89. 納得のクオリティ
「さすがに、このままでは調理できませんね。清掃、お願いしまーす」
西原さんがカメラに向かって手を振ると、粉まみれのキッチンが瞬く間に綺麗になった。清掃と言っているが、まあリセット処理か何かをしたのだろう。VR空間だと、こういうこともできる。
「それでは改めまして。レッツ、ヴォーパル!」
「ヴォーパル!」
「え? あ、ヴォーパル?」
西原さんの謎の掛け声に、ウェルンがハイテンションで呼応する。しかたなく、俺も続いたが……ヴォーパルって、“鋭利な”って意味の形容詞じゃなかったか? 文法めちゃくちゃだぞ。
ただまあ、意図は何となくわかる。古のゲームでは、ヴォーパルと名のつくものは即死攻撃をしてくるのが鉄板なのだ。要は“首狩りしようぜ!”ってことだろう。かなり物騒な掛け声だが、ゲームの趣旨としては間違ってないんだなぁ、これが。
ヴォーパルクックの最終目標は“美食の魔王”を殺害すること。その手段が“とにかくたくさん食べさせて、腹を破裂させる”というのだから、なかなかクレイジーなゲームだ。
いや、それくらいなら毒殺しろよって思うが、魔王に毒は効かないらしい。毒は効かないが、食べ過ぎは効く……なかなかぶっ飛んでるな。
「では、最初のステージ、いきますよ? お客様は……砂漠方面の部隊長を務める、サンドワームのペロリン様です!」
西原さんの宣言で、周囲の風景が変化した。キッチンはそのままだが、辺り一帯が砂漠地帯になったのだ。そして、大量の観客たち。三頭身マスコットの人型もいれば、ワーム……まあミミズのような化け物もいる。その中でも、ひときわ大きなワームが隊長とやらなのだろう。人型は妙にデフォルメされているのに、ワームはなんでこんなリアルなんだ。絶対、ペロリンって柄じゃないだろ!
言いたいことは多々あるが、ツッコミを入れている場合ではない。すでにゲームは始まっているのだ。
「最初のオーダーは……おっと、サソリの素揚げですね!」
いきなりサソリ!?
いや、食べるところでは食べるらしいし、砂漠っぽい食材ではあるんだが。まあ、このゲームに一般的な感性を求めてはいけないんだろうな。
調理としては、サソリを揚げるだけ。1つの工程で終わるので、最初の注文としてはこんなものだろう。
まずはどちらが担当するか。ウェルンに目配せをすると……いきなりブンブンと首を振られた。
「お兄さん! 実は俺、虫が苦手なんだ!」
「は? 今までだって虫型モンスターとかいただろ?」
「フィルターがないと駄目なの! なんでフォルターがないんだよ、このゲーム! どうかしてるよ!」
「いきなり、ネガキャンはやめろ!」
案件動画で、何てことを言うんだ。西原さんは気にした様子もなくニコニコしているが、あれはアバターだしな。本当は激怒しているかもしれない。もっとマイルドな言い方をしてくれ。
フィルターってのは視覚フィルターのことだろう。リアル系のVRゲームは、敵として出現する魔物もそれはそれはリアルだ。苦手な人には耐えがたいので、見た目を変更するオプションがついている。それが視覚フィルター。ウェルンは、この機能を使ってゲームをしていたようだ。
だが、ヴォーパルクックにはそんな機能がないらしい。まぁ、ないだろうなぁ。基本的にはデフォルメされた世界なのに、ワームだけがあんなにリアルなんだから。開発者に妙なこだわりがあるだろ、これ。
「おやおや、ぼーっとしていていいんですか? 制限時間は近づいてきてますよ?」
西原さんが煽るように実況を入れる。確かに、突っ立っているだけじゃ動画にならんな。
「わかった。じゃあ、サソリは俺が担当する」
「頼んだよ!」
素材はそれぞれの収納ケースにまとめられている。俺はサソリが納められたケースへと走り、蓋を開けた。
「うへぇ……」
びっしりと詰められたサソリを見て、声が漏れる。俺は別に虫嫌いってわけじゃないが、これはなかなかキツい。開発者は何を考えているんだ。
それでも注文をこなすため、サソリに手を伸ばし――――たところで、ソイツがいきなり動き出した。
「はぁ!?」
思わず投げ捨てる。ベちっと床に叩きつけられたサソリは、それでも元気そうにカサカサと逃げ始めた。
「おっと、サソリの麻痺が解けたようですね! 食材は鮮度が命! サソリは生きたまま麻痺状態でケースに収められています! 基本的に麻痺が解けることはないんですが、ごく稀にこういうことがあるんですね! レアイベントですよ!」
西原さんの嬉々とした声がキッチンに響く。何を考えて……いや、感想を述べるのはやめておこう。案件だし。
ともかく、あれが仕様だと言うのなら、気にしても仕方がない。素材は豊富にあるのだから、別のサソリを使えばいいだけである。
俺は再びケースを開けて……絶句した。なんか、大量のサソリが動いてるんですけど!?
「あ、ちょ……!?」
すぐに蓋を閉めれば良かったのだが、驚きで体が固まってしまった。その隙を突いて、大量のサソリがケースから飛び出してくる。
「おっと、どうしたことでしょう! サソリの麻痺が解けてしまったようです! ちなみに、これは仕込みではありません! 偶然か……はたまた必然か! 噂のトラブルメーカー、ショウさんの力は本物のようです!」
誰がトラブルメーカーか!
というか、実況してる場合なのか、西原さん!?
キッチンは酷い有様だ。カサゴソと我が物顔で歩くサソリたち。ウェルンがパニックになって、背中の巨大包丁を抜いた。
「お、落ち着け、ウェルン!」
「ぐ……ぐぐ、サソリなんか、俺のオーラブレードで!」
必死に巨大包丁を振り回しているが、オーラなんて出ていない。たぶん、気が動転して別のゲームと混ざっているんだろう。
ウェルンの巨大包丁はサソリにかすりもしない。代わりに、調理台に叩きつけられた。しかも、悪いことに、素揚げ用の煮えたぎった油鍋がひっくり返る。たちまち、キッチンは炎に包まれた。
「おっと! キッチンが炎上しております! この状態で、サソリの素揚げは作れるのか!?」
「作れるわけないだろ!」
「うわぁ!? こっちくるな! うわぁ!」
「もう滅茶苦茶だよ!」
当然ながら、こんな状況で注文をこなすことができるはずもない。結果は、ステージ攻略失敗。
「最初の挑戦は失敗です。調理人のお二人は……ペロリン様に食べられてしまいます!」
「は?」
気がついたときには、サンドワームの巨大な大口が迫っていた。抵抗する間もなく、俺とウェルンは飲み込まれ、バリバリモグモグという咀嚼音とともに視界が真っ黒になる。特に痛みがあるわけじゃないが、人によってはトラウマになるぞ、これ。
いやぁ……なるほど。これは、売れるわけがないな。
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