1-2【主の帰還に備えて】
シシリューア共和国は南国であり、冬と言えどもそれほど気温は下がらない。
道行く人々も夏に比べれば厚着をしているものの、避寒地として外国から人が訪れることも多い。
夏場は荒野だった大地もこの季節から新芽が芽吹き始め、春には野花で彩られる美しい風景が見られることだろう。
ロントゥーサ島で農家を営むサウダーテ家にとっても、この時期は特に忙しい季節である。
丘の上に広い畑を持つサウダーテ家では、春に向けた小麦の種まきをこの時期に行う。
広い畑を耕し、用意していた小麦の種を蒔いていく一大行事だ。
しかし、今年からは少し事情が変わってきた。
「そういえばアデーレ、もうすぐお嬢様がこの島に戻ってくるそうだね」
種まきを明日に控えたその日の夜。
アデーレが家族と食卓を囲んでいると、父ヴェネリオがそんなことを口にした。
「うん、週末には。だから今屋敷の方も忙しくて」
アデーレは島に別邸を持つ貴族、バルダート家の使用人を務めている。
この別邸は現在、この家の息女であるエスティラ・エレ・バルダートの住まいとして使われている。
だが先の魔女との戦いにおいて屋敷は半壊。
半年の時を経て修復はほぼ完了しているが、当のエスティラはシシリューア本島に赴いており不在だ。
そのためこの島で雇われた使用人たちは、アデーレのように実家の仕事を手伝いつつ、持ち回りで屋敷の管理もしているのだった。
なお先日魔獣も屋敷での仕事の最中に現れたものである。
「そうか。じゃああまり畑仕事で無理もさせられないねぇ」
「そんな気を遣わなくていいよ。私もちゃんと手伝うから」
「でも畑仕事で手が荒れたりしたら大変だろ? 今はお嬢様のお付きなんだから」
それを言われるとアデーレは言葉を飲み込むしかない。
使用人としてはまだ新人のアデーレだが、数奇な運命からエスティラの傍について世話をする係として働いている。
そういった使用人は、ただ仕事が出来ればよいというわけではない。
主人のお付きということは、客人をもてなす仕事も同時にこなすこととなる。
そうなると身だしなみも厳しく指示されるのは当たり前。屋敷でも水仕事など肌が荒れるようなことは回されない。
また主の直接的な世話とは、使用人にとって最も神経を使う仕事の一つである。
このような仕事をするうえでは、日頃の自己管理もまた仕事の一つなのだ。
「お父さんの言う通りよ。今は大切な仕事を仰せつかっているのだから、ちゃんと綺麗にしないと」
食器を片付け、二人のいる場所に戻ってきたのは母親であるサンドラ。
彼女は心配そうに父を見るアデーレの頭を優しくなでる。
ふと、アデーレは母の手に視線を向ける。
娘の身だしなみに気を遣う彼女の手は、日頃の重労働によって肌が赤みがかっていた。
(私からすれば、お母さんにも気を遣う余裕を持ってほしいんだけどな)
それを言ってしまえば逆に両親を困らせてしまう。それは自身もよく分かっている。
農家の仕事というのは体を酷使するものだ。
疲れや体の不調は避けることが出来ず、また土に汚れる仕事は素肌にもよくない。
だからアデーレはその言葉を胸にしまい、小さくため息をつく。
「……ありがと、お父さん。お母さん」
その代わりに、二人に対する心からの感謝を伝える。
こういった言葉は、後回しにしていたら二度と伝えられなくなってしまうかも知れないのをアデーレはよく知っているからだ。
彼女にとって、今は二度目の人生なのだから。
エスティラがロントゥーサ島に戻る前日。
この日のアデーレは朝から屋敷の仕事に追われていた。
午前用の作業着である木綿のワンピースに身を包み、新築同然に直されたバルダート別邸の廊下を歩く。
腕には真っ白なシーツがかかっている。エスティラの部屋のベッドメイクのためだ。
ベッドメイキングはアデーレにとって、半年の間でそこそこ手際が良くなったと自負している仕事だ。
比較的楽な仕事なためか、彼女は鼻歌交じりにエスティラの部屋を目指す。
(聞き慣れない歌だね。何の曲だい?)
突如アンロックンの声がアデーレの頭に届く。
普段は服のポケットに収まっているアンロックンは、自らが超常の存在であることを隠すため、よく声を発さない形で彼女と会話をする。
最初アデーレはこの事象に違和感を覚えていたが、半年も共にいればいい加減慣れるものだ。
アデーレは鼻歌を止め、意識を自らの内側へと向ける。
こうすれば、言葉を発せずともアンロックンと会話ができる。
(前の世界でこの時期によく流れてた曲だよ。クリスマスってイベントがあってさ)
(へぇ、クリスマスか。全然分かんないや)
前の世界……。
幼少期のアデーレは、純粋なロントゥーサ島の人間として育ってきた。
だが十歳を過ぎたころ、彼女は何の前触れもなく前世の記憶を取り戻したのだ。
前世の名前は、
別の世界にある日本という国で育った、ごく普通の男性だ。
いや、生い立ちはあまり恵まれた方ではなかったが、それでも晩年の彼は間違いなく満ち足りていた。
少なくとも、その日々がなければクリスマスなど見向きもしなかっただろう。
クリスマスに思いを馳せるくらいに心が立ち直った頃。
良太は間違いなく幸せな人生を送っていたのだ。
だがその日々は長く続かず、通り魔の凶刃によって命を落とした。
(そういえば、こっちでは新年祝うくらいしか年末にお祭りはなかったっけ)
(だねぇ。それでクリスマスってどういうイベントなのかな?)
(大昔からある宗教の祝日だよ。神の子が人として生まれた日なんだってさ)
専門用語を用いず、アンロックンに伝わりそうな言葉でクリスマスを説明するアデーレ。
(なるほどね。この辺だといないタイプの神様だ)
(確かに……)
この世界。特にシシリューア共和国で信仰されているのは、西方主教と呼ばれる多神教である。
そして何を隠そう、アンロックンの正体であるヴェスタはこの西方主教における主要な神の一柱なのだ。
またこの国は、ヴェスタ信仰が特に普及している地域でもある。
アデーレがヴェスティリアとして選ばれたのは、この土地が影響しているのかも知れない。
(つまりさっきのは祝祭のための曲ってことだね。いいじゃないか、もっと聞かせてよ)
(……意識されると恥ずかしいから嫌だ)
(えーっ!)
その後、本物の子供の用に脳内で駄々をこね始めるアンロックン。
アデーレはあえてそちらから意識を逸らし、仕事のために再び歩き始める。
もしもまだ良太としての人生を送っていて、夢であったアクション俳優を目指していたら。
その場合、一体どんな日々を送っていたのか。
子供たちが憧れるヒーローとして汗水流していただろうか。
この時期だと玩具販促で色々と大変そうだと、そんなことを考えてしまう。
だがそれは終わった夢想であり、今はアデーレ・サウダーテとして叶えたい目標もある。
過去の人生に未練がないといえば嘘になるが、それを胸に秘めておけるくらいには今の生活も充実しているのだから。
そんなことを考えていたら、エスティラの部屋の前まで辿り着いていた。
白色に金色のノブが取り付けられた新品のドア。
今は主もいないため、アデーレはノックをせずにドアノブに手を伸ばそうとする。
「アデーレさぁーんっ!」
その時、廊下の向こうから彼女を呼ぶ可愛らしい声が響く。
声のした方にアデーレが顔を向けると、薄い茶色のワンピースに白いエプロンを纏った小柄な使用人が早歩きでやってくる。
彼女の名前はミウチャ・マルローネ。この屋敷では最年少の使用人であり、アデーレと同じくロントゥーサ島出身の少女だ。
切り揃えられたブラウンのショートヘアーを揺らしながら、少し息を切らせ気味のミウチャがアデーレの傍に寄る。
「そんなに急いでどうしたの? ほら、汗拭くよ」
「あ、ありがとうございま……じゃなくてっ」
ポケットからハンカチを出そうとしたところで、ミウチャが両手を振りながらアデーレの顔を見る。
そして……。
「エスティラお嬢様が、魔獣に襲われたって!」
ミウチャの言っていることが、アデーレには理解できなかった。
ハンカチを差し出そうとした手が止まり、次の言葉が浮かばない。
バルダート家の長女エスティラが、再び魔獣に命を狙われた。
その噂は、瞬く間にロントゥーサ島全体に伝わっていった。
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