7. 転属願を出したのです

 何もない、どこともわからない平原で一人頭を抱える。八つ目は泣きながらどこかに消えてしまった。まったく、泣きたいのはこっちだって言うのに。


 過ぎたことを考えてもしかたがない。俺がアルサーを壊……辞めてからずいぶん経っている。きっと様々な技術的な進歩があったはずだ。仮にあの剣がクエスト進行において重要なアイテムだったとしても――そして、それが予期せぬ形で壊れたとしても、自動でシナリオを修正するくらいのことはやってのけるだろう。たぶん。


 だから、剣のことはいい。憂慮すべきは、八つ目を退けたというのに状況が変化しない点についてだ。他のプレイヤーが姿を現すこともなく、かといってクエストが進行する気配もない。


 ここから導かれる結論はひとつ。


「やっぱり、単なるワープの失敗だったか……」


 そう判断せざるを得ない。


 八つ目との遭遇はただの偶然。ヤツとの戦いが何らかのクエストだった可能性はあるが、俺がここに転移したこととは関係がなさそうだ。つまり、イベントを進行させても、街に戻れる可能性は低い。


「はぁ……仕方がない。運営に連絡して、正しい場所に戻してもらおう」


 これ関しては正真正銘何もしていない。俺の体質が原因かもしれないが……いやいや、何もしてないのに不具合が起こることなんて普通に考えればありえない。だから、これはバグなんだ。つまり、ゲーム運営の不手際。連絡すれば、すぐに対応してくれるだろう。


 俺の思考に反応して、視界の隅にメッセージウィンドウが出現した。[GMコールを実行しますか?]と表示されている。


 GMっていうのはゲームマスターの略称だったか。カッコいい名前だが、要は運営管理の権限を持つサポート担当者のことだ。まあ、最近だとAIが担っていることが多いらしいが。


 ともかく、GMに事情を話せばオリジスの街に戻してもらえるはずだ。メッセージに実行せよと念じれば、呼び出し処理は終了。あとは、担当者を待つだけ。さほど待つこともなく、その人物は現れた。


「はわぁ。ダーリン、こんなところにいたのですか。探したのですよ」


 背後から届いたのは聞き覚えのある声だ。というか、俺をダーリンなんて呼ぶのはアイツしかいない。


 視線を巡らせると、予想通り、眠たげな目をしたAI少女の姿があった。リリィだ。


「……なんで、お前がここに? キャラメイク担当じゃなかったのか?」

「転属願いを出したのです。今のリリィは冒険サポートAIなのです」


 顔の前に握った拳を掲げてみせるリリィ。気合い充分といったポーズだが、半分閉じかけた瞳とはミスマッチだ。


 とはいえ、彼女の言葉を裏付けている……かどうかはわからないが、服装も変わっている。もとは事務官の制服っぽい格好だったのが、今は稽古着っぽい服だ。


「転属とかできるのか?」

「もちろんなのです! 高度AIには人権が認められているのです。職業選択の自由というヤツですね」


 そう言えば、数年前にそんな話を聞いた気もするな。デジタル技術とは距離を置いて生きていたので、その手の話には疎くなるのは仕方がない。


 それにしても、コイツ、俺を探すために転属までしたのか? そんなことができるなら、キャラメイクをさっさと終わらせた意味がなかったな。また責任云々とか言い出されたら困るんだが……。


 思わず身構えるが、リリィの反応は意外なものだった。


「ここは危険なのです。長居しない方がいいですよ」


 両手をわたわたと振りながら、リリィが危険を説く。身振りで判断すれば慌てているようにも見えるが、のんびりとした口調なので緊迫感がない。


「何が危険なんだ? さっきからここにいるが、モンスターにすら出ないじゃないか。遭遇したのは紫のおかしなヤツくらいだ」

「紫のおかしなヤツ……? もしかして、影人に会ったのです!? だったら、すぐに逃げないと!」


 リリィの声が少しだけ緊迫感を増した……ような気がする。状況は理解できないが、コイツなりに焦っているのは確かみたいだ。それでも、事情もわからず逃げ出すのは面白くない。


「危険なのはわかったが、もう少し詳しく教えろ」

「むぅ、仕方がないですね。簡潔に説明するのです」


 リリィによれば、ここはプレイヤーに敵対的な影人という種族が出没するエリアらしい。特に危険なのが影人の王だ。八つの目と四つの耳を持ち、特殊な武器を持つ影人たちのボスなのだとか。


「影人の王が持つ捧魂ほうこんの剣で斬られるとダーリンは死んでしまうのです。絶対に戦ったらダメなのですよ!」


 どうやら捧魂の剣ってのは即死武器らしい。斬られただけで死ぬっていうのはたしかに厄介だ。


 とはいえ、もう心配する必要もない気もするな。


 話を聞く限り、その影人の王というのは、さっきの八つ目のことではないだろうか。特徴が見事に一致している。


 だとすれば、捧魂の剣とやらはソレのことに違いない。


「お前の足下にあるヤツか?」

「足下……なのです?」


 顎をしゃくって、確認してみろと指示する。リリィの視線が下へと向かった。そこに転がっているのは、真っ二つになった八つ目の剣だ。


「はわぁ!? 踏んじゃってたのです!?」


 慌てて飛び退くと、リリィはまじまじとガラクタと化した剣を観察する。


「ま、間違いなく捧魂の剣なのです!」

「やっぱりか。じゃあ、さっきの八つ目が影人の王だったんだな」

「意味がわからないのです! 何がどうなってこんなことに?」


 リリィがうるさいのでさっきの顛末を話してやる。それほど語るべきこともないのだが、リリィは「はわぁ」だの「ひへぇ」だの珍妙な声で相槌を打つので案外ノリノリで話してしまった。意外と聞き上手だな。


「お、おお。さすがダーリンなのです。リリィがこっそりステータス増し増しにしておいたとはいえ、全ての攻撃を避けるなんて」


 おい、今、何か聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。

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