38. 諦めない

「はぁ」


 思わずため息が出た。


 今日は休日。だというのに、やることもなくぼんやりと過ごしてしまった。喪失感が強く、何もやる気が起きない。


 ここ数日、俺の休日……というか、自由になるあらゆる時間はアルセイとともにあった。本来ならば朝からログインして、アルカディアの世界を満喫したいところだ。しかし、残念ながら、それは叶わない。


 デスゲーム化したアルセイから解放されてすでに二週間が経過している。だが、あれから一度たりともログインできていない。デスゲーム化という大事件が起きたことによって、サービスが停止しているからだ。


 考えてみれば当たり前だ。首謀者らしきサイバノイドが掴まったとはいえ、事件の全貌が明らかになったわけではない。


 別の黒幕や協力者がいないか。デスゲームの仕掛けが残されていないか。そういったことの調査が残されているのだ。軽率にサービスを再開して何かが起これば、大きな責任問題へと発展するだろう。販売元の会社も慎重にならざるを得ない。


 現在、報道されている範囲で言えば、ディルリブルとその部下以外の関与は認められていない。そもそもアルセイに関してはヤツが取り仕切っていて、会社はゲームの運営にほぼノータッチだったらしい。


 とはいえ、会社の責任を問う声は多い。これも当然だ。安全性のチェックを怠っていたのだから。


 いや、怠っていたというのは正確ではないか。一応、ゲームの安全性を確認する作業はしていたらしい。とはいえ、作業責任者はディルリブル。会社としてはそれを承認するだけだったようだ。犯人に確認作業をやらせていたという……まあ、お粗末な体制だった。


 一人のサイバノイドにデジタル関係の業務が集中した結果、事件が起こるまで問題が発覚しなかったわけだ。サイバノイドのデジタル世界における情報処理・管理能力は凄まじく、ほぼ専任という形で仕事を振られることは多いらしいが……今回の事件で多少は意識が変わるかもしれないな。


 入力デバイスについても調べが進んでいる。主眼となったのは、装着者を殺すかという手段について。解析を進めた結果、デバイスは製造法における安全基準を満たしていることがわかった。したがって、強力な電波やら何やらで脳を破壊することなどできないらしい。ハードウェアの機能だけで人を殺すことはできないという結論だ。


 だが、デスゲームというのはディルリブルの嘘……とも言えないらしい。


 強い痛みや滴る血の感触。それらを組み合わせて、極めてリアルな死を表現できる。デスゲームという舞台で体験すれば、本当に死んだと思い込んでしまっても不思議ではない。そして、人間は思い込みでも死んでしまうのだ。確実ではないにしろ、アルセイでの死が現実の死となる可能性は十分にあったらしい。


 そんなわけで、ディルリブルの罪は軽い物ではない。サイバノイドとの協定で、人間に害をなして逮捕されたサイバノイドは人間が断罪できる。今回の場合、ディルリブルはおそらく人格消去となるだろう。サイバノイドの人権に関する取り決めで、コピーは認められていないので、ディルリブルという存在は消えることになる。それが守られていれば、だが。


 さて、事件の全貌が明らかになりつつあるが、安全が充分に確認されたからといってアルセイのサービスが継続できるわけでもない。運営はディルリブルがほぼひとりでやっていたので、誰かがその作業を引き継がなければならない。


 では、誰が引き継ぐか。能力を期待するなら、他のサイバノイドが有力だろうが、完全に丸投げでは同じ轍を踏むことになりかねないし、世間も忌避するだろう。ある程度人間の運営者を入れることは必須だ。


 残念ながら、サイバノイドと比べると人間の情報処理能力は低い。仮にサービスが再開するとしてもかなり先のことになりそうだ。


 それに関しては仕方がないことだとわかっている。販売会社はできる限り返金に応じると言っているので金銭的に問題もない……が気持ちは晴れない。


「約束は守れないか」


 デスゲームを阻止してすると決めたとき。落ち着いたら、また一緒にゲームを遊ぼうとリリィと話していたのだが……その約束を果たすことは難しそうだ。それが、心残りだった。騒がしいアイツと会うことがいつの間にか楽しくなっていたのに。


「……ん? 誰だ?」


 珍しく、部屋のインターホンが鳴った。億劫だが、無気力に座り込んでいたソファから身を起こす。玄関前の様子を映すディスプレイを覗けば、訪問者はスーツ姿の見知らぬ女性だった。年齢はおそらく俺と同世代の二十代半ばだ。訪問販売だろうか。


 販売員との無為なやり取りをする気力も湧かない。なので、無視していると……女性の顔には苛立ちが浮かび始め、ついにはインターホンを連打しはじめた!


 明らかにヤバい奴だ。居留守を使おうと思ったときに、聞こえてきたのは覚えのある声だった。


『翔、いるんでしょ! ねえ!』


 いつ聞いたのか――少し前だ。

 何処で――そう、あれはアルセイの中だった。


「って、お前、悠里か!? なんで、ここが」

『いいから、早く開けなさいって』

「わかった! わかったから連打を止めろ」


 慌ててドアを開けると、女性――双海悠里はニコニコと笑顔を浮かべていた。何という切り替えだろうか。ちょっと怖いぞ。


「お前、なんでここに?」

「あ、うん。ちょっと待ってね。紹介したい子がいるから。もう出てきていいよ!」


 俺の問いには答えず、代わりに悠里は一歩下がってあらぬ方向に声をかけた。


「お前、何を言って――」


 さらに問いかけようとした俺の声を途切れさせたのは、階段の方から聞こえる軽快で軽い靴音だ。駆けてきたのは一人の少女だった。


「ダーリン! 会いたかったのです!」


 少女が飛び込んできた。記憶と僅かに差異があるものの、紛れもなく知っている顔だ。


「お前……リリィか!?」

「はいなのです!」

「いったい、どうなってるんだ!?」


 特異な体質を持つ俺も、さすがにデジタル世界の存在を物理世界に出現させるようなことはできない……はずだ。となれば、この状況を作り出した人物は別にいる。


 視線を向けると、悠里はすでに上がっていた口の端をさらに持ち上げた。得意げな様子で口を開く。


「うちはサイバーフロンティアに関する相談事に強い事務所だからね! サイバノイドの移住相談とかも受け付けてるの。彼女は最近、うちの会社に入った新人だよ」

「新人の一ノ瀬リリィなのです!」


 一ノ瀬。それは俺の苗字である。果たして偶然だろうか。猛烈に嫌な予感がするぞ。


 胡乱げな目を向けられても、リリィの笑みは崩れない。続いて悠里に視線を移すと、すっと目を逸らされた。


「おい、どういうことだ?」


 思わず低い声が出る。しかし、悠里は欠片ほどの動揺も見せず、貼り付けたような笑顔で答えた。


「ええと、ね。身元引き受け人が必要なの。だから、お願いね」


 って、それだけかよ!

 なんか込み入った事情があるんじゃないのか!?


「なんで俺なんだよ!」

「まあまあ。少し声を抑えた方がいいんじゃない? 近所迷惑だよ」

「ぐっ……」


 余裕げな表情の悠里にイラッとくるが、確かに変な噂が立って困るのは俺だ。冷静になるために、大きく息を吸って、大きく吐く。その間、悠里とリリィは何やらこそこそ話をしているようだ。


 ようやく頭が冷えてきたところで、リリィがすっと前に出てきた。


「ダーリンは嫌なのです?」


 少女が上目遣いで聞いてくる。この状況はちょっとマズい。具体的に言えば、人に見られると良くない。俺の社会的な立場にクリティカルヒットしそうだ。


 この場合、受け入れるのがマズいのか、断るのがマズいのか。ともかく、長引かせてはダメだ。時間が経てば経つほど見られるリスクは高まる。


「いやじゃないが、驚くだろうが」

「だったら、リリィをここに置いて欲しいのです」

「いや、それは……」


 リリィの見た目は未成年の少女。さすがに、独身の俺の家に置くのは外聞が悪い。


 悠里も俺の懸念は理解できているらしい。まあまあと言いながら、力業に出た。


「せっかく妹が尋ねてきたんだから、面倒見てあげてよ! それが兄としての義務だよ!」

「そうなのです! ダー……お兄様、お願いなのです!」


 不自然に大きな声だ。まるで、周囲に言い聞かせるかのように。


 こいつら!?

 リリィが俺の妹だという設定で押し切るつもりだ!


「わ、わかった! わかったから、もうやめろ!」

「良かったね、リリィちゃん。翔も納得してくれたみたい」


 悪びれもせずに悠里が笑う。鬼のようなヤツだ……。


「できれば妻が良かったのですが……それは今後の課題なのです」


 平然と恐ろしい計画を口にする。さすがにそれはマズい。通報案件である。妹で良かったと思うべきか。


 頭が痛い……が、不思議と気鬱な気分は吹き飛んでいた。アルセイで一緒に冒険することはできなくなったが、そこで出来たつながりは途切れていないのだ。


「あ、そうだ。さっきも言ったとおり、リリィちゃんはうちの会社で働くことになったんだけど、翔もどうかな? 君のこと話したら、所長が気に入ったみたいで勧誘してこいって」

「リリィもダーリンと働きたいのです!」


 悠里とリリィが期待の目で俺を見てくる。


「その所長ってのが気に入ったのは、俺の体質のことだろう?」

「所長に関していえばそうかもしれないけど……」


 悠里が曖昧な表情で頷く。


 今回のことでわかったが、俺の体質はサイバノイド相手には極めて強力に働くらしい。悠里の会社に入れば、この力はきっと役に立つのだろう。


 だが――――


「俺はまだ諦めていない! この体質を改善して普通にゲームをするんだ!」


 俺の堂々たる宣言に、悠里とリリィは顔を見合わせる。


「いや……翔が普通にゲームするのは無理だよね?」

「リリィもそう思うのです」


 うるせぇ!

 俺はまだ諦めてないからな!


 絶対、ゲームを楽しんでやるから!


---

以上でアルセイ編終了です!

次話以降は別のゲームに殴り込み……の予定ですが、まだ先の展開は何も考えていません!

どんなゲームがいいですかねぇ?


他作品の更新もありますので、しばらく休載となります。

できるだけ早く更新再開できるよう頑張りますので気長にお待ちください。

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