32. デスゲーム

「くひ! くひひ! さぁて? 裏切り者はああ言って居るぞぉ? ならば、考えるまでもないな。そうだろぉ?」


 亡霊が嗤う。ニタニタと、ニタニタと。元の神官姿とは似ても似つかない姿だが、何故かイメージが重なる。


 まあ、本人なのだしな。ひょっとしたら、亡霊姿になったのは、隠しきれない本性を別の姿で誤魔化すためなのかもしれない。元の姿なら、普段とのギャップもあって、さぞや醜いだろうからな。


 ヤツを無視して、俺はリリィの檻へと近づく。一歩進む度に、亡霊が愉快そうに声を上げた。ナイフを拾ってすらいないんだがなぁ。アホなんだな。


「ダーリン……リリィはダーリンと会えて楽しかったのです。ありがとう」


 リリィがぎゅっと目を閉じる。はぁとため息が出た。コイツもか。


「アホ」

「はわぁ!?」


 小刻みに震えるリリィの額に、デコピンをする。予想外だったのか、リリィは面白いほどに跳び上がり額を抑えた。涙目で俺を睨んでくる。


「な、何するのですか! ふざけてる場合じゃないのですよ!」

「いや、あまりにアホなことを言うからな」

「何がアホなのですか! リリィは真剣なのです!」


 まあ、それはそうなんだろがなぁ。


「いいか、リリィ。俺たちはデスゲームを止めに来たんだ。それなのに、ナイフで刺してどうする。それがフラグになってんだぞ。その瞬間からデスゲームの始まりだ」

「あう? それは……でも、リリィはサポートAI。刺されてもデスゲームは始まらないです!」


 リリィが反論するが……それはどうなのかね。


 デスゲームのフラグインベントは“魂”がキーワードになっている。要はディルリブルに魂を捧げることによってデスゲームが始まるというような設定なのだろう。


 さて、この魂とはなんだ。あくまで俺の意見だが、人格、趣味、嗜好。肉体以外の全てをひっくるめて魂と呼ぶのではないかと思っている。


 サポートAIであるリリィに現実での肉体はない。だが、魂はどうだろうか。


 リリィは作られた存在だが、その行動は自由だ。俺の意志通りに動くわけではないし、ましてやディルリブルとやらに唯々諾々と従うような存在ではない。はっきりとした自我を持つ一個体だ。魂を持たないとはとても思えない。


「俺はあると思うぞ。お前に魂は」

「ふぇ?」


 俺の言葉にリリィが間の抜けた顔を見せた。魂云々は単なる俺の推測にすぎない。いきなり言われても意味がわからないだろうな。


 まあ、別にいいんだ。ごちゃごちゃ考えを並べたところで、結局結論は一つ。俺はリリィを刺したくない。それだけなんだ。


「下がってろ」

「……何をするのです?」


 訝しげな表情で、それでもリリィが数歩下がる。それを見届けてから、俺は右手を肩の辺りに掲げた。


「ああ! その手があったのです」

「いや、忘れるなよ。だから、アホだって言われるんだ」

「むぅ。言い返せないのです」


 俺のやろうとしていることがわかったらしい。すでにリリィの表情に悲壮感はない。いつもの眠そうな表情だ。


「念のために頭は守っておけよ」

「爆発は勘弁して欲しいのです」

「それは俺に言われても困る」


 何をするかと言えば、当然、チョップである。右手の指を揃えて、横にいだ。手刀は何の抵抗もなく檻を切り裂く。さらに、今度はその下部に右手を走らせた。


 檻は鉄格子のように縦方向に伸びる金属棒で構成されている。その上下二カ所が切断されればどうなるか。当然ながら、支えを失う。金属棒はゆっくりと倒れ、カランと地面に転がった。


「ダーリン! ただいまなのです!」

「はいはい。おかえり」


 開いた穴からリリィがぴょんと飛び出してきた。普段とは逆の挨拶だな。


「なぁ!? 何が起きた?」


 亡霊が叫ぶ。目の前で起きたことが信じられないらしい。まあ、無理もないよな。理不尽すぎる。


 だが、ヤツに付き合っている暇はない。纏わり付いてくるリリィをそのままに、ウェルンとユーリの檻もバラバラにして、二人を解放した。


「爆発はしなかったね。良かった」

「ショウのことだから、檻は壊せると思ったけど、それだけは心配だったよね」


 ウェルンは胸をなで下ろしているが、ユーリは余裕の表情だ。図太さが違うな。


 とはいえ、二人とも、俺が檻を壊せたことには疑問を抱いていないようだ。かくいう俺もそうだ。この期に及んでは、自分を誤魔化すのも難しい。認めざるを得ないだろう。俺の右手はゲームを壊す!


「馬鹿なぁ!? 不壊の檻だぞ? こんなことは人間にできるはずがない!」


 亡霊……から再び元に戻った神官男が喚く。動揺のせいか、言葉遣いが荒い。本性が隠し切れていないな。


 どうやら現実を直視できないらしい。できるわけがないも何も、できてしまっているのだから、喚いても仕方がないだろうに。


 相手をしてやる義理もないので、神官男は無視して鍛冶鎚の置かれた台座へと向かう。さっさと壊しても目的を果たしてしまおう。


「何を……貴様、待て……まさか!」


 ようやく我に返ったのか、神官男が俺に制止をかけるが、もう遅い。というより、アイツの言葉を聞いてやる理由がない。


「ていっ!」


 軽い掛け声とともに手刀を振り下ろす。ゴツンと鈍い音を立てるや否や、手刀をぶつけたハンマーの頭の部分が粉々にはじけ飛んだ。残ったのは柄だけ。こうなってしまえば、ちょっと豪華な棒きれだ。


「おかしい……おかしい、おかしい! 人間にこんなことができるはず……できるはずがない!」


 神官男は頭を振り乱し、必死の形相で現実を否定しようとしている。


 気持ちはわからないではない。というか、俺もおかしいと思う。何で、簡単に壊れちゃうんだよ!


 とはいえ、何を今更、だ。


「他のフラグアイテムが破壊されたことは知ってるんじゃないのか?」

「な、何? まさか、捧魂の剣も封印石も、裏切り者ではなく、貴様が壊したというのか!?」


 ああ、なるほど。

 コイツ……というか、ディルリブルはリリィがフラグアイテムを壊して回っていると思ったのか。AIならばデータを書き換えてオブジェクトを消失させることができても不思議ではないと考えたのかもな。


 それなのに、実際は人間がただのチョップで壊していたのだ。そりゃあ、混乱するか。


「貴様は……貴様は危険だ! ここで排除しておかなければ!」

「ちっ!」


 神官男の手にはナイフが握られていた。例の[魂狩りの短剣]だ。いつの間にか、拾い上げていたらしい。


 さっきまでは人間など取るに足らないと見下した態度だったが、俺が檻やハンマーを破壊したことで脅威となると見なしたらしい。迷惑な話だ。


 ナイフを腰だめに構え、神官男が突進してくる。避けるのは容易いが、あえて迎え撃った。鍛冶鎚の残骸である柄を使って、ナイフを持つ手を強かに打つ。


「なぁ!?」


 驚きの声とともに、男の手からナイフが吹き飛んだ。


「馬鹿な!? 私には直接攻撃は無効……ぐふっ!」


 驚きのせいか、神官男が一瞬動きを止める。だが、俺がそれにつきあってやるはずもない。構わず神官男の頭を殴りつけた。


「そんな馬鹿なことが……ディルリブル様の定めたルールが破られるなど……!」

「どんな仕様があるのかは知らないが、これが現実だ!」


 鍛冶鎚の柄を放り投げて、拳を叩き込む。渾身の右ストレートが顔面に突き刺さり、神官男はまるでゴムボールのように跳ね飛んだ。そして、煙のようになって消えた。


 意外とあっけなかった。おそらく、戦闘用のキャラクターではなかったのだろう。いや、直接攻撃無効とか言っていたので、真っ当にやれば強かったのか? 残念ながら俺の体質とは相性が悪かったようだな。


「ダーリン、お疲れ様なのです!」


 リリィがパタパタと駆け寄ってくる。そのひたい目がけて、もう一度デコピンをお見舞いした。


「あだっ!? 何をするのです!」

「何をするじゃない。簡単に諦めやがって」

「それはその……だって」


 一人の犠牲でみなが助かるならという自己犠牲の考えはわからないではない。だが、それで助けられた方の気持ちも欲しいものだな。ときにはどうしようもないこともあるだろうが、諦めるのが早すぎだ。そういうのは足掻いて足掻いて、どうしようもなくなったときに考えるべきことだ。


 この想いは俺一人のものではない。きっとユーリとウェルンも同じだ。


 その二人が、バツが悪そうなリリィにそっと近づく。


「リリィちゃん。私たちは仲間なんだよ。一人だけ犠牲になるなんて言わないでよ」

「そうだよ。まだまだ、リリィ先生には配信のコツを教えてもらわないと」

「ユーリ……ウェルン……」


 二人を見上げたリリィの瞳が潤みはじめた。こらえきれず、リリィが俯く。ぽとぽとと滴が地面を濡らした。

 

「もう言わないのです。リリィ、もっと、みんなと一緒に遊びたいのです!」

「うん、そうだよね。ねえ、リリィちゃん。もし良かったら……」


 泣き止まないリリィをユーリが抱きすくめ、何かを告げようとする。しかし、その言葉は無粋な笑い声に遮られた。


「くく……くくく……茶番ですね」


 笑い声の主は、消滅したはずの神官男だ。どうやら、あの消滅エフェクトは擬装だったらしい。再び拾い上げたのか、ヤツの手にはナイフがある。


「まだ生きてたか。面倒くさいヤツだな」


 リリィたちを庇って前に出る。


 あのナイフは脅威だが、使い手の能力はさほどでもない。油断はできないが、俺ならば一撃もくらわずに対処できるはずだ。


 だが、そんなことは百も承知とばかりに神官男がニヤリと笑う。


「いえ、お手間はかけませんよ。私も無駄なことは嫌いなので」


 そう言うと、神官男はナイフを突き立てた。自分の腹部に。


「はははは! 逃がさない……貴様だけは逃がさない! そのためならば、ディルリブル様もお許しになるでしょう!」

「お前!」


 ナイフの刺さった腹部から、神官男の体が溶けるように消えていく。直後、視界いっぱいに赤文字で緊急を知らせるメッセージが表示された。


[強制的なアップデートが適用されます]

[ログアウト機能を凍結しました]

[これよりデスゲームへと移行します]


 どうやら、神官男の魂を贄に、デスゲームが始まってしまったらしい。

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