42. 覚悟はばっちり

「酷い目にあった……」


 俺が落ちたのは、発射地点からさほど離れていないところだったらしい。死亡画面で呆然としていたら、リリィが蘇生処理で生き返らせてくれた。あの高さから落ちたら、体も粉々になっていそうだが、その辺りはゲームだ。復活すれば、損傷もなくなる。


「世界の果てまで飛んで行かなくてよかったのです」

「本当にな」


 流石に宇宙空間まで実装されていないとは思うが、俺の場合、何が起こるかわからないからな。規定されているワールドから飛び出して、何もない虚無の海を漂うことになっていたかもしれない。


「でも、車はゲットできそうなのです」

「まあな」


 俺が打ち上げられていたときの話になるが、珍奇な現象を目撃した運転手の男は錯乱してふらふらとどこかへ立ち去っていったらしい。そのおかげで、ヤツの乗っていた車は運転可能な状態で残されている。当初の目論見とは異なる過程を辿ったが、望む結果は得られたわけだ。


 釈然としないものを感じるが、気にしないことにする。最近、得た教訓だ。細かいことに囚われていると、ゲームなどできない。


 置き去りにされた白い車の運転席に乗り込む。リリィは反対側の助手席に座った。


「おっ、ハンドル操作するタイプか。アナログだな」


 一般乗用車はオートドライブが主流……というか、ハンドル操作で手動運転するのは金持ちが道楽で作ったオーダーメイドか、さもなくば骨董品だ。公道が走れないので、現実だとまずお目にかかれない。


「ダーリンは運転したことがあるのですか?」

「いや、ないぞ」


 あるわけがない。これは手動運転だけでなく、オートドライブも含めた車全般についての話だ。


 いや、だって俺だぞ。危険だろ。家族にも止められているし、俺だってリスクを考えると軽々しく運転しようとは思えない。


 もしかすると考えすぎかもしれない。オートドライブだと、操作らしい操作はほとんどないからな。せいぜいが、目的地や経路の変更、あとは車内環境の調整といったところ。人為的な事故が起こる余地はほとんどない。それでも俺の場合、何かが起こりそうな予感がする。誠に遺憾ながら。 


 自動車事故はひとたび起これば被害は甚大だ。下手をすれば、人の命を奪いかねない。そんなわけで、成人してからも運転席に座ったことはなかった。


「でも、ゲームなら気軽に挑戦できるからな」


 仮想世界ならば事故を起こしても命を失うことはない。巻き込まれるNPCにとっては迷惑だろうが、そこは勘弁して欲しいところだ。ここは犯罪の多発するギャングタウン。その中に自動車事故が混じっても、誤差だろ、誤差。


「嫌な予感しかしないのです……」


 言いつつ、リリィが側面から帯状の紐を引っ張りだした。それで体を固定するようだ。シートベルトってヤツだな。事故時の怪我を防止するために、使用が義務づけられていたんだったか。今では完全に廃れてしまった機能だ。オートドライブが普及し全車両が統一された運行システムで管理されるようになった現在、交通事故率はゼロに近い。自由を制限するだけで、使う意味がないってことだろうな。


 とはいえ、これから運転するのは、旧世代のハンドル操作タイプだ。装着しておいた方がいいか。


 シートベルトを締めてハンドルを握ると、脳内に簡易的な操作ガイドが表示された。アクセルを踏むと前進でブレーキを踏むと減速。ハンドル操作で向きを調整する、と。うん、難しくはなさそうだ。


「じゃ、いくぞ」

「覚悟はばっちりなのです!」


 発進を伝えると、助手席からやけに気合いの入った返事が届く。いくら何でも身構えすぎではないかと思ったが、直後に正しい対応だったのだと悟った。俺の方が甘く見ていたのだ。自分自身の体質を。


 軽い気持ちでアクセルを踏むと――――軽くない加速が俺を襲った。


「な、な、何だ!? 何がどうなってる!?」


 必然的に進行方向とは逆向きに強い力が働く。まるで後部シートに縫い付けられているかのようだ。


「ダーリン! アクセル、踏みすぎなのです! 一旦、離すのです!」

「離してる! もう離してるんだよ!」


 アクセルを踏んだのはほんの一瞬。しかも、強く踏み込んだわけではない。それなのに何故急加速したのか。意味がわからない。


 しかも、だ。アクセルを離してしばらく経つというのに全く減速する気配がない。慣性の法則が無双している。摩擦とか空気抵抗とかはどうなってるんだ!


「ブレーキなのです! ブレーキを踏むのです!」

「おお、そうか!」


 停止手段があるんだったな。すっかり忘れていた。


 慌ててブレーキを踏むと、急激なスピード変化で強い力が発生した。何故か発進時と同じ方向に。それはつまり――――さらに加速したってことだ!


「何で!? ブレーキ踏んだ! 踏んでる!」

「ダ、ダーリン! とりあえず離すのです! どんどん加速してるのです!」


 慌てて足を引っ込める。すると、確かに加速は止まった。あいかわらず、減速はしないが。


 アクセルを踏めば加速し、ブレーキを踏んでも加速する。完全に詰んでいると言わざるをえない。


 どうすりゃいいんだ。幸い、道は真っ直ぐだが――――


「ダーリン! 前! 前に車がいるのです!」

「くそ、トロトロ走ってるんじゃねえ!」

「どう考えても非常識なのはこっちなのです!」


 速度差がありすぎて、ぐんぐん距離は詰まっていく。このままじゃ衝突だ。


「ハンドル! ハンドルで避けるのです!」


 リリィが叫ぶ。至極真っ当な意見だが、現在は常軌を逸した爆走中である。僅かにハンドル操作をミスすれば衝突事故間違いなしの状況。正直言って、うまくやれる自信はない。


 それにもっと深刻な懸念があった。


「ハンドル操作で加速するってことはないよな……?」

「…………」


 二度あることは三度ある。疑念を否定できなかったリリィが青い顔で固まった。


 幸いというか何というか。前の車も、こちらの接近に気がついたらしい。衝突寸前で脇に避けたので最悪の事態は避けられた。


 あの車は本当に幸せだと思う。ただ、脇に逸れるだけで暴走車の脅威から逃れることができるのだから。だが、乗っている当人はそうもいかない。止まる手段がない以上、この暴走に付き合い続けるしかないのだ。


 その後も、前方の車両が上手く避けてくれたおかげで衝突事故を起こさずに済んだ。だが、何事にも終わりがある。どこまでも真っ直ぐ続く道など存在しないのだ。目の前には巨大なビルがそびえ立っていた。


 丁字路なので上手く曲がれば衝突は免れる。ハンドル操作に賭けてみてもいいが……無駄だな。このスピードで直角カーブを曲がりきれるわけがない。せいぜい正面に衝突するか、少し脇に衝突するかの違いだ。


「リスポーン位置の調整は頼むな」

「わかったのです」


 そんな言葉を交わした直後、俺は再び死亡画面を見ることになった。本日二度目である。まだ、ギャングに遭遇してすらいないのに。何故だ。

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