第42話
学校では普段と何も変わらない時間が過ぎていった。音羽は一人で時間を過ごし、友人の多い涼はいつものように人に囲まれて時間を過ごす。その間、涼が音羽に話しかけてくることは一度もなかった。
普段から学校ではあまり話しかけてこないが、一言も話さないということは珍しい気がする。そのかわり彼女から視線を感じることが多かった。
きっと期待しているのだろう。音羽が自らすべて打ち明けることを。
しかし、やはりまだ話すことはできない。これは音羽だけの問題ではないのだから。
音羽は彼女の視線に気づかないふりをしながら授業を終え、下校時間になるとすぐに教室を出た。そのときですら背中には涼の視線を感じていた。見なくても分かる。きっと彼女は悲しそうな顔をしているのだろう。そう思うと胸の奥がチクリと痛んだ。
寮に帰ると、ベッドに仰向けに寝転んでスマホを見ていたらしい瑠衣が「おかえりー」と視線だけを音羽に向けた・
「ただいま。学校は?」
「行った。けど昼で早退した。で、寝てた」
「それ、行った意味あるの?」
音羽は苦笑しながら鞄を置くと私服に着替える。
「行ったことに意味があるんだよ」
瑠衣は身体を起こして背伸びしながら言う。どうやら目の腫れも引いたようだ。顔色も良い。彼女は着替える音羽を不思議そうに見ながら「どっか行くの?」と首を傾げた。
「うん……」
音羽は少し迷ってから「理亜に会う」と告げた。瞬間、瑠衣が目を大きく見開いてベッドから飛び降りた。
「今から? どこで?」
「海辺の公園」
「海辺の……?」
「ほら、あのタブレットに残ってた画像の」
それを聞いて思い出したのか、彼女は「ああ、あそこか」と頷く。
「近いの?」
「まあ」
「そっか」
言いながら瑠衣は窓に向かうと、そこに置いていた靴を手にした。聞くまでもなく一緒に行く気のようだ。音羽は笑って「じゃ、外で」と部屋を出た。
廊下には帰寮した生徒たちの緩くも和やかな雰囲気が広がっている。音羽は自然と涼の姿を探していた。しかし、まだ帰ってきていないらしい。
ホッとしたような、申し訳ないような、そんな複雑な気持ちを胸に抱えたまま、音羽は瑠衣と合流して海辺の公園へ向かった。
公園についた頃は、すでに夕方だった。晴天であれば真っ赤な夕焼けが綺麗な時間帯だろう。しかし今日は曇天。見上げた空は薄暗く、目の前に広がる海もどんよりと濁っているように見えた。
「理亜、まだ来てないな」
瑠衣が公園を見回しながら呟くように言う。音羽は頷き「待ってよう」と近くのベンチに腰を下ろした。
「ああ」
瑠衣は頷き、隣に座りながら浅くため息を吐いた。ちらりと見た横顔はなぜか沈んでいるようだ。
「……どうしたの」
「いや、なんで理亜は俺に連絡くれないんだろうと思って」
言いながら彼女はぼんやりと暗い海へ視線を向けた。音羽は答えるべき言葉が思いつかず、瑠衣と同じように海に目を向ける。
平日だからだろうか。公園に人の姿は少ない。天候のせいもあるのかもしれない。近所に住んでいるのだろう老人が犬を散歩させながら目の前を通り過ぎていく。
湿気を含んだ潮風は秋らしくもなく肌にまとわりついてくる。不快感と共に込み上げてくるのは不安。理亜と会って、果たして何を告げられるのか。そのことを考えると不安でたまらなくなってくる。それはきっと瑠衣も同じなのだろう。隣で浅く息を吐く音が聞こえた。
そのとき、背後で「あれ?」と聞き慣れた声が響いた。振り返ると黒いキャップを目深に被ったパーカー姿の少女が立っていた。
「理亜?」
「うん。ごめん。ちょっと待たせたね」
彼女はそう言うと首を傾げながら「瑠衣も来たんだ?」と近づいてくる。
「そうだよ。悪いかよ」
「んー? なによ、瑠衣。ご機嫌ななめ?」
理亜は言いながら後ろから瑠衣の首に腕を回して抱きついた。瑠衣は「別に、そんなんじゃない」と恥ずかしそうにそっぽを向く。
「瑠衣、まだ音羽のとこにいるの?」
「……うるさいな。いいだろ、別に」
理亜はフッと笑うと「迷惑かけんなよ?」と瑠衣から離れた。
「かけてねえよ」
「だといいけど」
理亜は苦笑しながらベンチの前に立つと音羽を見つめてきた。音羽も無言で彼女を見上げる。生ぬるい風が音羽たちにまとわりつくようにして通り抜けていった。
理亜はパーカーのポケットに両手を入れると「本当に助けるの?」と静かな声で言った。昨日の電話での会話の続きだろう。音羽は頷く。深く、はっきりと。
「……何も思わないの?」
そう言った理亜の言葉の意味がわからず、音羽は首を傾げた。
「人殺し」
呟くように言った彼女はまっすぐに音羽を見つめながら続ける。
「わたしは殺人犯だって言ってるんだよ。それなのに何も思わないわけ?」
「人越しは、悪いことだよ」
音羽はゆっくりと言葉を吐き出す。理亜はわずかに眉を寄せて頷いた。
「そうだね。悪いことだ。うん……。とても、悪いことだよ」
噛みしめるように理亜は言う。音羽は彼女を見つめた。苦しそうだ。何かに耐えているように彼女は視線を俯かせている。
「でもわたし、ちゃんと聞いてなかったから」
音羽の言葉に理亜は視線を上げて不思議そうな表情を浮かべた。その顔はまるで幼い子供のように綺麗で無垢に見える。そんな彼女を見つめながら音羽は一度深く息を吸い込み、そして言葉を続けた。
「本当に、殺したの?」
理亜はピクリと眉を寄せ、そして瑠衣へ視線を向けた。彼女はじっと座ったまま理亜の答えを待っているようだ。視界の端で、彼女が膝の上で拳を握ったのがわかった。やがて浅いため息が波の音に混じって聞こえた。
「殺した。わたしは、殺した――」
呟くように繰り返しながら理亜は一度視線を俯かせ、そして何かを決意したように音羽を見つめた。
「わたしは殺して、殺されたんだよ」
「なに、それ……」
音羽は眉を寄せる。
「どういう意味だよ、それ」
瑠衣もまた、同じように眉を寄せて理亜を見上げている。理亜は音羽から瑠衣へと視線を移すと、どこか諦めたような笑みを浮かべて背負っていた鞄のファスナーを開ける。そのとき、ふいに「え、崎山さん?」と声がした。
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