alone 名探偵・虎屋独歩

古手忍 from uNkoNowN

1.事件

「だからさ、俺は、コンカフェはじゃあないと思うわけよ。つまり俺はホンモノのメイドカフェに行ったことが無い」

 蝶野ちょうの 謙太郎けんたろうはそう言った。

「ふぅん。なら、行けばいいじゃあないか。探せばこの辺にもあると思うよ」

 虎屋とらや 独歩どっぽは応えた。

 二人は並んで、繫華街を歩いていた。

 行き交う男女、それを呼び止める客引き、店から漂う美味しそうな香り。

「一緒に行こうよ」

「一人で行けよ」

「人がせっかく誘っているのに……」

 やがて二人は、一軒の居酒屋の前に辿り着いた。

「ここだよ、虎屋くん」

 虎屋と蝶野は入店する。

「お、来たか。こっちだー」

 店には、鮫島さめじま 慎之介しんのすけが既にいた。

 二人は彼の待つテーブルに着く。

「お、独歩も来たのか。良かった良かった」

「俺が頑張って説得しました。まったく、付き合いの悪い奴ですよ」

 鮫島は既に飲み始めていた。

 虎屋と蝶野がメニューを確認していると、男女が姿を現した。

「遅くなってごめーん」

 巳上みかみ しずくは大きく手を振って、テーブルに駆け寄る。

「俺と虎屋くんも今、来たところです」

「お、響貴も一緒か」

 鮫島に名前を呼ばれたのは、足立あだち 響貴ひびきだった。

「しずくさんと一緒に、大学の図書館で、ゼミの次の発表で使う資料を調べていて」

「真面目だなぁ。俺らの班の発表、まだ先だろ」

 鮫島の隣に腰を下ろした足立に、蝶野はそう言った。

 足立の隣には巳上が座った。

 店に満ちているのは、アルコールを含んだ喧騒。

 やがて、注文した酒と料理が運ばれてくると、五人の大学生達も、その喧騒の一部となっていった。

「俺、ホントは陰キャだから、ゼミで巧くやっていけるか心配だったけど、虎屋くんが話しかけてくれたから助かったよ」

 蝶野はビールをグイっと飲んだ。

「……別に。僕は本を忘れたから話しかけただけだ」

「謙太郎くん、陰キャには見えないけどなー」

 巳上は唐揚げを口に放り込んだ。

「いやぁ、これが、大学デビューってやつで……」

「よく分からんが、取り敢えず飲め飲め」

 鮫島は既に酩酊していた。

「アルハラになるぞー」

 巳上の言葉に、足立も頷く。

「みんな飲み過ぎないでね」

 ――しばらくして、足立が立ち上がる。

「ごめん、お手洗いに行きたい」

 座った位置的に、足立が席を離れるには、巳上が退く必要がある。

「あ、じゃあ、わたしも行こう」

 これを機に、巳上も席を立った。

 蝶野も立ち上がる。

「じゃあ俺も」

 やがて、足立と蝶野だけが戻ってくる。

 さらにその後――

「なんかお腹の調子が……」

「食べ過ぎるから……」

 一番奥に座る鮫島のために、足立が一旦、席を退く。

 ショルダーバッグを椅子に残して、鮫島はトイレに向かった。

 巳上と鮫島がいなくなると、急に静かになった。

 時折、蝶野が虎屋に話し掛け、虎屋がそれに短く答える。足立はスマホを弄りながら、話に時々、口を挟む。

「……二人とも、遅くないですか?」

 スマホから顔を上げ、足立が呟く。

「見に行った方がいいかな?」

 蝶野が提案すると、虎屋もサワーを飲む手を止める。

「よもや、女子トイレに確認しに行くわけにもいくまい。見に行くなら、鮫島くんだけだな。巳上さんは、もうちょっと待って、あんまり遅いようだったら店員さんに相談しよう」

「そうだね。じゃあちょっと俺、見てくる」

 言い出しっぺの足立が男子トイレに向かった。

 テーブルには、虎屋と蝶野が、そして沈黙が残った。

「……なあ、虎屋くん」

 やおら、蝶野が口を開いた。

「俺、陰キャだから、彼女とかいなくてさ。このままでいいのかなって、最近、思うんだ」

 蝶野は、アルコールの混じった吐息を零す。

「世の大学生は、彼女作って、セックスしてるんだろ。俺は童貞のままだ。俺は社会的に、弱くて、劣っている人間なんだ。そう思うと……」

 虎屋は、普段と変わらぬ調子で返す。

「別に、気にすることないんじゃあないのか。僕も性行為の経験は無い」

「キミは気にしないだろうけどね……。キミの中では、恋愛だとかセクシュアルな事だとかは『どうでもいい』ってラベルの貼られた籠に入っているんだろう?」

「そうだな。正直、どうでもいい」

 虎屋は肯定する。

「僕にとっては、音楽を聞いたり、創ったりすることの方が重要だ。それは『大事なもの』の籠に入っているな、きっと」

「虎屋くんがユーチューブに上げてる曲、聞いたよ。すごいじゃん、一万再生とかされていて。虎屋くんは、人間ひととして強いよ」

 虎屋は俯く。

「全然だ。世の中には、何百万、何千万と再生される人がたくさんいる。でも僕も、いつかは彼らに並び立つ、いや、超えてやる。そういう気持ちでっている。僕の中では、それが一番大きいんだ」

 蝶野は首を振る。

「……虎屋くんはやっぱり強いよ。キミは一人で成り立っている。他人に頼ったり、縋ったりしない。恋人を募集している俺とは真逆だ」

「そうかな?」

「あれ、なんの話してるの?」

 そこに戻ってきたのは、巳上だった。

「ああ、いや、なんでもないですよ。些細なことです。はい」

 蝶野はそう言った。

「足立くんと鮫島くんは?」

「鮫島くんがお手洗いに行ったまま、なかなか帰ってこないから、足立くんが見に行った」

 蝶野が説明している時、三人のスマホが同時になった。

「グループラインか。足立からだ」

 真っ先に確認したのは虎屋だった。

 ――ノックしても、呼び掛けても返事が無いから、個室の中で寝てるんだと思って、起こそうとしてたんだ。

 ――でも、今、気付いた。個室の隙間から、血が流れ出てきている。何か不味い。

 スマホの画面には、そんなメッセージが表示されていた。

 虎屋が立ち上がる。アルコールが入っているとは思えない、素早い動きだった。

「僕が行く。蝶野はいつでも119番に連絡できるように準備しておいてくれ」

 男女のマークが記された扉を、それから青いマークの記された扉を、虎屋は乱暴に開ける。

 二重の扉の奥にある男子トイレには、小便器と個室が一つずつあり、個室の前には、足立が青い顔で立っていた。

「扉を破るぞ。事態は一刻を争う可能性が高い」

 虎屋は来るなりそう言った。

「分かった」

 足立と二人で、個室のドアに体当たりすると、蝶番の側が案外簡単に壊れた。

 そこでは、鮫島が死んでいた。頸動脈を切られ、血が流れ出て、床は赤く染まっていた。

 個室の中に閉じ込められていた死の匂いが、解き放たれる。

「――!」

 虎屋は両手で口を押さえると、洗面台に走った。

「おおおおお――!」

 そして、そこで嘔吐した。

「……虎屋くん、大丈夫……?」

 そう言う足立も、動きが固まっていた。

 虎屋の目から、涙が絞り出される。

 トイレの中の空気は、渦を巻いているようだった。

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