6. ほぼ何もやってないのに剣が折れた

 どんよりとして薄暗い紫色の空。地面に生い茂っている下草は毒々しい濃紺だ。それを揺らす風は妙に生暖かく、ヘドロのような異臭がする。ところどころに生えてる黒い物体はよく見れば木のようだ。だが、完全に枯れていて、葉の一枚もない。


 見渡す限り、不気味な平原が広がっているだけ。建物のひとつもなかった。


「どういう状況だよ、これ?」


 誰とはなしに尋ねてみたが、答えは返ってこなかった。当然だ。周囲に人影も皆無なのだから。


 ……うん。これはあれだな。きっと、何らかのクエストイベントが始まったに違いない!


 個人で受注するクエストでは、イベント中、他プレイヤーの姿が見えなくなる仕様がある……はず。少なくとも前シリーズのアルサーではそうだった。


 だから、きっと、今はイベント中なのだ。


「来いよ、クエスト! ほら、かかってこい!」


 自分でもわけのわからないことを言っている自覚はある。いや、薄々気づいてはいるんだ。それでも認めるわけにはいかない。これがクエストイベントだと言い聞かせることで、どうにか心の平静を保っているのだから。


 周囲に視線を走らせながら、何かが起こるのを待った。だが、どんなに待っても変化はない。ただ、びゅうびゅうと風が吹く音だけがむなしく響いた。


「ああ、うん。だよな。わかってた。認めよう! どうやらワープに失敗したみたいだ」


 さすがに自分を騙しきれなくなった。仕方なく、その事実を受け入れる。


「だが、これはバグだ。悪いのはプログラムであって、俺が壊したわけじゃない!」


 誰に向けたわけでもない弁明だ。しかし、意外にもそれに反応する声があった。


「いったい、何を言っている? そもそも何故ここに人間がいるのだ?」


 背後から聞こえてきたのは渋い男の声。声音にははっきりと嫌悪感が混じっている。友好的な存在ではなさそうだか、そんなことはどうでもいい。


 来た、クエストが来た! 

 やっぱり、イベントだったんじゃないか!


「そうだよな! そんな簡単にゲームが壊れるわけがないよな!」


 ご機嫌で振り返ると、そこには不気味な大男がいた。名前は[レグド・フィルオール]だ。アイコンが敵対的な存在であることを示している。


 肌は濃い紫色で、おまけに目が四対、耳が二対ある。オリジスでは見かけなかったので、きっとプレイヤーには選択できない種族だ。


 印象としては戦士……いや、もっと位が上の将軍とか、そんな立場かもしれない。腰に剣をき、豪奢ごうしゃな鎧を身に纏っている。


「うーん、なんかボスっぽい風格だな。後々ぶつかることになる親玉の顔見せイベントだろうか」

「何をブツブツ言っている!」


 八つ目の男が苛立たしげに声を荒らげた。短気なヤツめ。いや、登場シーンを邪魔されれば怒りもするか。


「いや、悪かった。邪魔はしないから、どうぞイベントを続けてくれ」

「イベント? 貴様はさっきから何を言っているのだ!」


 確かに、せっかくゲームをやっているのに、メタ的な発言は興ざめか。


 黙って聞こうと口を閉ざすと、八つ目は鼻を鳴らして腰に手をやる。


「まあいい、せっかくだ。神より授かった魔剣の切れ味……試してみようではないか」


 言うなり、八つ目は腰の剣を引き抜いた。その剣身は黒く、禍々しい光を放っている。


「はは、死ねぇ!」


 八つ目が剣を振りかざし突っ込んでくる。なかなかの迫力だが、俺に動揺はなかった。動きは早いが直線的だ。落ち着いて観察すれば避けるのは難しくない。


「なにっ!?」


 避けられると思っていなかったのか、八つ目が驚きの声を上げる。


 もっとも俺も驚いている。どう見てもボスっぽいヤツの攻撃を、こうも簡単に避けられるとは。


 身体能力で言えば、俺よりも八つ目の方が断然上だ。だが、俺にはリアルでの格闘技経験がある。培った動体視力や勝負勘はVRMMOでも十分に活かせるということなのだろう。


「ははっ、やっぱりゲームはいいな!」


 楽しくなってきた俺は、再び斬りつけてきた八つ目の腕を掴むと、勢いを利用して後方に放り投げた。なかなかの勢いで八つ目が転がっていく。どうやら筋力もかなり強化されているらしい。


「な、なんだ貴様は! この俺が、こうも軽々とあしらわれるなど……そんなことがあってたまるかぁ!」


 八つ目が叫んだ。ヤツの目が赤く染まり、体からはオレンジのオーラのようなものが滲み出した。


 なんだあれ。第二形態みたいなものか?


 様子見に一歩後退すると、逃がすかとばかりにヤツが踏み込んでくる。その剣捌きはさきほどよりもキレがあるが、それでも見切れないほどではない。隙を見て反撃することは十分に可能だろう。


 だが、ふと思った。

 コイツ、倒しても大丈夫なのか、と。


 禍々しい剣。やたらと華美な鎧。見たことがない種族だし、雰囲気はボスっぽい。将来倒すべきボスの顔見せイベントかと思ったが、それにしては何故か本格的な戦闘が始まってしまった。


 だが、顔見せイベントなら倒してはダメな気がする。もしかして、負けることで話が進む感じか?


 だけど、それにしてはあまり強くないんだよな。本格的に攻撃したら倒せてしまいそうだ。負けイベントならそもそも倒せないはずだが……例の姫騎士が頭をよぎる。早まってはいけない。


 さて、どうすべきか。考えてみるが、どうにも結論が出ない。それもこれも八つ目が空気も読まずに斬りつけてくるからだ。しかも、何かを喚き散らしながら。こんな状況じゃ集中して考えることなど不可能だ。


「何故だ! 何故当たらないのだ! 俺は! 俺は神から力を授かった――」

「ええい、うるさい!」


 苛立ちが限界に達した。迷惑な攻撃を止めようと、八つ目が振り下ろす剣をチョップではたき落とす。ちょうど四十五度の角度で。


――ピシリ


 不穏な音がした。八つ目の剣に亀裂が入ったらしい。ひびはゆっくりと広がっていき、半ば辺りを横切った。ポロリと、上半分が分離する。剣は……完全に折れてしまった。


「なぁぁあああああ!?」


 八つ目の叫びが大きく響く。


「げぇええええええ!?」


 俺の叫びも木霊する。


 なんか意味ありげな剣があっさり折れちゃったんだけど!?

 

 いや、おかしいだろ。おかしい……はずだ。何故なら、ただのチョップで剣が折れるわけがない。つまり、剣が折れたのは偶然。俺の関与はないも同然と言える。


 そうだ! 何もやってないのに剣が壊れたんだ!

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