第44話
涼の実家は公園から百メートルも離れていない場所にあった。公園から見渡した周囲は住宅街といった雰囲気ではなかったが、一本道を入ると一区画だけ民家が建ち並ぶ場所があった。
「結局コンビニ行けなかったから飲み物は何もないけど、文句言わないでね」
リビングのソファに座りながら涼は言う。室内に置かれた家具はほとんど使われた形跡もなく、まるで新品のようだった。両親はいつから海外で暮らしているのだろう。なんとなく涼の性格にも納得してしまう。きっと彼女はずっと一人で頑張ってきたのだろう。高齢の祖父母の迷惑にならないように、強くあろうと……。
「とりあえず座って」
涼が音羽を見ながら隣をポンポンと叩いた。音羽が大人しくそこに腰を下ろすと、その隣には瑠衣がドカッと座った。残っているのは一人用のソファだけだが、理亜はその場に立ったまま涼を見つめている。
「座らないの?」
「一つ、確認したいんだけど」
理亜は涼を睨むように見つめながら言う。
「わたしの話を聞いてどうしようっていうわけ?」
「それは話の内容によるけど」
「内容、ね……」
理亜はつまらなさそうに呟くとソファに腰を下ろして足を組んだ。そして薄く笑みを浮かべながら「じゃあ、教えてあげるよ」と挑発的な口調で続ける。
「わたしは人を殺した」
その瞬間、涼が表情を引きつらせたのがわかった。涼は理亜の言葉を見定めるかのように彼女を睨むと、制服のポケットからスマホを取り出してテーブルに置く。
「殺した相手は、この子?」
そこに表示されていたのは昨日の夜にも見た香澄美琴の画像。理亜はその画像を見ると無表情に「よく見つけたね」と言った。
「友達に彼女と同じ小学校出身の子がいるの」
涼は言いながらスマホの画面を見つめる。
「この子、あなたの何なの? 宮守さん」
「普通に考えたら何だと思う?」
質問に質問で返され、涼は戸惑ったように理亜へ視線を移す。
「え、普通に考えたら?」
彼女は少し考えてから「双子?」と首を傾げた。すると理亜は「正解」と笑って人差し指を涼に向けた。そしてソファの背にもたれてふんぞり返る。
「香澄美琴はわたしの双子。そしてわたしは彼女を殺した。以上、状況説明終わり。さ、どうする? 下村」
「どうするって……」
困惑したように彼女は眉を寄せる。
「それが本当なら、警察に――」
途端、理亜は声をあげて笑った。まるで涼が何か面白い冗談でも言ったかのように。音羽と瑠衣は呆気にとられて彼女を見ることしかできない。理亜はひとしきり笑うと目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら「あー、だよね。うん。そうだよ、普通は。下村の反応が本当の正解」と笑いが残る声で言った。
「普通はって……」
涼はさらに困惑した様子で音羽を見てきた。
「崎山さんたちは違うの?」
音羽と瑠衣は同時に頷く。そして顔を見合わせてから音羽は「助けようと思ってる。わたしたちは」と言った。
「……助ける?」
「そうだよ。理亜が今の生活を続けられるように助けるんだ」
「今の生活……?」
涼は呟きながら理亜を見る。
「今、あなたどうやって生活してるの? 家は?」
「あるけど?」
「は? なによ、それ。どこに住んでるの?」
「香澄美琴の家」
それを聞いて涼は言葉を失ったようだった。しばらくフリーズしたように動きを止めていたが、やがて「つまり」と額に手を当てながら口を開いた。
「今、宮守さんは香澄美琴として暮らしてるの?」
「そういうこと」
理亜は肩をすくめた。
「その生活を、あなたたちは守ろうとしてる?」
音羽と瑠衣は同時に頷く。瞬間、涼は「何を言ってるの……?」と信じられないものでも見たような顔で呟いた。
「わかってる? 宮守さんは人を殺したって言ってるの。なんで助けるの? 人殺しは罪でしょ。ちゃんと警察に行って償わないと――」
「でも理亜は悪くない」
涼の言葉を遮って瑠衣が言った。涼は怒ったような顔で「悪くないわけないでしょ!」と声を荒げる。
「人を殺したら、それがもう悪いことなんだから。それくらい子供でもわかる――」
「ストップ。下村さん」
音羽は涼の肩を掴んで彼女を振り向かせると、その頬を両手でパチンと挟んだ。涼は目を大きく見開いて動きを止める。
「一回落ち着こう。ね?」
音羽の言葉に彼女は小さく頷いた。それを確認してから音羽は手を離し、理亜の名を呼んだ。
「さっき公園で何か見せようとしてたよね。あれ、なんだったの?」
「ああ、あれか」
理亜は思い出したように床に置いていた鞄を膝に乗せると、中から封筒を取り出した。見覚えのあるそれは理亜が音羽に送ってくれた手紙に使われていたものと同じだった。しかし、中から取り出されたのは便箋ではない。何も飾り気のない白いルーズリーフだ。理亜はそれを開くと無言でテーブルに置いた。
「これって……?」
音羽は呟きながらそれを見つめる。そこには小さな文字で短い文章が三行のみ綴られていた。
ピアノが弾けない人生なんていらない。
もう疲れました。
さようなら。
その三行の後ろには『美琴』の文字。
「まさか、遺書?」
呟いた涼の言葉を、音羽はルーズリーフを見つめたまま聞いていた。
そう。これは遺書だ。少なくとも文面だけを見ればそう思える。
答えを求めて理亜へ視線を向けると彼女は力なく微笑んでいた。その笑顔を見て音羽は呆然とする。
「――殺してないの?」
理亜に向かって呟いた声は掠れていた。理亜は微笑んだまま小さく頷く。そして視線をルーズリーフに向けた。
「でも、見てたんだ。あいつが飛び降りるところを」
彼女はそう言って小さくため息を吐くと「で、盗んだ」と続ける。
「あいつの人生を、そっくりそのまま盗んだんだよ。わたしは」
「――ねえ、ごめん。わたしには話が見えないんだけど、そもそもどうして双子なのに違う家庭で育ったの?」
涼が遠慮がちに口を開いた。音羽は理亜を見たが、彼女は答える気がないようだ。
「理亜は、本当は香澄家の子供なんだって」
答えた音羽に涼は眉を寄せながら「養子?」と聞く。音羽は首を横に振った。
「生まれたのは香澄の家だけど、戸籍上は宮守家の実子」
「なにそれ……」
「宮守家の子供もね、理亜たちとほとんど同じ時間に同じ病院で生まれたんだって。でも宮守家の子供は生まれてすぐに死んだ。理亜たちの母親はまだ若くて双子を育てることはできないから、一人を宮守家の子供として渡したんだって」
「それって養子じゃないの?」
「売ったんだよ」
ふいに理亜が口を開いた。そして嘲笑を浮かべながら続ける。
「あいつらはわたしを宮守の家に売ったんだ。どうせ死んだ子供だって医療ミスか何かだったんだろ。それを隠蔽するためにわたしを売ったんだ。金まで渡して」
「そうじゃないって母さん言ってたよ」
静かな口調で瑠衣が言った。理亜は驚いたように目を見開いて瑠衣を見る。
「子供は死産だったのかもしれないって。でも、子供がどうしても欲しかった母さんはショックで双子の一人を自分の子供と信じ込んだんだって。だから父さんと香澄の人たちが話し合って理亜を宮守の実子として引き取ったんだって、そう言ってた」
「へえ。どこまで本当なのやら」
理亜は鼻で笑う。
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