2.探偵
すぐに警察に通報がされた。
「大丈夫か、虎屋くん?」
背もたれに身を預けるようにして座る虎屋を、蝶野が気遣う。
「大丈夫だから、しばらく、独りにしてくれ」
「虎屋くん――」
「蝶野くん、今はそっとしておいてあげよう」
巳上が席を立つ。
「分かった……」
蝶野もそれに続いて、テーブルを離れた。
警察がやってくると、事情聴取が始まった。警察は、虎屋の順番を最後にしてくれた。
居酒屋があるビルの二階の空き部屋で、それは行われた。虎屋の番が来て、彼が向かうと、そこには見知った顔があった。
「
刑事の女性は、虎屋の幼馴染、
「おや、やっぱりキミだったか。まあ、同姓同名ということは無さそうだからね、キミの名前は」
「こっちで警察官になって、なんかえらい出世したと、おばさんから聞いていたが……」
虎屋は取り敢えず、用意されたパイプ椅子に腰掛ける。
「体調は大丈夫かい? あ、せっかく会えたんだから、これ」
赤坂が差し出したのは名刺だった。
「なんとか……。これは?」
「キミが携帯を買ってもらった時には、わたしはこっちだったからね。連絡先、知らないだろ? 困ったらいつでも連絡してね。必ず助けに行くから」
虎屋は名刺をズボンのポケットにしまう。
「まさか事情聴取で会うことになるとは……。えらい出世したのに、現場に出て来るんだな」
「事件は会議室で起きてないからね」
赤坂は脚を組む。
赤坂は、事件前後の行動を質問し、虎屋はそれに淡々と答えた。
「うん。他の人の話とも矛盾しない。まあ、そもそも、キミに犯行は無理だろうけど」
「なぜ、そう言い切れる?」
「おや、気付いていなかったのかい? 遺体の傍には、レインコートが落ちていた。血の付き方から、返り血を防ぐために犯人が着ていたものと見て、間違いない」
虎屋は目を逸らす。
「あそこのことは思い出したくない。ドラマとかじゃあない、本物の遺体って、あんなに……あんなに悲しいものだとは、思わなかった」
「……レインコートのサイズ的に、キミが着るのは無理だ。入っても一七〇センチまでだろう」
「じゃあ、僕は無理だな。足立くんも無理だ。一八〇ある。僕より高い。……蝶野くんや巳上さんなら着れそうだけど」
「独歩くん、ここまでで何か分かったかい? キミ、この手の
赤坂の問いに虎屋は首を傾げる。
「は……? 僕に分かるわけないでしょう。普通の大学生だ、僕は。それに、情報が少なすぎる。仮に僕がホームズだったとしても、推理できない」
「じゃあ、捜査状況を教えてあげよう」
「え……? いや、それはダメだろ、普通に」
赤坂は笑う。
「気にするな!」
「ええ……」
「まず、事件現場の状況からだ」
赤坂は手帳を開く。
「被害者は鮫島慎之介、21歳。死因は頸動脈を切られたことによるショック死。凶器はナイフ。これも個室内に落ちていた。個室には、鍵が掛かっていた。犯人の指紋や髪の毛なんかは無し」
「密室、というわけか」
「いや、個室のドアと天井の間には隙間があるので、よじ登ればそこから入れる」
赤坂は、黒い手袋に包まれた指で、ページをめくる。
「現場には、他にも、血塗れになったショルダーバッグが落ちていた。中には被害者のスマホと財布が入っていた。財布の中身は抜かれていなかった」
「待て、ショルダーバッグ……? 彼はトイレに行く時、置いていったはずだが……。僕の記憶違いか……? いや、でも……」
虎屋は腕を組んだ。
「ふぅん……? ……このショルダーバッグにはおかしな点がある。どうやら、犯人はわざわざショルダーバッグを血溜まりに浸けて、血塗れにしたようなんだ」
「どういうことだ……?」
「それが分からないから困っている。だが、ショルダーバッグを被害者が個室に持ち込んだのは間違いないよ。目撃者がいる」
目撃者・福島雄二は中年男性だった。身長は一六〇センチ強といったところで、レインコートを着ることは可能だろう。
彼は赤坂に証言する。
「間違いありません、刑事さん。私は用を足し終えた後も、しばらく、小便器の前でぼうっとしてました。職は失うし、女房には逃げられるし、これからどうしようって……。そうしたら、白い服を着て、ショルダーバッグを持った、背の高い男が、個室に入っていきました」
「被害者の特徴と一致するな……。何か被害者に、おかしな点はありましたか?」
「別に、まじまじと見ていたわけじゃあないので……。でも、鍵を掛ける音は確かに聞きました」
赤坂は顎に手をやる。
「ふぅむ。入る時に、何か不審な行動をしたりは?」
「見えないからわかりませんって。でも、足音とか、扉を開ける音とかは、普通でした。開けるのに手間取るとか、そういうのがあったら、確実に覚えていますから」
「それでは、被害者を目撃した後、あなたは何をしましたか?」
福島は記憶を辿る。
「それから、しばらくぼうっとしていて……。あ、他に誰かが入ってくるということは無かったです。個室の扉が開くことも、もちろん、個室のドアをよじ登る人も、ありませんでした。それから、トイレを出ました」
「入った時刻は覚えていないんでしたね。では、出た時刻は?」
「それも……。いや、確か出た時、ちょうど阪神がホームランを打ったって、スマホで生中継を見ていた奴らが騒いでいたな」
赤坂はメモを取った。
「なるほど。ありがとうございました」
「――とまあ、こんな感じだった。阪神がホームランを打ったのは、一九時四十五分。今日のゲームで阪神のホームランは他に無いから間違いない。通報があったのが一九時二十分。ああ、ちなみに、正確な時刻が判明しているのは、この二点だけだ。みんな酔ってるので、全然時計とか確認してないからね」
「……実際は、僕と足立くんが扉を破るとかしてたから、ホームランの後に、男子トイレ内に目撃者がいない状態になったのは一分程度だろう。その間に、扉をよじ登って個室に侵入し、殺害して、バッグを汚して、また扉をよじ登って脱出する。うん、無理だ」
「しかし、ホームラン以前には、福島さんが小便器の前に陣取っていた。彼がホームランのタイミングでトイレを出たのは、他の客が証明済みだ」
虎屋は組んでいた腕をほどく。
「じゃあ、福島って人が犯人では?」
「レインコートと凶器が用意されている、計画的な犯行だぞ。キミ達となんの関係も無いおっさんが、そんなことするか? それに、被害者の酒のグラスから、薬物が検出された」
「薬物……!?」
赤坂は人差し指を立てる。
「といっても、下剤だ。誰でも手に入る。容器は男子トイレのゴミ箱に捨てられていた」
「……僕達は酔っていたし、料理が運ばれてくることもあったから、隙を見て下剤を酒に混ぜるのは、あのテーブルにいた人なら誰でもできるだろう。犯人は、下剤を飲ませ、鮫島くんをトイレに行かせて、個室で一人になったところを殺害した」
「財布の金に手が付けられていなかったからね。動機は金じゃあなくて、怨恨。つまり親しい者の犯行と見るべきだ。それに福島氏は、店員の証言では、店に入った時、何も手荷物を持っていなかったらしい。家財道具から何から、妻に持ってかれたんだと。だから、凶器やレインコートを持ち込むのも無理だ」
虎屋は腕を組み直す。
「となると、犯人は、僕達の中の、誰かということになる」
「そう考えるのが自然だね。……精神的にキツいかい?」
「いや。中学や高校の時の、あれやこれやで、慣れた」
しばらく、赤坂は黙っていた。虎屋も言葉を発さなかった。
「……そういや、アリバイや持ち物を調べて、何か不審なものや点は出なかったか?」
赤坂が即座に答える。
「無かった。巳上さんは、長時間トイレに籠っていて、その間のアリバイが全く無いが、福島氏の証言がある以上、彼女にも犯行は不可能だ。特に、女性が男子トイレに入ってきたら、福島氏が覚えていないはずが無い」
「そりゃそうだ」
「後は……強いて言うなら、足立くんのバッグから、コンドームが出てきたことかな。彼はアレかい? パンツのゴムが緩い人種?」
虎屋は首を傾げる。
「……いや。足立くんはそういうタイプじゃあない。むしろ、思慮深くて……」
「わたしもそういう風に見えた。だから違和感があったんだけど……。まあ、性格からかけ離れた行動をするからといって、犯人だと決めつけるのはあまりにも愚かだ。心理テストめいた推理なんて、今日日、小学生でも納得しないぜ」
「分かってる」
再び、静寂が訪れた。外から、野次馬の声が聞こえた。
「何か分かりそうかい?」
赤坂が訊く。
「無理だ」
虎屋は吐き捨てた。
「僕は名探偵じゃあない」
「そんなことはないさ。キミがまだ中一で、わたしが高三だった時の事件。あの時、わたしを冤罪から救ってくれたのはキミじゃあないか。あれが無かったら、わたしは警察を志してなかった。今でも、あの時のキミの論理的思考は手本にしている」
「あれは運が良かっただけだ。たまたま、手掛かりが手元に全て揃っていて、考える時間があった。それだけだ」
赤坂は首を振る。
「わたしがこっちに来た後も、地元で色々と事件を解決していたんだろう? 『中学生探偵』って新聞に載ったって、おばさんが自慢してたよ」
「地方紙の端っこにな。陸上で全国大会に出た奴の方が、もっとでかでかと載ってた」
「弱気だなんて、らしくない」
虎屋は俯く。
「成長するにつれて、井の中の蛙だったってことを知っただけだ。僕がようやっとできることを、一瞬でやってのける人が、世の中にはたくさんいる。僕は狭い世界でイキっていただけだった」
「…………」
「それに、殺人事件なんて初めてだ。僕がどんなに頑張っても、もう取り返しがつかない。鮫島くんは……」
赤坂は、何も言わずに立ち上がった。
そのまま、虎屋に歩み寄る。
「――――?」
そして、赤坂は、彼の身体をぎゅっと抱き締めた。
「――――!?」
しかし虎屋は、やがて力が抜けていった。彼女に身を委ねる。
どれほどの間、そうしていたのだろうか。
やがて、虎屋は、おずおずと身体を離した。
「キミが泣いていた時、いつもこうしていただろう?」
赤坂は微笑んだ。
「……いつの話だよ」
「お、わたしは最後にこうした時のこと、克明に覚えているぞ。あれはキミがじゅ――」
「いや、いいから! やっぱ言わなくていいから!」
赤坂は椅子に戻る。
虎屋は彼女に視線を向ける。
「ありがとう。お姉さん」
「礼には及ばないさ。それより、わたしがあげたものを、周りの人にも配ってあげて欲しい。キミはちょっと、愛想がなさすぎるぞ」
「分かった」
虎屋は素直にそう応えた。
「キミならできるさ」
「ああ。それと、
虎屋は宣言した。
「――え?」
「僕は井の中の蛙だけど――だとしても、泳げるところまでは必死で泳ぐさ」
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