第七章 真意
第41話
翌朝。朝食の時間も終わり、寮内には忙しない雰囲気が漂っていた。生徒たちが登校の準備をしているせいだろう。そんな中、音羽は部屋着のままのんびりとパンを食べていた。
昨夜持ち帰った食べ残しだが、あまり食欲もないのでこれだけで充分だ。隣では瑠衣が眠そうにモソモソと音羽が渡したパンを食べている。泣きながら眠ったせいか、その両目が少し腫れてしまっている。
「牛乳もちゃんと飲んでね?」
「んー」
彼女は緩慢とした動きで頷く。まだ半分眠っているようだ。
――けっこう寝たはずなのに。
音羽は苦笑する。そのとき、部屋のドアをノックする音が響いた。
「……誰だよ。こんな早くから」
瑠衣はモソモソと口を動かしながら言うだけで、まったく隠れる気配がない。再びノックが響いた。
「しょうがないな」
音羽は立ち上がると、瑠衣が見えないよう気をつけながら少しだけドアを開けた。
「あ、おはよう。崎山さん」
そこに立っていたのはすっかり登校の準備を終えた涼だった。
「ほんとに迎えに来てくれたんだ?」
音羽が言うと彼女は「当然でしょ。やっぱり崎山さん、まだ準備してないじゃない。部屋着のまま」と眉を寄せた。
「食堂にも来てなかったし」
「ああ、うん。ちょうど今、朝ご飯食べてて」
言いながら音羽は彼女を部屋に招き入れる。涼は部屋に入るなり嫌そうに顔をしかめた。
「あなた、まだいるの?」
しかし瑠衣は眠そうな顔で涼を見ながら無言でパンを食べ続けている。
「いや、何で無言……」
涼はため息を吐いて腕を組んだ。
「あなたものんびりしてていいわけ? 学校あるんじゃないの?」
それでも瑠衣はただ黙々とパンを食べるだけだ。音羽は苦笑しながら「寝坊したから遅刻して行くんだって」と代わりに答えてやる。
「へえ、そうなの」
なぜか涼は意外そうに眉を上げる。瑠衣はゴクリとパンを呑み込むと「なんだよ」とようやく口を開いた。
「……別に。ていうか、あなたまだ顔も洗ってないでしょ。ちゃんと洗いなさいよ? あと歯磨きも」
「あー、うん。わかってるわかってる」
まだ眠気が覚めないのか、瑠衣は低く呟きながら立ち上がると洗面所へと向かった。食べかけのパンがテーブルに置かれたままだ。
「あの子、朝弱いのね」
「というか、疲れてたみたいで」
「ふうん」
涼は少し心配そうな表情で洗面所に視線を向けたが、すぐに「そういえば」と音羽へと視線を戻した。
「崎山さんも朝食はパンだけなの? 昨日の夜も食べてないんじゃない? 食堂に来てなかったし」
「うわー、いちいち音羽の行動見張ってんのかよ。こえー」
顔を洗ってスッキリしたのか、薄笑いを浮かべながら瑠衣が戻ってくる。
「うるさい。あんたは黙ってなさい。ていうか、歯磨きした? 出てくるの早すぎるんだけど」
「パン食べてる途中だから、食べたらやる」
「だったら食べてから行けば良いのに」
「うるせえな。お前が顔洗えって言ったんだろ」
瑠衣は答えながら再びテーブルの前に座ってパンを食べ始めた。
「ほんと可愛くない……」
涼は呟きながら「それで?」と音羽に視線を戻した。
「昨日の夕食はちゃんと食べた?」
「あー、ううん。昨日は気づいたら深夜だったから……。それでパンを買ったんだけど食べきれなくて、今ようやく全部食べたところ」
音羽が答えると涼は「そう……」と頷いて瑠衣へと視線を向ける。それに気づいた瑠衣はパンを両手で持って「あげないぞ?」とそっぽを向いた。
「なんでそうなるのよ。まったく……。ちゃんと崎山さんにお礼言った? それ、買ってもらったんでしょ?」
「別にお礼なんていいよ。パンだし。安いし」
「ダメ。買ってもらったらお礼を言うものでしょ」
「たしかに。うん、そうだな」
瑠衣はパンをすべて食べ終えてから「ありがとう。美味しかった」と音羽を見上げながら言った。音羽は思わず微笑む。
「うん。どういたしまして」
「……意外に素直」
驚いたように呟いて、涼はクッションの上に腰を下ろした。その様子を見ながら瑠衣がズズッとストローでパック牛乳をすすり上げる。
「お前、なんで落ち着いてんだよ」
「支度が終わるまで待ってようと思って。ほら、崎山さん。早く制服に着替えて」
「別にサボったりしないよ?」
音羽は苦笑しながら制服に着替え始める。しかし涼は憮然とした表情で「信用できない」と言った。
「え、なんで」
「だって崎山さんって、最近はいつも予想外の行動を取るんだもん。ちゃんと見えるところにいないと安心できない」
「……お前、過保護な上に独占欲も強くて疑り深いのな」
ボソッと瑠衣が呟いた。涼は静かに瑠衣を見ると「そんなんじゃない」と低い声で言った。
「わたしはただ、これ以上はぐらかされたくないだけだよ」
音羽はチラリと彼女の顔を見る。彼女は無表情に視線をテーブルへ移していた。
「――へえ」
瑠衣はそれ以上何も言わず、ズズーッと牛乳を飲み干してパックを潰す。
「じゃあ、瑠衣ちゃん。わたしたちはもう行くから」
制服に着替えた音羽は鞄を手にして瑠衣を振り返る。彼女は「おー、行ってらっしゃい」とスマホを見ながら軽く手を振った。
「行ってらっしゃいって……。いい? あなたもちゃんと学校行くんだからね?」
「なんだよ、俺にまで過保護になるなよ。さっさと行けって。遅刻するぞ?」
「遅刻すること確定してる子に言われたくないんだけど。まったく……」
涼は呆れたようにため息を吐いてから「行きましょ、崎山さん」と音羽を促して部屋を出た。
「うん……」
音羽はドアに手をかけてもう一度瑠衣を振り向く。その動きに気づいたのか、スマホから顔を上げた彼女は微笑んだ。
「行ってらっしゃい」
そう言ってスマホを持った手を振る彼女に、音羽も笑みも返す。
「うん、行ってきます」
結局、言いそびれてしまった。今日の放課後に理亜と会うことを。
瑠衣はどうしたいだろう。やはり、もう一度理亜に会いたいだろうか。しかし、もし会って彼女から直接別れを告げられてしまえば瑠衣はきっとショックを受けるだろう。昨日以上に。
「……何か、心配事?」
廊下を歩いていると涼が言った。音羽は笑みを浮かべて「ううん」と首を横に振る。廊下には登校の準備を終えた生徒たちがバラバラと歩いている。まだ登校時間には少し早いようだ。玄関も音羽が普段登校する時間帯ほど混んではいなかった。
涼は何も言わず、ただ無表情に靴を履き替えている。
「ねえ、下村さん」
そう音羽が口を開いたのは寮を出て通学路をしばらく歩いてからだった。彼女はハッとしたように顔を上げると「なに?」と音羽を見た。
「……うん。あの、ね。浅見さんには言った?」
涼は「香奈?」と不思議そうに首を傾げる。
「香奈に、何を?」
「……香澄美琴が理亜に似てるって」
すると彼女は「ああ」と納得したように頷いた。そして小さく首を横に振る。
「言ってないよ。香奈、宮守さんのことも香澄さんのこともあんまり興味ないから」
「そっか」
「うん」
涼は頷き、視線を音羽に向けてくる。じっと見つめてくる彼女が求めていることはわかっている。気づいていながらも音羽は無言のまま学校への道を進んだ。
まだすべてを告白する決心がつかない。
ちらりと横目で見た涼は、あの寂しそうな表情を地面に向けて歩き続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます