第2話
昼下がり。森から帰ってきた先生と遅めの昼食を取っていた時、コンコンと戸を叩く音があった。
「あら、ジーンさんかしら」
先生は口に含んでいたパンをいそいそと飲み込み、玄関へと向かった。扉の先には、顔の半分を真っ白な髭で覆った大柄な老人の姿があった。
「やぁ、マリオンさん。そろそろ入り用かと思ってね。食事中だったかい?」
浅く被った帽子のつばを少しあげながら、老人はにこやかに微笑んだ。ただでさえ小さな目がさらに細まり、皺だらけの顔に埋もれてしまっていた。
「こんにちは、ジーンさん。お気になさらないで。ちょうど食べ終えた所なんです」
急いで飲み込んだくせに、と僕は思った。
ジーンさんは月に一度、長い距離を歩いて川下の村からやって来た。ロバの引く荷台には油や塩などの様々な物品が載っていて、要望に合わせて物を交換してくれる。
「村の様子はどうですか?」
「ひどいもんでさぁ。若いやつが片っ端から兵に取られちまうもんだから働き手が足りなくてなぁ。なんとかこの冬は越せたものの、次はどうなるかってみんな不安がってるよ」
「……そうですか」
話し込む二人の方を見ていると、ジーンさんの膝の後ろに小さな人影がある事に僕は気がついた。ひょこひょこと動きながらこちらの様子を伺っているようだ。
「ああ、そうだ。紹介しなくちゃなあ。孫のリーンでさぁ。今、仕事を覚えさせている最中で。ほら、ちゃんと挨拶だ」
ジーンさんの大きな手に背中を押され、小さな影はポンッとこちらに足を踏み出した。
「……リーンといいます。どうぞ、よろしくお願いします」
小麦色のキャスケットを深く被り、動きやすそうなオーバーオールを着た少女がそこにいた。慎ましやかな挨拶とは対照的に目はキョロキョロと忙しなく動いている。この家への「興味」を隠しきれていない様子だった。
「あら、ご丁寧な挨拶をどうもありがとう。私の名前はマリオンです。こっちの男の子はトムというのよ」
先生は僕の方に振り向き、目配せをした。
挨拶をするように、というサインだ。
「……トムです。よろしく」
僕は立ち上がり、頭を掻きながらボソリと呟いた。先生はにっこりと微笑んだ。リーンはその大きな目を爛々と輝かせながら僕の姿を食い入るように見つめていた。
「トムはずっとここにいるの?」
「……うん」
「産まれた時から、ずっと?」
「たぶん……そうだよ」
先生が仕事の話をしている間、僕はリーンの相手をする事になった。
ジーンさんの目が離れた途端、リーンはここぞとばかりに僕を質問攻めにした。
「あなた、髪の色が真っ黒なのね。珍しいわ。お母さんの赤毛とは違うのね」
「お母さん……?」
「マリオンさんよ。お母さんでしょ?」
「……先生は、先生だよ。僕は、それ以外の言葉で先生を呼んだことはないもの」
「ふーん……ジジョウはフクザツって事かしら」
リーンは不思議そうに首を傾げた。
「まぁいいわ。ねぇ、トムは村に来ないの? 私、こんな所に同い年くらいの子供がいるなんて、知らなかったわ」
こんな所、とは随分と失礼な言い草だ。
「行かないよ」
「どうして?」
「行きたいって思わないもの」
「私たちくらいの子供が何人かいるわよ。ジャンにメープル、あとリンダも。人数が集まれば、色々な遊びができるわ。ひとりでいるよりも、ずっとずっと楽しい筈よ」
「僕はひとりじゃないよ。先生がいる」
「なぁんだ、甘えん坊さんなのね」
フン、と鼻を鳴らすようにリーンは笑った。僕は不快な心持ちになり、彼女に対してはワザとそっけない返事をするようにした。そんな僕の態度もお構いなしにリーンはその後もベラベラと喋り続けた。仕事を終えたジーンさんが連れ帰ってくれるまで、僕は一息をつくこともできなかった。
小さくなっていく二人の背中とロバのお尻を見送りながら、先生は僕に尋ねた。
「リーンとは仲良くなれた?」
「……僕、あの子好きじゃないよ」
「あら、そんな事言わないのよ。もうお友達なんだから」
友達なんかじゃない。僕はそう言おうとしたけれど、言葉がうまく出てこなかった。そのかわり、何故か熱いものが目の奥から込み上げてきて、僕は咄嗟に顔を伏せた。鼻の先にはエプロンを付けた先生のお腹があって、良い香りのするその場所に顔を擦り付けたい衝動に駆られたけれど、リーンに言われた「甘えん坊」という言葉が脳裏にチラついて、僕はただどうする事もなく、俯くことしか出来なかった。
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