、屋敷から跳躍で移動してきたヴェスティリアが現れる。

 彼女目掛けて下ろされる巨大な足裏。

 そこに目掛けて、左手に持ったフラムディウスを両手で構え大きく振るう。

 強烈な剣風によって巨人の体が浮き上がり、バランスを失った巨体は後方の空地へと倒れ込んだ。


 ヴェスティリアはその隙を見逃さない。


「ロックン、一気に決めるよ!」

「任せてっ」


 これ以上巨大な魔獣を暴れさせれば町の被害が広がる一方だ。

 ヴェスティリアは一撃で決着を付けんと、フラムディウスを上段に構えて力を籠めた。

 彼女の体から湧き上がる聖火の力が剣へと宿り、それが赤いオーラによって形成された数メートルの刃を形作る。

 発せられる熱によって空気が揺らぎ、ヴェスティリアの視界に広がる風景が少しずつ歪む。


 それを合図にヴェスティリアは跳躍し、巨人との距離を一気に詰める。

 跳躍の勢いとフラムディウスの重量、そして自らの持つ力を込め、彼女は倒れる巨人に向けて刃を振り下ろす。

 更に延長された赤い刃が巨人の体を縦に一閃。

 聖火の力によって両断された巨人の断面は、その熱によって完全に焼かれていた。


 両断した巨人を飛び越え、本来頭のあるであろう場所に着地するヴェスティリア。

 赤い刃はまだ衰えておらず、彼女は振り向きざまにフラムディウスを振りかぶり、さらなる一撃を巨人に与える。

 振り抜かれた剣は強大な力を生み出し、既に活動を停止した巨人の体に襲い掛かる。

 圧倒的な力に巨人の亡骸は成す術もなく飲まれ、抵抗なく灰となって消えていった。


「図体ばかりで大した相手じゃなかったね」


 ヴェスティリアが構えを解くと、フラムディウスに変形したアンロックンが軽口を叩く。

 一応聖火を守る女神なのだが、こういう時には大体フランクなのがこの神様だ。

 そんなアンロックンに呆れつつも、ヴェスティリアは鋭い目線で周囲を警戒する。


 巨人を倒したのは町のためでもあるが、本来の目的は別にある。


「ヒヒ……やってくれるじゃないか」


 その耳障りな弦楽器のような声を聞き、ヴェスティリアの顔色が真剣なものになる。

 声の方を振り返ると、倒壊した建物の上に立つ二つの人影が目に入った。

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