第16話
坂口が音羽の元に来たのはいつだっただろう。寒い日だったということはよく覚えている。しかし、その他のことはよく覚えてない。思い出そうとすると線香の香りが蘇ってくる。きっと理亜の葬儀が行われた頃だったのだろう。
あのとき何を聞かれたのか、そして何と答えたのか、記憶は曖昧だ。
「別に、いいですよ。あまり覚えてないし。仕事ですもんね」
音羽の答えに、坂口は少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。音羽はそんな彼女を見返しながら「今日は何ですか?」と聞く。
「理亜のことを聞きたいって寮母さんが言ってましたけど」
「うん、そうなの。もう一度、彼女がいなくなる前後のことを聞きたくて」
言いながら坂口は手帳をスーツのポケットから取り出して開いた。音羽は首を傾げる。
「なんで今頃になって?」
「今だから、かな」
「今だから?」
「時間が経ってからの方が思い出せることもあるから。それに、あのときの崎山さんはあまり話せるような状態でもなかったから」
「そうですか」
音羽は無言で頷く。坂口は「ごめんね」と気遣うような笑みを浮かべた。それは寮母が見せた笑みとよく似ている。
別に彼女が謝る理由はない。仕事だから聞きに来た。それだけのはずだ。なのに彼女は申し訳なさを感じているようだ。きっと根っからの良い人なのだろう。そう思ってから音羽はふと疑問に思う。
「あの……」
「ん?」
「今頃になって理亜のことを聞きに来たということは、まだ警察は捜査してるんですか?」
すると坂口は迷うように「んー」と唸ってから手に持った手帳に視線を落とした。即答しないということは違うのだろうか。それとも部外者には教えられないことなのだろうか。考えながら坂口の答えを待っていると、彼女は「宮守さんのご両親はね」と口を開いた。
「自殺ということで処理してくれって仰ってるの」
「え、自殺……?」
思わず音羽は呟く。坂口は頷き、そして音羽を真剣な表情で見つめる。
「あなたはどう思う? 宮守さんがいなくなる前、そういう雰囲気を感じたことは?」
「わたしは――」
音羽は膝に置いた手に視線を落とした。答えることができない。
まだ理亜が何をしてしまったのか、何も聞いていない。ここで下手な返答をすれば彼女に迷惑がかかるかもしれない。どう答えるのが正解なのだろう。
無言で俯いていると「あれからね」と坂口が言った。
「他のクラスメイトの子たちにも聞いてみたの。どの子に聞いても、とても自殺するような雰囲気はなかったっていう答えだった」
「――わたしも、そう思います。理亜はいなくなった朝もいつも通りだったし」
「そう。やっぱり……」
「やっぱり?」
音羽は顔を上げる。坂口は頷いた。
「実は他にもちょっと気になってる点があってね」
「気になってる点、ですか」
坂口は頷きながら手帳の開いたページを指でなぞった。
「聞きたい?」
「まあ……」
音羽が頷くと彼女は「だよね」と笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「え、いいんですか。そんなこと部外者に話して」
「うん。このことについて、あなたの意見も聞きたいから」
坂口はそう言うと「まずは発見場所についてなんだけど」と手帳に視線を向けながら続ける。
「登山道の途中にある展望台。あそこは冬は凍結の危険があるから徒歩での入山は禁止されてるの。実際、今年の一月から二月末までの間は登山道入り口は封鎖されてた。まあ、別に壁が張り巡らされてるわけじゃないから入れないことはない。でも、宮守さんが発見されたときのような軽装で登ったとは思えなくて。車道の方には規制はかかってなかったから、入山できたけど徒歩では距離がありすぎる」
音羽は頷いた。たしかに理亜が発見された山は県内でも一番標高が高い。車道を歩いて行くにしても、展望台までは三時間以上かかるだろう。坂口は続ける。
「それ以前に、この寮からあの山までどうやって行ったのかがわからないの。宮守さんはバイクの免許は持っていないから移動手段としてはタクシーか公共交通機関になるはず。だけど、いくら探しても彼女の目撃情報がない。あの山の車道付近の防犯カメラも調べてみたんだけど、故障気味で画像が所々飛んでたりしてね」
「駅の防犯カメラとかは?」
音羽の問いに坂口は首を横に振った。
「どこにも映ってなかった」
「どこにも……」
「ええ。彼女の姿が最後に映っていたのは、この寮の玄関に設置された防犯カメラだけ」
坂口はそこで言葉を切ると音羽に視線を向けた。
「ねえ、崎山さん。宮守さんの知り合いに車を所有してる人はいない?」
「さあ。知りませんけど」
音羽は素直に答えてから首を傾げた。
「でも、そのことをご両親に伝えたら何かわかるんじゃないですか?」
「もちろん伝えたんだけどね」
坂口は困ったような表情を浮かべる。
「それでも、自殺として処理してくれって言われてしまって。もう、そっとしておいてほしいって」
ご家族の気持ちはわかるのだけど、と坂口はため息を吐いた。
「……それでも調べるんですか。理亜のこと」
「ええ」
坂口は頷く。迷いのない表情で。音羽はそんな彼女を見つめながら「それは、理亜が自殺ではないという確信があるから?」と問う。
坂口は答えない。けれど、その真っ直ぐな目がそうだと言っている。
「理亜は殺されたんですか」
しかし、この問いには坂口はゆっくりと首を横に振った。
「それはまだ断定できない。事故だったのかもしれない。でも、そうだったとしても間違いなく彼女をあそこまで連れて行った人がいるとわたしは思ってる」
彼女はそう言うと「崎山さん」とそれまでとは違う、低い声で言った。音羽は静かに呼吸を繰り返しながら彼女を見つめる。
「ルームメイトだったなら、きっとプライベートの話とかもしてたでしょ? 本当に心当たりはないかな。車とか、バイクを所有してる宮守さんの知り合い」
強く、鋭い視線だった。それはさっきまで坂口が見せていた親しみやすい表情とはまるで違う。警察官としての表情。どんなに気安い雰囲気だったとしても彼女は警察官。ウソを見破り、正義を果たすのが仕事なのだ。
音羽はまっすぐに坂口を見つめながら「わかりません」と答えた。坂口は何かを見定めるかのように音羽のことを見つめていたが、やがて「そう」と息を吐くようにして頷いた。
「わかったわ。今日はわざわざありがとう」
「いえ。何もお役に立てなくてすみません」
「いいのよ。少し元気になった崎山さんが見られたから、ちょっと安心しちゃった」
優しく微笑む坂口の顔から音羽はつい視線を逸らしてしまう。
「崎山さん? ごめん。やっぱり辛い話だったもんね。ごめんね。大丈夫?」
「大丈夫です」
音羽は立ち上がるとドアへ向かう。そして一度振り返ってから深く頭を下げた。
「――失礼します」
そしてドアを開けて部屋を出る。顔を上げることはできなかった。ウソは言っていない。しかし、あんなに優しい笑顔を向けてくれる人を騙してしまったようで心が痛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます