第18話
翌朝、音羽は朝食もそこそこに出掛ける準備をしていた。この半年間、まったく新しい服を買っていないことが悔やまれる。
「もっと可愛い服買っとけばよかった……」
今、音羽が持っているのは去年流行った服ばかりだ。
――せっかく理亜と会えるのに。
一人ため息を吐きながら、しかし会えるという事実に心が浮かれてしまう。鏡の中でにやけている自分に気づき、音羽はパンッと両手で頬を叩いた。
気を引き締めないといけない。今日は遊びにいくわけではないのだ。
「浮かれないようにしないと……」
自分に言い聞かせて部屋を出る。まだ待ち合わせの時間にはかなり早い。けれど、じっと部屋にいてはソワソワして落ち着かない。別に早く到着する分には問題ないのだから、行ってしまえばいい。
そんなことを思いながら玄関へ向かっていると「あ……」と背中に声が聞こえた。反射的に振り返った先では、涼が強ばった表情で立っていた。すぐ近くには食堂がある。おそらくそこから戻ってきたところなのだろう。
音羽は彼女に笑みを向けた。
「おはよう、下村さん」
「……おはよう」
気まずそうな表情で彼女は視線を俯かせる。心なしか元気がないように見える。音羽は首を傾げた。
「もしかして今、朝ご飯食べてたの? もう朝食の時間終わってると思うけど」
すると涼は視線を上げ、ほんの少しだけ表情を緩めた。そして「寝坊しちゃって、コレ買ってた……」と右手を少し挙げる。そこにはパンの袋が握られていた。それは食堂に置かれている自動販売機のものだ。音羽もこの半年の間でよく利用するようになった。食堂が開いていない時間帯には重宝している。
しかし涼があの自販機を使っているとは意外である。彼女はクラス委員であり、模範生だ。食事の時間に遅れることはないと思っていたのに。
思いながら涼のことを見つめていると彼女は居心地悪そうに視線を泳がせた。
「な、なに?」
「うん。下村さんも寝坊とかするんだなぁと思って」
「それはだって、昨日……」
涼は口の中で何か言いながら俯いてしまった。
「昨日……?」
そこで音羽は思い出した。彼女に謝らなければと思っていたことを。
「ごめんね。下村さん」
音羽の言葉に涼は不思議そうに顔を上げた。
「え、なにが?」
「昨日、なんかわたし勘違いさせるような態度とっちゃったかなと思って」
「勘違い?」
涼が眉を寄せる。音羽は頷いた。
「驚いただけで嫌なわけじゃなかったから」
しかし彼女には伝わらなかったようだ。不思議そうな表情で首を傾げている。音羽は微笑んだ。
「今度、一緒に遊びに行こうよ」
瞬間、涼の表情がパッと明るくなった。
「え、いいの? ほんとに?」
そう言った彼女の声はいつもより高い。音羽は笑いながら「うん」と頷く。
「今日はダメだけどね。そのうち、暇なときにでも」
「うん! 絶対行く。わたし、いつでも暇だから」
「いつでもって」
音羽は苦笑する。しかし、どうやら涼の誤解も解けたようだ。彼女は嬉しそうな笑みを浮かべながら「崎山さん、なんか変わったよね」と言った。
「そう?」
「うん。先週くらいから、かな。なんだか雰囲気が明るくなったっていうか」
「そうかな。よくわかんないけど」
音羽は自分の頬に手を当てて首を傾げる。
「――だったら、いいな」
「え?」
涼の言葉が聞き取れず、音羽は聞き返す。しかし彼女は首を横に振ると優しく微笑んで「今から外出?」と聞いた。
「うん。ちょっと、昔の友達に会いに」
「昔の……。中学時代の?」
「まあね」
「そっか。行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。行ってきます」
音羽は片手を振って涼と別れる。ウソをついてしまったことに少し胸が痛む。振り返ると、彼女は優しい笑みを浮かべたまま手を振っていた。
駅に着いた音羽は、改札の前に立って発車標を見上げていた。ちょうど電車は行ったばかりのようで次発は二十分後となっている。このままホームでぼんやり待とうかとも思ったが、どうにも落ち着かない。
どうしようかと周囲を見渡すと駅と直結している商業施設のシャッターが開き始めたところだった。そういえばここへ来るのもずいぶん久しぶりな気がする。もしかすると新しい店が出来ているかもしれない。思いながら音羽は吸い込まれるように商業施設の中へと入った。
まだ開店したばかりの施設内に客の姿は少ない。音羽は適当に歩きながら冬物が並んだ店先を眺めた。しかし心惹かれるものは見当たらない。最近は雑誌やテレビも見ていないから流行がよくわからないのだ。
ぼんやりと視線を巡らせていると、ふと小さな雑貨店があることに気づいた。
「こんな店あったっけ」
記憶にはない。店内は狭く、棚が迷路のように並べられている。そこには指輪やイヤリング、ピアスなどアクセサリーが綺麗に飾られていた。
音羽は自然と店内へ足を踏み入れ、一つのペンダントに視線を止める。それはシルバーのプレートに小さな赤い石がはめ込まれたものだった。その隣にはお揃いで青い石バージョンもある。
「へえ、かわいい」
――赤い石は理亜に似合いそう。
思いながら手作りのPOPに目を向けると『限定品』の文字。値段は音羽には少し高い。けれど買えないほどの金額でもなかった。お揃いで買ったら理亜はつけてくれるだろうか。
じっとペンダントを見つめて考える。そしてスマホに視線を向けた。電車が来るまで、あと十分。
音羽は二つのペンダントを手にしてレジへと向かった。
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