第26話
理亜はそこで言葉を切ると、ペットボトルに口をつけた。ゴクリとジュースを呑み干す音が聞こえる。
「……出生記録って?」
音羽の質問に理亜は「うん」と頷き、ペットボトルをテーブルに置いた。
「わたしもさすがに気になっちゃってさ、帰って母さんを問い詰めたんだ。わたしが知ってること全部話してね。そしたら観念したのか、話してくれた」
その言葉に瑠衣が不安そうな表情を浮かべたのがわかった。しかし、構わず理亜は続ける。
「宮守家の長女は産まれてすぐに病院側のミスで死んだんだって」
「え……」
瑠衣が掠れた声を漏らした。理亜はまるで他人事のように「その病院が香澄産婦人科医院だったんだよね」と言った。
「なん、だよ。なんだよ、それ。死んだって? でも理亜は……」
「わたしはこの香澄の家に産まれたんだよ。本当はね」
「そんなの――」
瑠衣は何か言いかけたが、すぐに唇をキュッと噛みしめるようにして黙り込んだ。理亜はさらに続ける。
「宮守家の長女とわたしと美琴は、ほとんど同じ時間に産まれたんだって。でもわたしと美琴の母親は当時は香澄竜也、あ、わたしたちの父親ね。その愛人だった。母はまだ二十歳で頼れる身寄りもいなくて……。その頃の香澄家の家計は全部、当時の妻が管理してたからこっそり養育費を出すこともできない。そんな状況で母が双子を育てていくことは難しい。そこで、わたしたちの両親は死んでしまった宮守家の長女の代わりに双子の一人を差し出すことにした。戸籍謄本を見るとわたしは宮守家の実子ってなってるから、記録上は実の子供ってことにしたんだろうね。法的にオッケーなのかどうか知らないけど」
「そんなこと……。本当に?」
何故か薄く微笑みながら語る理亜に、音羽は呟くにように聞いた。彼女は笑みを浮かべたまま頷く。
「ウソでこんなこと言わないよ。わたしを宮守家に差し出した数年後、竜也は妻と離婚してわたしたちの母親と再婚。その後、お金を宮守家に渡したんだって。二千万。たぶん慰謝料と養育費でしょ」
「――じゃあ」
瑠衣が理亜を睨むように見つめながら口を開いた。
「理亜は、本当の理亜じゃないってことか?」
「そうだよ。本当のあんたのお姉ちゃんはあんたが産まれる前に死んでた」
理亜は浮かべていた笑みを消し、無表情にそう答えた。瑠衣は何かに耐えるように眉間に皺を寄せ、ペットボトルを手にすると一気にジュースを喉に流し込む。そして両手でペットボトルを握りしめながら俯いた。
そんな瑠衣を、理亜はただ静かに見つめているだけだ。
「理亜」
音羽が呼ぶと彼女はわずかに首を傾げて音羽に視線を向けた。
「理亜の過去はわかった。でも、それでなんで理亜がここにいることになったの? 美琴はどうして死んだの?」
「盗んだんだよ」
音羽の質問に間髪入れず理亜は答えた。彼女は自嘲するような笑みを浮かべて肩をすくめる。
「いや、取り戻したって感じかな」
「取り戻した?」
「うん」
理亜は頷き、そして自分の手へ視線を落とす。
「だって、もし宮守家に差し出されたのが美琴だったら、この家で暮らしてたのはわたし。この家で自分の才能を見つけてさ。自信を持って何不自由ない、満たされた人生を送っていたのはわたしだったはず。満たされた人生、だったはずなのに」
拳を握りしめて言う彼女の声は震えていた。その表情は音羽が見たこともないほど悲しそうで、そして悔しそうだ。理亜は気持ちを落ち着かせるように一つ息を吐くと、拳を見つめたまま「わたしが選ばれなかっただけで――」と続ける。
「それだけで、あの子だけ恵まれた人生を送るなんて不公平じゃん。わたしはずっと満たされなくて楽しくない人生だったのにさ。わたしはあの子が羨ましかった。だから……」
殺したの、と彼女は顔を上げて音羽を見つめながら言った。
「ウソだ」
静かな、低い声。瑠衣が怒ったような顔で理亜を睨んでいる。理亜はそんな彼女へ視線を向け、ゆっくり首を横に振る。
「ウソじゃない」
「……ウソだ」
理亜は落ち着いた表情で瑠衣を見つめ、そして「あの展望台までね」と口を開いた、
「バイクで行ったんだよ。美琴が免許持っててさ。わたしがお願いしたの。冬の山が見たいって。バイク用のジャケットを着てヘルメット被っちゃったら、もう誰だかわかんないんだよね。バイクは父親名義だから、ナンバーから調べてもわたしには繋がらない。あの道は隣町まで繋がってるから、行き帰りで人数違っても変には思われないしね。誰かを送っていったのかなって感じで」
理亜はそこで言葉を切ると、どこか遠くを見るような目でテーブルに視線を向けた。
「それで、展望台まで登って突き落としたの。後ろから、背中を押して……」
そのときのことを思い出しているのか、彼女はわずかに眉を寄せた。そして深く息を吐き出して薄く笑みを浮かべる。
「あの日、わたしが美琴に会うことは誰も知らなかったから怪しまれることもなかった。それどころか、わたしが美琴としてこの家に戻ったら両親すら気づかないんだよ。笑えるよね。元々、親子仲が良くなかったっていうのもあるんだろうけど」
「理亜――」
音羽は思わず彼女の名を呼んでいた。なぜなら彼女の笑みが、とても辛そうに見えたから。理亜は視線を音羽に向け、そして息を吐くように微笑んだ。
「あの日から、わたしは香澄美琴になったんだ」
「――なんで」
瑠衣が目に涙を溜め、震えた声で言った。
「うちじゃダメだったのか? 俺のこと、嫌いだったの?」
理亜は微笑んだまま瑠衣に視線を向け、そして「瑠衣のことは大好きだよ」と優しい声で言った。
「瑠衣は大事な妹。でも、家は……」
「家は?」
「……居心地が悪かった。おかしかったんだ、昔から。両親はどこかよそよそしくて。瑠衣が産まれてからは特に。まあ、当然だよ。親にとっては血をわけた子の方が大切でしょ」
「そんなことない!」
涙を流しながら瑠衣は声を荒げる。
「そんなこと、ないよ」
「……瑠衣は優しいね」
理亜は呟くと少し身を乗り出して瑠衣の頭に手を伸ばした。そして愛おしそうな表情でその頭を撫でる。瑠衣は俯いて肩を震わせ、声を押し殺すようにして泣いていた。
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