最終章 告白
第48話
翌朝。起床した瑠衣はどこか元気のない様子だったが、特に何か言うでもなく窓から出て行ってしまった。学校へ行くのか、それとも家へ帰るのかわからない。今日ここへ戻ってくるのかも聞いていない。これからどうすればいいのかということすら、何も話し合っていないままだ。
音羽は教師が黒板にチョークを走らせる音を聞きながら机の下でスマホを見つめていた。
理亜から連絡はない。こちらからしてもいいのだろうか。それとも彼女からしてくれるのか。
別れ際、彼女は考えてみると言っていた。その考える時間はどれほど必要なのだろう。その間、自分はどうするべきだろう。理亜のためにできることは何かないのだろうか。
音羽は授業を聞くこともせず、放課後になるまでスマホを見つめながらずっとそんなことを考えていた。涼もまた授業は上の空だったらしく、友人から心配されている声を何度か聞いた。しかし彼女が教室で音羽に話しかけてくることはなかった。
なんとなく悶々とした気持ちを抱えたまま寮に戻り、ぼんやりと時間が過ぎるのを待つ。
生徒たちの声で騒がしかった廊下はやがて静かになり、窓の向こうには暗闇が広がっていく。寮内がひっそりと寝静まった頃になっても瑠衣が戻ってくる気配はなかった。どうやら涼も今日は来ないようだ。食堂にも行っていないので、彼女がどんな様子なのかはわからない。
これがいつも通りだったはずだ。誰もいない部屋で一人過ごす時間が。それなのに寂しく思ってしまうのはなぜだろう。理亜がいないからだろうか。
考えてから音羽は薄く微笑む。そうではない。いつの間にか瑠衣や涼の存在が自分の中で大きくなっていたからだ。あの二人がいない部屋は静かすぎて寂しい。
音羽は小さく息を吐いて電気を消すとベッドに上がり、仰向けに寝転んだ。暗い天井を見つめながら耳を澄ませる。本当に静かだ。夜更かしをしている生徒もいない様子。
――眠れない。
何度か目を閉じてみたものの、まったく眠気はやってこない。音羽は身体を起こすと壁に背をつけて座った。そして枕元に置いていたスマホを手にして画面を確認する。そこに何も通知はなかった。誰からも。
音羽はスマホを手にしたまま両足を抱え込む。瑠衣が来るようになってからカーテンを閉めなくなった窓からは淡い街灯の光が差し込んでいる。音羽はもう一度スマホの画面を光らせて時刻を確認する。午前二時三分。
朝までこのまま座っていようか。もしかすると明け方に瑠衣が戻ってくるかもしれない。パンでも買って来た方がいいだろうか。
そんなことを考えていたとき、暗くなったスマホの画面が再びパッと光った。音羽は驚きながら画面を見つめる。着信だ。そこに表示されているのは理亜の名前。
慌てて通話をタップして耳に当てる。すると聞こえてきたのは息を吐くようにして笑う理亜の声だった。
「え、理亜? なに、なんで笑ってるの」
「いやだってさ、こんな時間に二コールで出るんだもん。普通は寝てるよ?」
まだ笑いながら彼女は言う。音羽はその言葉に自然と笑みを浮かべていた。
「だって待ってたもん。今日、ずっと待ってた。理亜からの連絡」
「――そっか」
聞こえたのは、一変して真面目な声だった。
「音羽、あのさ」
「うん。なに?」
「あれからわたし、考えたんだ」
「うん」
音羽は頷く。理亜は少しの間を置いて続ける。
「あいつの言う通り、今の状況は自業自得だよ。でも、でもさ……。あの時はチャンスだって思ったんだ。あの子が死んで、わたしがあの子になれるんじゃないかって。だってそうでしょ? もしかしたらわたしとあの子の育った環境は逆だったかもしれない」
「うん」
音羽は目を閉じ、理亜の言葉を一音も聞き漏らさないようにしながら頷く。
「でも、やっぱりわたしはわたしで、あの子にはなれなくて――」
「理亜はさ、理亜として生きるのは嫌だった?」
すると彼女は小さく息を吐いた。
「嫌も何も、いないじゃん。宮守理亜なんて、ただの偽物だよ」
「そんなことないよ。だって、わたしにとってはあなたが理亜だもん。たった一人の――」
そこで音羽は口を閉じた。理亜は自分にとっての何なのだろう。この気持ちを表現する言葉は何なのだろう。考えていると「たった一人の?」と不思議そうな理亜の声がした。
「うん。たった一人の、大切な人だよ」
微かに彼女が息を吐いた音が聞こえた。そして続く沈黙。
「――大切?」
小さな声。音羽は「うん」と頷いて微笑む。
「大切だよ。理亜は、わたしの大切な人」
「ふうん」
再び沈黙が広がる。窓の外から差し込む光が柔らかく揺れた。風でも吹いたのだろう。
「明日、さ」
囁くように理亜が言った。
「警察に行こうと思うんだ」
「そっか」
「音羽」
「ん?」
「一緒に行ってくれる?」
音羽は柔らかな光が差し込む窓へ視線を向けながら「うん」と笑った。
「いいよ。行こう、一緒に」
「うん」
スマホの向こうで嬉しそうに理亜が微笑んだような、そんな気がした。
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