第45話
「ねえ、死んでしまった子はどうなったの? 宮守家の子供として届けは出されてるんじゃないの?」
涼の問いに音羽は「それはわからないけど」と理亜を見ながら言った。
「でも死産だった場合は出生届も出さないらしいし。戸籍謄本には……」
「載ってなかった」
理亜が短く答えた。
「でも母さん、違法なことは何もしてないって言ってたからちゃんと正規の手続きをしたんだと思う。お金だって、理亜の養育費として一度だけもらったって言ってたよ。でもそれ以降は断ったって。理亜はうちの、宮守家の子供だから」
瑠衣の言葉に、理亜は「ふうん」と呟いて軽く笑った。
「そんなの、どっちでも一緒だよ。結局わたしは死んだ子供の代わりにされた。それがすべて」
「それを知って、あなたは香澄美琴と交流を持ったの?」
「いや。それを知ったのは美琴と仲良くなってからだよ。最初は、ただほんとに自分にそっくりな子がいるって偶然知っただけ。好奇心から会いに行って、それで仲良くなった」
「それって、もしかして中三の頃?」
「さすが委員長。名推理だね」
ピッと理亜は涼を指差す。涼は嫌そうに顔を歪めて「やめて」と理亜を睨んだ。
「でも、そう。なるほどね。あなたが変わったのって、美琴の影響だったのね……」
涼は少し考えるようにテーブルに置かれたルーズリーフを見つめると「つまり」と続けた。
「あなたは双子の片割れと再会して親しくなったけど、ピアノが弾けなくなった美琴は心が癒されることなく、ついに自殺したってことね? それを機に、あなたは美琴と入れ替わって生活を続けている、と」
理亜は無表情に涼を見つめていた。そこにどんな感情が込められているのか音羽にはよくわからない。わずかに細められた瞳には、何か複雑な感情が宿っているようにも見える。
「そう……」
フウッと涼は息を吐くと「あなた、何も悪くないのね」と理亜をまっすぐに見据える。瞬間、理亜が驚いたように目を見開いた。
「は?」
「だって、あなたが宮守家の子供になったのも美琴が死んでしまったのも、あなたのせいじゃないでしょ?」
「ようやくわかったのかよ」
瑠衣が涼を睨む。
「だから俺たちは理亜を助けたいって言ってんの。理亜は何も悪くないんだから」
涼は瑠衣を横目で見ながら「まあ、でも」と付け加える。
「美琴として生きてるっていうところが問題だと思うけどね。彼女が自殺したとき、その場にいたのに通報しなかったんだから」
「それは、たしかに……」
涼はため息を吐くと理亜に「香澄家のご両親は今の状況、知ってるの?」と聞いた。
「知ってるわけないじゃん。わたしを美琴だと信じてるよ」
「そう」
涼は頷き、そして首を傾げた。
「あなた、何がしたいの?」
「え、何がって……?」
「あなたは、これからどうしたいと思ってるの?」
真面目な表情で涼は真っ直ぐに理亜を見据えている。理亜は戸惑ったように視線を彷徨わせ「わたしは――」と口を開く。
「わからない」
「わからない、ね」
涼の声は冷たい。彼女は理亜を見据えたまま「それ、無責任だってわかるよね?」と続けた。
「たしかにあなたは悪くないのかもしれない、だけど今の状況を招いたのは美琴が死んだときにあなたが警察を呼ばなかったせい。それなのにこの状況から助けて欲しいって崎山さんたちにお願いするのは――」
「違うよ、下村さん」
思わず音羽は涼の言葉を遮る。音羽は彼女を見ながら「違う」と繰り返した。
「何が違うの?」
「理亜は助けを求めたわけじゃない。ただ聞いただけだよ。さっき、下村さんに言ったみたいに。人を殺したって言ったらどうするって。それでわたしは助けるって決めたの」
「そんなの……」
涼はなぜか怒ったような顔で「一緒じゃない」と低く呟いた。
「一緒? 違うよ。だって決めたのはわたし――」
「宮守さんからそう言われたら、きっとあなたは助けるって言う。そんなの簡単に予想できるじゃない。宮守さんはあなたがそう答えるって分かってたんじゃないの? ねえ、違う?」
少しずつ声を荒げながら涼が理亜を睨みつける。すると理亜は視線を俯かせてしまった。
「そうかもね」
音羽はそんな理亜を見つめながら「関係ないよ」と微笑んだ。視線を上げた理亜は不思議そうに首を傾げる。
「理亜がわたしに何を求めていたとしても、逆に何も求めていなかったとしても、わたしは……。ううん。わたしたちは理亜を助けるって決めたと思う」
言いながら音羽は瑠衣に視線を向けた。瑠衣が力強く頷く。
「助ける、助けるって……。どうするつもり?」
涼の低い声は少し震えているように聞こえる。見ると、彼女は視線を床に向けて唇を噛んでいた。
「下村さん?」
思わず彼女の肩に手をかける。その手を彼女は強く掴むと「本人がどうしたいのかもわかってないのに、何をしようっていうの?」と視線を上げた。その鋭い目は理亜に向けられている。
音羽の手を掴んだ彼女の指がグッと食い込んでくる。
――確かに、その通りだ。
音羽は思う。結局、本人の意志を確認しないことには音羽たちには何もできない。何を優先させるべきなのか分からない。それを実感していたのだ。
実際、彼女は言った。もう何もしなくていい、と。それが彼女の本心なのだとしたら自分たちはどうしたらいいのだろう。
音羽は理亜へ視線を向ける。彼女はじっと音羽を見ていた。不安そうな、幼い子供のような目で。そして小さく口を開く。
「わたし、どうしたらいい?」
そう言った声はか細く、震えていた。音羽は思わず彼女に手を伸ばそうする。しかし片手は涼に掴まれたままだ。涼はさらに強く音羽の手を握ると「崎山さんに聞かないで」と押し殺したように言った。
「これは崎山さんの問題じゃない。あなたの問題でしょ。あなたが自分で決めなさいよ」
涼の声が震えているのは、きっと感情を押し込めているからだろう。必死に何かを我慢するように、強く音羽の手を握りながら彼女は続ける。
「あなたは、どうしたいの?」
「わたしは……」
理亜は泣きそうな表情で俯いてしまった。瞬間、瑠衣が「理亜をいじめるなよ!」と怒鳴った。彼女は立ち上がると音羽を飛び越えるようにして涼へと詰め寄った。
「なんで理亜をいじめるんだよ! お前、関係ないだろ!」
「いじめてないでしょ。よく考えて。わたしは当然のことを言ってるの」
それでも冷静に涼は言葉を返す。そのとき理亜がゆっくり立ち上がった。彼女は無言でキャップを深く被り直すとドアへ向かう。
「理亜?」
音羽が呼ぶと彼女は俯きがちに視線を向けて「ごめん」と微笑む。
「ちょっと、考えてみる」
そう言って彼女は視線を瑠衣に向けた。
「ごめんな、瑠衣。巻き込んじゃって」
「……さっきから言ってる。理亜は何も悪くない。俺が勝手に巻き込まれたんだ」
「そっか」
理亜はそれだけを言うとドアを開けた。
「どうして警察に通報しなかったの?」
部屋から出かかった理亜の背中に涼が問う。彼女は足を止めると振り向くこともなく「言ったじゃん」と答えた。
「盗んだんだよ。恵まれた人生を」
「その人生はどんな感じ? 楽しい?」
理亜は答えない。ただ彼女が俯いたのがわかった。音羽は思わず立ち上がって彼女の方へと足を踏み出す。しかし、理亜はそのまま部屋を出て行ってしまった。
――苦しいよ。
ドアが閉まる瞬間、理亜の声が聞こえた。
「理亜!」
しかし、そのまま彼女は出て行ってしまった。
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