第27話

 しばらく二人の姿を見つめていた音羽は、やがて「ねえ、理亜」と口を開いた。


「他に知ってる人はいるの? 死んだのが美琴だってこと」


 瑠衣の頭を撫でていた理亜の手がピタリと止まる。そしてゆっくりと首を横に振った。


「知ってるのは音羽と瑠衣。二人だけだよ」

「……俺たちだけ?」


 涙声で瑠衣が呟いた。うん、と理亜は頷いて瑠衣から離れる。


「二人だけに秘密を話した。で、音羽。これを聞いてどうする? それでもわたしのこと助けてくれるの?」

「助けるよ」


 音羽は即答した。最初からそう決めていたのだから。どんなことがあろうとも理亜のことを助ける、と。


「どうしたらいいかなんて、まだわからない。でもわたしは理亜を助ける」


 理亜は少しだけ困惑したような表情を浮かべる。そして「マジで言ってる?」と音羽を見つめた。


「ちゃんと聞いてた? わたし、人殺しだよ?」

「うん。わかってる」

「わかってないよ、音羽。わたしは――」

「わかってる!」


 理亜の言葉を遮って音羽は声を荒げた。

 わかっている。理亜は美琴を殺し、そして周囲を騙して美琴として生きている。彼女はきっと許されないだろう罪を犯した。それでも理亜はここにいるのだ。

 今、音羽の目の前にこうして存在してくれている。

 だったら、どんなことをしても助けたい。もう彼女がいない世界で生きていくのは嫌だから。


「警察」


 ふいに瑠衣が口を開いた。まだ涙に濡れた目をゴシゴシ擦りながら彼女は音羽を見た。


「まだ動いてるよな。理亜のこと、調べてる」

「うん」

「まずはそこからだな」


 彼女は言って理亜に向かってニッと笑った。


「俺も手伝うからな、理亜。俺も理亜を助ける」


 しかし理亜は困惑した表情のまま「ダメだよ」と呟くように言った。


「あんたは家に帰りなって。わたしのことも忘れてさ。宮守家の一人娘として真っ当に生きてよ」

「やだ」


 言って瑠衣は理亜を睨んだ。


「俺は理亜を助けたい」

「父さんも母さんも心配するから」

「させときゃいいんだ」


 理亜は心から困ったようにため息を吐いた。そんな彼女を見て音羽は「無理じゃない?」と微笑む。


「瑠衣ちゃん、諦めないと思うよ」


 理亜も「だなぁ」と笑う。


「こいつ、言い出したら聞かないし」

「理亜と一緒だよね」


 音羽の言葉に、理亜と瑠衣は顔を見合わせて笑った。楽しそうに。そして嬉しそうに。


「じゃあ、わたしたち今日は帰るね」

「え、俺も?」


 瑠衣が不満そうに頬を膨らませる。


「今日はとりあえず帰って、一緒に相談しよう? 理亜を助けるために何ができるのか」

「……違うだろ」


 瑠衣が腕を組んで音羽を睨む。音羽は首を傾げた。


「何ができるのか、じゃない。何をやるのか、だ」

「何をやるのか、か……。うん。そうだね」


 音羽が頷くと彼女は満足そうに笑った。そして立ち上がる。


「理亜、スマホ持ってるんだろ? 連絡先教えてよ」

「あ、わたしも教えて?」


 音羽も立ち上がりながらスマホを取り出した。しかし理亜はスマホを手にしたまま、ぼんやりとその画面を見つめている。


「理亜? どうしたの」

「うん。なんか、さ」


 理亜は呟きながら顔を上げる。そして泣きそうな顔でニッと笑った。


「なんか嬉しくて。ありがとう、音羽。瑠衣も」


 音羽は微笑みながら「うん」と頷く。


「なんだよ。泣くなよ、理亜」

「泣いてないよ。ほら、笑ってんでしょ」


 彼女は言いながら瑠衣と連絡先の交換を始めた。その様子を見ながら音羽は思った。

 きっと理亜もまた苦しんでいたのだろう。たった一人で苦しんでいた。そしてきっと耐えきれなくなって音羽に助けを求めてくれたのだ。

 他の誰でもない、音羽に。

 でなければわざわざ理亜から接触してきたりなどしなかったはず。

 音羽は高校に入学してからずっと理亜がいてくれたから学校生活を楽しく送ることができていた。彼女が音羽のことをずっと助けてくれていた。その理亜が今は音羽に助けを求めている。

 だったら助けるしかない。

 どんなことをしても。


「――絶対に、助けるからね」


 呟いた言葉が届いたのか、理亜は目を丸くして振り向いた。そして柔らかく微笑んだ。


 香澄家を後にした音羽と瑠衣は、特に会話もないまま帰りの電車に乗っていた。

 夕方になり、少し混んできた電車内で瑠衣はひたすらスマホを触りながらイヤホンで音楽を聴いているようだった。

 音羽は次第に人が多くなっていく車内をぼんやりと眺めながら理亜から聞いたことを頭の中で整理し、自分がやるべきことを考える。しかしそう簡単に良い案が浮かぶわけもない。音羽はため息を吐いて窓の外へ視線を向けた。そして通り過ぎた駅の看板を見て「あ……」と声を上げる。


「瑠衣ちゃん、駅過ぎちゃったよ?」


 肩を叩いて声をかけると彼女は面倒くさそうに片眉を上げた。そしてイヤホンを片耳だけ取ると「なに?」と聞く。


「いや、駅。過ぎちゃってるって」


 音羽の言葉に瑠衣は窓の外を見てから怪訝そうに「まだだろ?」と音羽へ視線を戻した。


「なんだよ、音羽。お前、まさか方向音痴とか? 自分が降りる駅くらい覚えとけよ」

「いや、さすがにそれは覚えてるよ……?」


 どうも会話が噛み合わない。音羽は眉を寄せながら「もしかして」と首を傾げた。


「瑠衣ちゃん、帰らない気?」

「何言ってんの。帰ってんじゃん」

「どこに?」

「寮」


 何を言っているのだとばかりに瑠衣は呆れた表情でそう答えた。音羽は深くため息を吐く。


「あー、やっぱそうなんだ」

「安心しろよ。ちゃんとバレないように時間ずらして窓から入るから。あ、鍵開けとけよ?」


 瑠衣がニヤリと笑って言う。音羽は頷きながら「別に、そこを心配してるわけじゃないけど」と苦笑する。


「家にちゃんと連絡しときなよ?」


 しかし、瑠衣は返事をしないままイヤホンを着け直そうとした。その手を音羽は掴む。


「返事は?」


 返事の代わりに舌打ちが聞こえた。


「返事」

「あー、はいはい。わかったって。なんだよ、理亜みたいな言い方しやがって」


 少し怒ったように彼女は言ってスマホでメッセージを打ち始める。そんな彼女の様子を見ながら音羽は微笑んだ。


「似てた?」

「なんだ。やっぱ真似してたのかよ。つか、似てねえから」


 瑠衣が顔を上げて笑う。音羽も笑って「ほら、早くメッセージ打っちゃいなって」と瑠衣の頭をポンと撫でた。

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