第15話
その日、帰寮してからずっと瑠衣のことを待っていたのだが彼は来なかった。
その次の日も同じ。
家を出てきたと言っていたが、さすがに疲れてしまったのかもしれない。家に戻ったのだとしたらそれは良いことだ。
音羽は思いながら彼が寝ていたベッドを見つめていた。理亜が使っていたベッド。そこに理亜の姿がないことに慣れてきた頃になって現れた瑠衣。消えていたはずの寂しさが、またほんの少しだけ蘇る。音羽はため息を吐いて窓の外へ視線を向けた。よく晴れている。
今日は土曜日。学校は休みだ。かといって勉強をするような気分ではないし遊びに行く友人もいない。出掛ける用事も特にない。今日も適当にぼんやり部屋で過ごそう。理亜がいなくなってからそうしてきたように。そう思っていたとき、部屋のドアがノックされた。
また涼が訪ねてきたのだろうか。
――今はあまり話をする気分じゃないんだけど。
しかしドアを開けると、そこには寮母の姿があった。
「はい、これ。崎山さんに届いてたよ」
初老の寮母は人の良さそうな笑みを浮かべてそう言うと、一通の封筒を音羽に手渡した。
「手紙……?」
「珍しいわよね。今時、手紙なんて。宛名も手書きだし。お友達?」
「えっと」
正直、心当たりがない。音羽は怪訝に思いながら封筒の裏側を見る。そして思わず「え……」と声を漏らした。そこには香澄美琴と書かれてあったのだ。
音羽は顔を上げて頷く。
「友達です」
「そう。大切なお友達なのね」
「え?」
「だって崎山さん、すごく嬉しそうだもの。よかった……」
寮母はそう言って微笑むと廊下を戻って行った。
「よかった……?」
その言葉の意味がよく理解できず、音羽は首を傾げながらドアを閉める。そしてテーブルの前に座って手にした封筒を見つめた。
「香澄美琴――」
その文字の横には住所が書かれている。それは電車で五十分ほど行った先にある街の住所。そこに今、理亜は住んでいるのだろうか。それにしても――。
「まさか手紙で連絡してくるなんて」
思わず苦笑してしまう。そして封筒を開けるためにハサミを探す。そのとき、再び部屋のドアがノックされた。
「崎山さん、度々ごめんね。ちょっといいかしら」
聞こえたのは寮母の声だった。まだ郵便物が残っていたのだろうか。思ったが、開けたドアの向こうでは寮母が困った表情で立っていた。
「どうしたんですか?」
「うん。あのね、崎山さんにお客さんが来てて」
「わたしに……?」
音羽は眉を寄せる。どうやら寮母の表情からして家族が来たというわけではなさそうだ。
「誰ですか」
訊ねると、彼女は少しだけ視線を泳がせてから「警察の人なんだけど」と小さな声で言った。そして気遣ったような笑みを浮かべる。
「宮守さんのことについて、もう一度話を聞きたいって」
「理亜のこと、ですか……」
「嫌だったら断ってもいいのよ? わたしが言ってあげるから」
音羽は少し考えてから首を横に振った。
「大丈夫です。来客室ですか?」
「ええ。でも、ほんとに大丈夫?」
「平気です」
それでも心配そうな表情を浮かべる寮母に音羽は笑みを返して部屋を出た。
来客室は寮の玄関ホールにある小部屋だ。外部からの来客とはそこで会う規則となっている。
土曜日の午後。玄関ホールには外出する生徒たちが多く集まっていた。その中で音羽が来客室へ向かうのを見ている生徒が何人かいる。もしかすると警察が来ていることを知っているのかもしれない。音羽が視線を向けると、こちらを見ていた生徒たちは一斉に視線を逸らした。
音羽は軽く息を吐いてから来客室のドアをノックする。
「どうぞ」
女の声が聞こえた。失礼します、と声をかけて部屋に入る。簡易的な応接セットが置かれた小さな空間。そこに、皺ひとつないパンツスーツ姿の女性が姿勢良く立っていた。
「お久しぶりです。崎山さん」
まるで旧知の仲であるかのように彼女はにこやかな笑みを浮かべる。
「どうも」
音羽は一言返すと、そのまま彼女の向かいに腰を下ろした。無愛想な音羽の態度も気にせず、彼女は「わたしのこと覚えてますか?」と椅子に座りながら少しだけ首を傾げた。
つい気を許してしまいそうになるほど素直な笑み。おそらく年齢は二十代後半だろうが、笑った顔はまるで音羽と同年代かと思わせるほど大人らしくない。その笑顔を最初に向けられたのは寒い冬の日だった。
「……理亜がいなくなったときにお会いしましたよね。名前までは、ちょっと覚えてないですけど」
音羽が答えると彼女は笑みを深くして頷いた。
「坂口です。よかった、覚えててくれて」
言って彼女はじっと音羽のことを見つめてくる。なんとなく居心地が悪くなって音羽は眉を寄せた。
「なんですか?」
「あ、ごめんなさい。少し痩せたなと思って。以前お会いしたときに比べて」
「そうですか」
「あのときは崎山さんも辛かったのに色々聞いてしまってごめんね」
音羽は申し訳なさそうな表情を浮かべる坂口を見つめながら、あの頃のことを思い出そうとした。
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