タルミ

 気分の悪い戦だった。何度も酒を酌み交わした人々を、その村を今度は焼き滅ぼさなければならないとは。

 第一ムクに自らの、「神が見える」という素性を黙っていなければいけないのが癪だった。折角の同胞だというのに。折角同じ境遇を打ち明けられる者が現れたというのに。酒の勢いに任せて打ち明けてしまえていればどれだけ楽だったか。だが水天様にはどうあっても逆らえなかった。

 水天様は俺に大和に服従するよう伝えた。俺はそれの意味するところを理解して初めて水天様に抗った。


   ◆


「それは、隣村を裏切れという事ですか! せめて隣村にも……」

「駄目だ。隣村とミシャグジは切り捨てる」

「どうして!」

 水天様は衣を翻した。

「一つに、まず私達は大和からの信用を十全に受けていない。信用には貢物が必要だ、土地や人と言うな。それともう一つ、あの村は既に……いや、あの村の神は、と言うべきか。あのミシャグジは神にしては余りにも人に近すぎる。殆ど神の存在しない、空洞の村も同然なのだ。聞けば彼女は物も食べれば眠りも取るという。タルミよ、私が眠っているところなど見た事はあるか?」

「……いえ」

「当然だ。私は眠らない。神は眠らないものだ。しかし奴は我々と根本から異なるがゆえにそれらを必要とする。奴は様々な精霊の群体だ。普通神は海の精霊や山の精霊と言った、帰属を等しくする精霊の集合や人の思想観念がある種結晶化して生まれるもの。だが奴はそれと在り方を全く違えている。

「奴があのような形を取れている理由は『人の傍に居たい』と言う精霊自身の願望、それ一つに集約される。帰属を全く異にする川の精霊や石の精霊と言った者達の中で『人の傍に居たい』と思った精霊だけが集合し、あのような形を取るに至った。

精霊でありながら神ではなく人を目指したのだ。

「それ故に奴は何をも司らず、ある意味ではその地にある全てを司る。それはあらゆる精霊が集合して発生した存在だからだ。それは奴の長所ともなり得るが、力の弱い現在では依然として短所に過ぎない。戦一つにしても、血の精霊だけが集合した精霊に血とは無縁の精霊たちが集まったところで、仮にその中にいくらか血の精霊がいたとしても太刀打ちできるはずがないからだ」

 俺には水天様の言っている事は、その半分も分からなかった。ただ向こうの神様は水天様に比べると、遥かに弱いらしいという事は分かった。

「だからって……あなたと比べて程度が低いからと言ってあの村を残忍に裏切るのですか! あなただって何度もあのミシャグジと酒を飲んだ仲でしょうが!」

「私はそんな話をしたのではない。程度が低い、と言うのも正確な評価ではない。単に根本から異なる存在と言うだけだ。私は実際にミシャグジの事を大事に思っている。だからこそあの村は滅ぼさなければならないのだ。私が関与している状態で」

「……?」

「いいか、タルミ。緒戦の戦果により、大和にとって我々の危険度は日ごとに増している。次に来る軍勢はこれまでのものとは比べようもない、大陸へ渡ったとしても相応の戦果を持ち帰る事の出来るだけの大軍勢だ。私はせいぜい未来を見ることが出来るに過ぎない。見えたとしてもどうしようもないのだ。お前たちが一人あたり三百人の敵を屠れるというなら別だがな。

「そうである以上、我々の取り得る選択肢は滅亡を除いて服従のみ。大和に恭順の意を示しその信用を得ることが出来ればこの村は生き残ることが出来る。逆に、そうしなければこの村の人間は余さず殺され私とて無事では済まない。無用な血が流れるだけなのだ。ミシャグジたちとてただでは済まず、大和の神はかの神を徹底的に殺すだろう。

「これを隣村に伝え、先手を打って向こうが大和に服従したとしたら? 馬鹿でない限り同じことを考えるだろう。我々が生き残るためには抜け駆けして大和に恭順の意を示し、隣村の背後を取るしかない。隣村の戦略は私の予言次第だ。私の言葉一つでムクもミシャグジも簡単に手玉に取れる。それに我々が戦いの主戦力となれば、隣村の生殺与奪も我々が握ることが出来る。ミシャグジは大和の神の手にかからず、私の手によって生かすことが出来る」

 理にかなっている。かなってはいるが……だが、隣村の人達は?結局助かるのは、あなたが助けたいのはミシャグジだけではないのか? 俺たちはつまり、彼らをこの手で……

「お前の妻子の顔を思い浮かべろ。お前の情けは、その妻子を血の海に浮かべるよりも重いものなのか?」

 俺は目を瞑るしかなかった。最初から最後まで、俺はあのムクという気のいい若者を裏切るしかなかった。


   ◆


 大和の軍勢と合流し隣村に掛けた奇襲作戦は拍子抜けするほど上手くいった。日取りも水天様が決め、俺が伝えたものだ。水天様にはこの日隣村が祭りを行う事も見えていたのだろう。

「燃やすのだ‼ 私を嘲ったこの村の、灰一つとて残すでないぞ‼」

 馬の上で前とは異なり鎧を身に着けた大和の貴族が叫んでいる。はじめて隣村と共闘した時に馬の上で蹲っていたあの男だ。腐ったような笑い声が酷く耳に触る。後ろから突き殺してやればどれだけ胸がすくかと思ったが、理性はそれを許さなかった。第一そいつの隣にはやはりあの時の将が控えている。

 ビウと言う風切り音と共に何かが俺の頸目掛けて飛んできた。慌てて片手で持った剣でそれを打ち落とすと重い痺れと共に剣の刃毀れが見えた。見覚えのある鉄の戦輪。その持ち主には嫌と言うほど覚えがあった。

「ムク‼」

 俺はそれの飛んできた方へ向けて叫んだ。甲冑も付けていない奴の姿が目に映った。ムクは次の戦輪を構えていたが、俺の姿を認めるとその構えをゆっくりと解いた。

 悲鳴と何かの燃える音の中で、奴の問いはいやに通って聞こえた。

「どうして、あなたが?」

 数奇なものだ。因果なものだ。舌打ちをして答える。

「……俺と来い、ムク! お前だけじゃなくてもいい、今生きている奴全員集めて来い! 降伏すれば命だけは助かる! 俺が助けてやるから‼」

「おい、お主! なにを……」

 後ろからあの貴族の声がしたが、途中で途切れた。隣の将が制止したのだろう。

 頷いてくれ。降伏すると言ってくれ。その後で俺がどうなろうと構わない。ただ俺はこの手でお前を殺したくない。折角出会えた仲間をこの手で殺さなきゃいけないなんてのは、あまりにも間違っている。

 だが奴はそんな俺の思いとは裏腹に、また戦輪を構えた。俺は必死になって奴に叫んだ。

「ムク! 言っている意味が分かるだろう!? 俺たちは何もお前たちを殺したいわけじゃない! ただ大和に従うと、そう言ってくれればいい!」

 この戦の目的はこの村の征服のはず。それは殲滅を必ずしも意味しない。将が貴族の言葉を制止したのはその証だ。

 だがやはりムクは譲らなかった。

「タルミさん。残念です。僕たちは大和の民ではなく、ミシャグジ様の民ですから」

 ミシャグジ。そうだ、あの神はどこにいる?村がこんな風になっているにもかかわらず、あの神は……

「ムクよ。じゃあその神はどこにいるんだ?困っているお前たちに救いの手を差し伸べるお前たちの神はどこにいるんだ? お前たちを救おうとしない神の為に、お前のようなものが血を流す必要は」

「タルミさん。それ以上言うなら、僕はいよいよあなたを明確に敵と認めます」

「……何故だ! 何故そこまでしてその神を信じる! その神がお前たちの為に何かしたのか!? お前たちが命を賭してまで守る程の意味が、あの神にあるのか!?」

 ムクは何かを感じたようにピクと体を動かすと、片手に戦輪を、片手に剣を抜いた。失言に気が付いたのはその時だった。『その神』と言うべきだったのだ。ぽつぽつと雨が降り出した。水天様。あなたにはこうなる事も見えていたのですか。ムクは言う。

「そう言う事だったんですね。あなた達は初めからこうするつもりだったんだ。……ねえ、タルミさん。見えるんでしょう? ミシャグジ……僕の『姉ちゃん』が」

 周囲の温度が下がっていくような気がした。違う。違うんだ。俺はお前を裏切りたくなんてなかった。ずっと友でありたかった。叶うなら腹を割って二人にしか分からない、下らない様な事を話し合って笑いあっていたかった。やっと見つけたんだ。やっと俺と同じ悩みを持って、何一つ包み隠さず心の底から笑い合える奴を見つけられたと思ったのに!

「……見えてた、見えてたさ! だが‼」

「ならわかるはずです。姉ちゃんは神なんかじゃない。僕は少なくとも、一度だって姉ちゃんの事をそう思った事はない!」

 あの少女のような見た目をした神の姿が脳裏をよぎる。

「姉ちゃんは、僕達の友達で、僕の『姉ちゃん』だ‼」


   ×


 ムクの攻撃は、かつて肩を並べて戦った中でも全く見なかったほど壮絶だった。俺はその意味をようやく理解した。

 こいつは……こいつらは、この村は、『神』のために戦っているんじゃない。それならその信仰を捨てればいいだけだ。目に見えない『神』だけのために揃って自ら死にに行けるほど人類は強靭な意思を有さない。

 彼らは『肉親』のために戦っていたんだ。自分達とは切っても切り離せない、友人にして肉親のために。妻子の顔が浮かぶ。妻子の為に命を差し出せと言われたら?命を賭して戦う事で、それが守られるとしたなら、あるいはその可能性が少しでも増えるとしたら? 俺は迷わずそうするだろう。

 それなんだ。こいつらの戦う理由は。

 水天様。あなたはここまでご存じでしたか。ご存じであったのならば、どうして言ってくださらなかったのですか。俺に口止めをしたのも、こうなる事が分かっていたからなのですか。俺達は所詮あなたの駒に過ぎないのですか。だとすれば、だとすれば……

 俺はもう、何を信じていいのか分かりません。


 激しくなった雨の中、ぼろぼろになったムクの肩に剣を置く。青銅の剣は悲鳴と雨を浴びて鈍く光っていた。

 悍ましい。この世の全てが悍ましい。何より自身が悍ましい。

 けれど。お前を生かしておいたなら、それは何より苦しい事に違いない。

「……すまない」

 やっとの思いで、そう言った。ムクは立ち上がる事も出来ないままに、滂沱となった雨空を見上げ、火に灼けてかすれた声で誰かへ言った。

「ごめん、姉ちゃん」


   ◎

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ある神の話 @Rak_Kyo

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