61. 逃げられたか

「やっと動く気になったか! おせえんだよ!」

「ケケケ、フライパンの魔王の実力を見せてやれぇ!」


 俺がやる気を出したのを察知したどーまんとイガラーがはやし立てる。ヤツらだけじゃない。驚いたことに、NPCたちまで、同調するかのように声を上げている。彼らにとっても、この白い少女は憎むべき敵ってことか?


「あなたは……」

「さっきぶりだな」

「……ええ。ここに来て早々、悪の道に堕ちてしまったのですね。残念です」


 少女――ハルシャは俺のことを覚えていたらしい。対峙する俺を見て、悲しげに首を振った。だが、それも僅かの時間。再び、正面に顔を向けたとき、そこに宿っていたのは悲しみではなく強い信念。そして、敵意。


「そういうことなら、仕方がありませんね。この世界に平和を……あなたにもわかってもらいます、からっ!」


 会話の途中で、ハルシャが花を飛ばす。不意打ちとはいえ、こちらも警戒はしていた。ひらりと躱して、俺はヤツに迫る。


「ショウ君、駄目だ!」


 インベントリから取りだしたフライパンを振り上げたところで、ペケ丸から制止の声。だが、僅かに遅かった。振り下ろされたフライパンは、何もないはずの空間で止まる。特に何かにぶつかったような衝撃すらない。ただ、無数の銃弾と同じように、完全に勢いをなくしてしまった。


 おそらくは、白い集団が張っているバリアのせいだろう。まさか弾丸だけじゃなくて、直接攻撃すら防ぐとは。道理で、ぺけ丸たちが無駄とも思える銃撃を続けているわけだ。


 不自然な形で力を受け流された俺は体勢が崩れている。立て直すのは簡単で、隙としてはごく僅かだろう。だが、タイミングが悪い。敵の眼前、手を伸ばせば相手に触れられそうな距離だ。当然、それは相手からも同じ事が言える。


 ハルシャの口元がつり上がるのが見えた。彼女の手には、ピンク色の花。それが今、俺に向けて放たれようとしている。


「だぁ!」


 俺は咄嗟にフライパンを手放し、花をはたき落とす。結局のところ、触れてしまうことには変わりない。だが、何とかなるという予感があった。


 果たして――――


「なっ!?」

「花が燃えた!」

「やっぱり、アイツ、魔王だろ! フライパン関係ねえよ!」

「流石はダーリンなのです!」


 俺がはたき落とした花はいきなり燃えて、灰になった。


 思惑通りだ。初対面のとき、俺はハルシャが差し出した花を意図せず燃やしてしまった。だから、今回もそうなるんじゃないかと思ったのだ。もちろん、そうならない可能性もあったが、あの状況では他にどうしようもなかったからな。


 洗脳とやらの影響も今のところ感じない。おそらくは大丈夫だろう。ハルシャの悔しげな顔が根拠だ。


「その力……危険ですね。あなたは、この世界に……いえ、サイバーフロンティアそのものに、大きな災いをもたらすでしょう。そうならないよう、私がここで改心させてあげます!」


 ハルシャが険しい顔で俺を睨み付ける。その視線を塞ぐように、リリィが前に出た。


「うるさいのです、性悪! ダーリンを悪く言うのは許さないのです! 確かにダーリンは少しいじわるですが……ええと……ええと……」


 勢いよく飛び出したものの、リリィの言葉は続かない。


 それじゃ、まるで俺に良いところがないみたいじゃないか! 昨日もプリンを買ってやったっていうのに! なんとか絞り出せよ!


「ええと……と、とにかく許さないのです!」


 数秒悩んだ末、リリィはそう言ってサブマシンガンを撃ち始めた。


 コイツ……勢いで誤魔化すつもりだな?


 異議申し立てをしたいところだが、リリィとハルシャの口論は激しくなり、口を挟めなくなってしまう。


「そうですか、あなたは……。まさか、すでに魔の手を伸ばしているなんて」

「リリィは好きでダーリンといるのです!」

「それは思考が歪められているだけです。私のやっていることと、どう違うというのですか?」

「お前のは無理矢理押しつけてるだけなのです! リリィはお前の考えを否定するつもりはないのです! でも、無理矢理は駄目です! 考えはいろいろあっていい……世界にはいろんな人がいて、いろんな考えがあるのです! だから楽しいのです!」

「そんなものはノイズに過ぎません。正しい思考に一本化されるべきです」


 二人の意見は完全に平行線。どこまで言っても、交わることはないだろう。


 まあ、それはいい。ここは議論の場ではなく、戦場だ。決着は、言葉でつけるものではない。


 問題は、ハルシャたちのバリアだ。今のところ、アレを貫く攻撃手段は思いつかない。展開するのに籠の花を消費しているみたいなので、攻撃を続けていればいずれは無効化できるかもしれないが……まあ、ほぼ無理だろうな。明らかにコスパが違う。バリアが途切れるより、こちらの弾丸がなくなるのは間違いない。


 ……ところで、ここに何の変哲もない右手があります。わけもなくこれを振り上げてみましょう。このとき手はチョップの形。それを右斜めから45度の角度で振り下ろすと……どうなると思います?


 やってみたところ、大きな変化はなかった。右手は空を切ったのみ。派手な光や音が出たりもしない。ただ、小さな、とても小さな呻き声が漏れただけだった。


「っつ……!」


 声の主はハルシャ。その小柄な体から血が流れている。どうやら、バリアが無効化され、リリィの放つ銃弾をその身に受けたらしい。


「ハルシャ様!?」

「護れ! ハルシャ様を護るんだ!」


 愛の花のヤツらの行動は早かった。身を呈してハルシャを守り、後方へと下げたのだ。警官連中が追撃をかけるが、すぐに張り直されたバリアによって有効打を与えられない。


 結局、何名かの組織員を捕縛することはできたが、ハルシャの身柄を押さえることはできなかった。


 くそ、逃げられたか……って、まるで悪役みたいな台詞だな。

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