59. 魔女

 抵抗なく突き抜ける手刀。予想通りの手応えに若干顔をしかめつつ、バッテンを描く軌道でもう一度腕を振り抜いた。支えを失った壁が、ドシャリと崩れる。あっという間に脱出路のできあがりだ。


『なぁっ!?』

『嘘、だろ!?』


 パトカーのスピーカーから悲鳴じみた声が漏れる。


 いや、まあ、気持ちはわかるよ。これは禁じ手だよなぁ。つい、イラッとしてやってしまったが、早まったかもしれない。


 とはいえ、やってしまっったものは仕方がない。警官プレイヤーたちが動揺している間にここを抜け出すとしよう。


 僅かな隙間を抜けて、刑務所の敷地から出る。俺に続いて、リリィもひょいと瓦礫を飛び越えた。


「脱獄完了なのです!」

「ミッションコンプリートだが……ちょっと味気ないな」


 壁を越えたところで報酬はなく、リザルト画面が出るわけでもなかった。公式のイベントというわけじゃないので当たり前なんだが、いまいち達成感がない。パトカーとヘリに追われて逃げ延びた結果が無報酬……なんだかなぁ。


「ま、それでも楽しくはあった……か?」


 ちょくちょくやらかした気はするが、それでもプレイヤー主導のお祭り企画に参加できたのは良かった。やはり、この手のゲームは他プレイヤーとわいわいやりながら遊ぶのが一番だな。


「さて、この後はどうするか……」

「ちゃんと鞄は確保してあるのです!」

「ああ、それがあったな」


 リリィが掲げてみせるのは黒い鞄。ギャング『キラービー』の入団試験用に渡された例のブツである。投獄されるときに一度押収されたが、囚人区画を制圧したあと取り戻したんだ。途中で監獄にぶち込まれたが、これを取引先に運ぶのが、そもそもの目的だった。そちらを達成するのもいいかもしれない。


 と、そんなことをのんびり考えていたが、すぐにそんな場合じゃないと知る。上空からばら撒かれる銃弾。その一部が腕を掠めた。


「ダーリン!?」

「ぐっ……一旦物陰に隠れるぞ!」


 ヘリからの銃撃だと気づいた俺たちはすぐに建物の影へと避難する。刑務所の外に出たので、身を隠す場所には事欠かない。ひとまず、上空から一方的に攻撃されるという事態は避けられそうだ。


「いや、参った。そりゃ、刑務所から出たら終わりってわけじゃないよな」


 体の状態を確認しながら、ぼやく。脱獄が成功したらイベントは終わりだと勝手に思い込んでいたが、特にそんな取り決めはしてなかったな。脱獄しても、囚人が脱獄犯になるだけで、警官との対立が終わるわけではない。気を抜いたのは軽率だった。


 幸いなことに、銃弾が右腕を僅かに掠めた程度で済んだらしい。出血状態もすぐに治って、動くには支障がない。それでも、そこそこのライフを持っていかれてしまったが。


「いたぞ!」

「囲め!」

「油断するなよ! ヤツにはフライパンがある!」


 パトカーを乗り捨てたらしく、伝説の配管工たちが壁の隙間から現れた。プレイヤーはいつもの五人だが、NPC警官は結構な数がいる。さっき心を折ったヤツらとは別なのか、士気は高そうだ。


 さて、どうするか。やり合うのもいいが、さすがに場所が悪い。刑務所のそばなので、続々と増援が現れるに決まっている。


 それに、たぶんコイツらは囮だ。今頃、他のプレイヤーたちは俺たちを包囲しようとしているところだろう。完全に粘着されているからなぁ。


 とはいえ、逃げるのも難しい。上空にはヘリが飛んでいる。迂闊に路地へと飛び出せば、即、蜂の巣だ。身を隠しながら移動するのが一番だが……それにはやはり目の前のヤツらを排除する必要がある。


「覚悟を決めるか」

「今度はリリィもやるのです!」


 リリィの手には、警官から奪ったサブマシンガンがある。そいつをぶっ放すつもりらしい。まあ、人数比が違い過ぎるので、どこまで頼りになるかはわからないが。


 身構える俺たちに、警官らが足を止めた。銃撃戦の開始まで秒読み段階だ。緊迫感が漂い、訪れる一瞬の静けさ。


 そんなときだ。遠くに聞こえるヘリの駆動音に、別の喧噪が混じる。


「っち!」


 伝説の配管工が、吐き捨てた。その顔に浮かぶのは、激しい憎悪だ。


 ペケ丸、まろにぃ、イガラー、どーまん。他のメンバーも程度の差はあれ、みんな似たような顔である。好ましくない……というのは生易しい表現か。彼らにとっては唾棄すべき状況にあるらしい。


 こちらを一瞥もせずに、伝説の配管工が淡々と告げる。


「遊びはここで終わりだ。例の魔女が来た。ここからは共闘だな」


 意味がわからず、リリィへと視線を向ける。例の魔女とか、共闘とか、何の話だ。


 だが、リリィにもよくわかっていないらしい。俺の視線の問いかけに、首をぶんぶんと横に振ることで答えた。


 いったい、どういうことなのか。


 その問いは、言葉にはならなかった。その前に、こちらへと駆けてくる足音が聞こえてきたからだ。伝説の配管工たちは、一斉にそちらを向き、銃を構える。


 現れたのは、不思議な集団だった。ギャングではない普通の住民で、全員がNPCだ。揃いの制服というわけではないが、みんな白い服を着ている。一番の特徴は、籠だろうか。老いも若きも、男も女も関係なく、花の入った手提げ籠を持っている。


 その先頭に立っているのは、どこか見覚えのある人物だった。あれは……たぶん、ゲーム開始直後に出会った少女だな。


 戸惑う俺をよそに、少女と伝説の配管工は睨み合う。沈黙を破ったのは、少女だ。


「愚かな人間たちよ! 直ちに争いをやめなさい!」


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