第49話

 駅の改札には会社や学校に向かう人々が溢れていた。電車が到着したのだろう、ホームから一斉に改札へと人がなだれ込んでくる。その様子を音羽は少し背伸びをしながら見つめていた。すると人混みの中から一人の少女が手を振りながら改札を抜けて走ってくる姿が見えた。

 音羽はホッと安堵して「おはよう、理亜」と目の前に立った彼女に笑顔を向けた。


「はよ。あー、通勤ラッシュって辛いわ」

「久々?」

「むしろ初めてかな。大人になってもこういうのには乗りたくない」


 苦笑いを浮かべる理亜の様子は元気そうだ。そしてどこかスッキリしたようにも見える。


「わたしも嫌だなぁ。毎日こんな満員電車に乗るの」


 音羽は答えながら理亜の首元に視線を向けた。今日の服装はジャケットにTシャツ。その首元には赤い石がはめ込まれたペンダントが揺れていた。

 音羽は思わず微笑み、自分の首元に手をやる。その動きに気づいたのか理亜が「あれ?」と首を傾げた。そして自分のペンダントに視線を向けてからニヤリと笑う。


「お揃いかぁ。言ってくれたらよかったのに」

「うん……。理亜が嫌だったら外すけど」

「なんで? いいよ、そのままで」


 理亜は嬉しそうに笑うと、音羽の手を掴んで引っ張った。


「行こ。こっちだよ」


 まるで今からどこかへ遊びに行くかのような雰囲気で彼女は歩き出す。しかし、これから向かうのはカフェでもショップでもない。警察署だ。それでも理亜は楽しそうな様子で「そういえば瑠衣は?」と話し始めた。


「まだ音羽のとこ泊まってんの?」

「あ、ううん。昨日は家に帰ったみたい。朝、出てくるときに連絡したんだ。理亜と警察に行くって」

「へえ。なんて言ってた?」

「両親には事情を話しておくって」

「そっか。まあ、しょうがないよね。下村にも言った?」


 駅舎から出てバスロータリーをぐるりと歩きながら音羽は「うん……」と頷いた。


「どうしようか迷ったんだけど、さっき廊下で会っちゃって」


 すると理亜は息を吐くようにして笑った。


「どうせあいつのことだから偉そうに、それでいいのよとか言ってたんじゃないの?」

「え、すごい。正解」


 音羽は目を丸くして彼女を見た。理亜は得意げに笑って「やっぱりなぁ」とロータリーを出発するバスに視線を向けた。そのバスの乗客はどうやら高校生ばかりのようだ。


「あいつ、よく学校サボること見逃したね」


 バスを見つめながら理亜が言う。そういえば確かに何も言われなかったなと思う。

 音羽が寮を出たのは早朝。生徒たちはまだ食堂に集まっている時間帯だった。部屋から出たときに彼女と会ったので偶然だと思っていたのだが、そうではなかったのかもしれない。もしかすると彼女は音羽を食堂に誘いに来てくれていたのかもしれない。しかし音羽の言葉を聞いて送り出してくれた。今までなら、きっと引き留めていたはずなのに。


「たぶん、下村さんも理亜のこと心配してくれてるんだよ」


 遠くなっていくバスを見送りながら音羽は言う。すると理亜の「いや、違うんじゃないかなぁ」と笑いを含んだ声が聞こえた。視線を向けた先で彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。


「え、なに?」

「いやー、こないだあいつの家で話してるときに思ったんだけど、下村って音羽のこと好きなんじゃないの?」


 それを聞いて音羽は思わず笑う。


「それ、瑠衣ちゃんも似たようなこと言ってたよ」

「え、そうなの? じゃあ、やっぱりそうなんじゃない?」

「んー」


 音羽は少し考えるように横目で理亜を見る。そして「そうかもね」と微笑んだ。


「いや、なにその反応。ちょっと、音羽?」


 理亜が妙に慌てた様子で目を見開く。音羽は「別にいいじゃん」と微笑んだまま、理亜と繋いだ手を軽く振った。


「それより、行こうよ」

「……うん」


 不服そうな表情で理亜は頷く。繋いだ彼女の手は柔らかくて、冷たかった。

 警察署までは駅から徒歩で十分ほど。目的地が近づくにつれて理亜の口数は減り、歩幅も小さくなっていく。繋いだ手にも力が入り、表情には余裕がなくなっていた。そして警察署の敷地に入る直前、ついに彼女は立ち止まってしまった。


「理亜」


 彼女の名を呼びながら音羽は硬く握られた右手を軽く揺らす。彼女は引きつった表情を音羽に向けた。


「大丈夫だよ。わたしがいる」


 そう言って音羽が微笑むと、彼女もわずかに微笑んで頷いた。そしてゆっくりと足を進める。

 初めて入った警察署は思ったよりも一般人が多かった。どうやら一階は免許関係の受付を行っているらしい。制服を着た警察官たちはその対応に追われているようだ。


「タイミング悪かったかな……」


 呟きながら音羽は署内を見渡す。誰でもいいから手の空いている職員を見つけて坂口に取り次いでもらわなければ。

 そう思いながらキョロキョロしていると「どうかされましたか?」と若い男性の警察官が声をかけてきた。その瞬間、繋いでいた理亜の手がビクリと揺れた。音羽は安心させるように彼女の手をギュッと握りながら「坂口さんに取り次いでもらいたいんですけど」と警察官に言った。彼は不思議そうな表情で首を傾げる。


「坂口、ですか?」

「女の刑事さんで」

「ああ、坂口巡査部長ですね。お知り合いの方でしょうか?」

「はい。崎山と言います。名前を伝えてもらったらわかると思うので」

「わかりました。少々お待ちください」


 彼はにこやかに頷くとカウンターの奥へと入って行った。少し首を伸ばして彼の動きを眺めていると、どうやら内線で呼んでくれているらしい。


「いるかな、坂口さん」

「……さあね」


 答えた理亜の声は掠れていた。音羽が視線を向けると彼女はどこか緊張した面持ちで床を見つめている。


「理亜――」

「崎山さん?」


 音羽が口を開いた瞬間、女の声が聞こえた。そして階段を駆け下りてくる靴音。視線を向けると坂口が目を丸くして音羽を、いや、理亜のことを見ていた。


「崎山さん、彼女は――?」


 呆然とした表情で呟きながら彼女は理亜の前に立つと、その顔を覗き込む。


「宮守、さん……? え、どういうこと?」


 呟きながら坂口を音羽へ視線を向ける。


「どこかでお話できますか?」


 音羽の言葉に彼女は一瞬ぼんやりとしたが、すぐにハッとして「そ、そうね。とりあえず上へどうぞ」と音羽たちを二階へと促した。

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