第17話

 来客室を出ると、玄関ホールには涼がいた。待合用ソファに座っていた彼女は、音羽の姿を見ると弾かれたように立ち上がる。


「下村さん。どうしたの、こんなところで」


 音羽が声をかけると彼女は遠慮がちな表情を浮かべながら近づいてきた。


「寮母さんに聞いて。警察の人に呼ばれたって」


 彼女は窺うような視線を音羽に向ける。


「えっと、大丈夫?」

「うん、平気。何か思い出したことがないか聞かれただけだから」


 言いながら音羽は自室に向かって歩き出す。涼も並んで歩きながら「ほんとに?」と首を傾げた。


「ちょっと顔色悪いよ」

「そうかな……」


 音羽は自分の頬に手をあてる。


「久しぶりに警察の人と会ったから緊張して疲れたのかも。部屋で休むよ」

「うん」


 涼は頷いたが、まだ何か言いたそうな表情で音羽のことを見ていた。


「なに?」


 聞くと涼は口を開きかけた。しかしすぐに言葉を呑み込むようにして、視線を俯かせる。


「ううん。なんでもない」

「そう? だったらいいけど」


 しかし、もうすぐ部屋に到着する頃になって涼は急に歩く速度を落とした。不思議に思っていると彼女は「あの、崎山さん」と音羽の服の裾を掴んで立ち止まった。突然の涼の行動に音羽は止まることができず、服の裾が少し伸びてしまった。


「あ、ごめん!」


 慌てて涼は手を放して伸びてしまった裾を叩いて直そうとする。音羽は「いいよ、別に」と苦笑しながら首を傾げた。


「それより、なに?」

「え?」

「何か言いたそうだったから」

「ああ、うん。でも、やっぱりいい」


 彼女は誤魔化すような笑みを浮かべた。


「なに?」


 もう一度音羽は聞く。すると彼女は言いづらそうに視線を彷徨わせながら息を吐くと「今日――」と口を開いた。


「崎山さんに予定がなければ、昼からどこか遊びに行きたいなと思ったんだけど」

「……下村さんと?」


 思わず聞き返した音羽の言葉をどう受け取ったのか、彼女は「やっぱり、そうなるよね」と軽く笑ってから俯いた。


「下村さん?」

「あー、ごめん。なんでもない。今のは聞かなかったことにして。ほんとごめんね。崎山さん、体調悪そうだし。ゆっくり休んで」


 彼女は俯いたまま早口でそう言うと、まるで逃げるように自分の部屋へ駆け込んでいった。どうやら彼女は音羽の反応を勘違いしてしまったようだ。


 ――驚いただけなのに。


 別に一緒に遊びにいくのが嫌なわけではない。ただ、今まで親しかったわけでもない彼女が遊びに誘ってくれるとは思わなかったから驚いただけだ。


 ――また顔を合わせたときに謝っておこう。


 涼の部屋のドアを見つめて思いながら、音羽は自室のドアを開けた。そして部屋に入るとテーブルの前に座る。テーブルにはハサミと封筒が置かれたままだ。


「よし」


 音羽は一つ深呼吸をしてから、ハサミを手にして封筒の端を慎重に切り始めた。

 なんだか妙に緊張してしまう。ゆっくり丁寧に封を切ってからハサミをテーブルに置く。そして覗いた封筒の中には淡い水色の便箋が一枚だけ入っていた。

 そこに書かれていたのは十一桁の数字。どうやらスマホの番号のようだ。他には何も書かれていない。電話をしろということなのだろう。

 音羽は深く息を吐き出すと、姿勢を正してから自分のスマホに番号を打ち込んでいく。そしてそっと発信をタップした.耳に当てたスマホからコール音が鳴り響く。

 一回、二回、三回――。

 やがて六回目のコール音が鳴り終わったころ、ブツッと音が途切れた。


「もしもし、誰?」


 聞きたかった声。音羽は思わずドキッとしながら背筋を伸ばした。


「あの、崎山ですけど……」


 思わず声が上擦る。するとスマホの向こうで笑い声が響いた。


「なに。なんでそんな他人行儀なの? 音羽」


 この部屋で過ごしていたときと変わらない理亜の声。音羽は自然と笑みを浮かべながら「電話、普段かけないから緊張しちゃって」と答えた。

 ふうん、と笑いを残した声で理亜は言うと「でも、かけてくれたんだね」と続けた。


「そりゃ、かけるよ」

「そっか」


 理亜の声は気のせいか嬉しそうだった。音羽は姿勢を崩すと膝を曲げて片手で足を抱える。


「なんで手紙なの? びっくりしたんだけど」

「だってスマホはどっかいっちゃったし、音羽の番号とか覚えてないし。会いに行くにしても色々とアレじゃん? 他の連絡手段を考えてたら手紙しか思いつかなかった。便箋、可愛いでしょ。音羽の為に買ったんだよ」

「うん、可愛い」


 音羽は頷きながら淡い水色の便箋に触れた。そして「あの、理亜」と少し迷いながら言う。


「ん、なに?」

「あのね……。さっき、警察が来たよ」

「警察が?」


 そう言った理亜の声は予想よりも落ち着いていた。彼女は「へえ、まだ動いてんだ。警察」と静かな口調で言うと軽く笑う。


「うちの親、わたしは自殺したんだとか言ってんじゃないの?」

「え……」


 音羽は思わず声を漏らした。それが聞こえたのだろう、彼女は「あー、やっぱね」と笑いながら言う。


「なんでわかったの?」

「んー、まあなんとなく……。でも、警察はそれには納得してないってことか」

「うん。警察の人は気になることがあるから調べてるって言ってた」

「……気になること?」


 音羽は声のトーンを落として続ける。


「理亜の友達に聞いても自殺するようには思えないっていう答えばかりで、そもそもどうやってあの展望台まで行ったのか足取りがつかめないのが引っかかるって。だから、理亜に車とかバイクを持っている知り合いがいなかったかって聞かれたんだけど」

「へえ、なるほどね」


 理亜はそれから少しの間、沈黙した。スマホからは何も聞こえてこない。なんとなく不安になってきたとき、フウッと息を吐いたような音が聞こえてきた。


「それで、なんて答えた?」

「知らないって」

「それだけ?」

「だって、ほんとに知らないし」


 音羽が答えると理亜は「たしかに」と笑う。そして「じゃ、明日の方がいいかな。まだ警察が近くにいるのかもしれないし」と呟くように続けた。


「何が?」

「音羽に会って色々話したいなと思って。明日って暇?」

「暇だけど」

「じゃあ、ちょっと出てきてよ。そうだな……。十二時くらいに待ち合わせにしよう」


 そう言って彼女が待ち合わせ場所に指定したのは封筒に書かれている住所に近い駅。そのビルにあるカフェだった。


「明日、全部話すからさ」

「全部……?」

「うん。何もかも」


 彼女はそこで言葉を切ると黙ってしまった。


「理亜?」


 不安になって名前を呼ぶ。すると、彼女の静かな声が言った。


「助けてくれるんでしょ?」


 理亜らしくもない、不安そうな声。音羽はスマホを持つ手に力を入れる。


「うん。助けるよ。絶対に」


 息を吐くように笑う理亜の声がして、通話はプツリと切れた。音羽はスマホを握りしめたまま手を下ろす。そして真っ暗になった画面を見つめながら「助けるよ」と繰り返した。

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