第三章 捜査

第14話

 翌朝、目覚めると瑠衣はいなくなっていた。一昨日もそうだった。まるで野良猫のようだ。音羽はベッドの上にきっちりと折り畳まれた布団を眺めながらため息を吐く。そしてテーブルに置いているタブレットへ視線を向けた。

 昨日、瑠衣はあの画像を見て何を思っただろう。理亜と、あの画像に残された風景との繋がりは本当になかったのだろうか。


「もう一回、聞いてみようかな」


 きっと今日もここへ帰ってくるのだろうから。

 音羽は準備を整えると朝食を食べて学校へ向かった。そして教室に入って席に着き、授業を受ける。

 そんないつもと何も変わらぬ時間を過ごしながら、頭の中ではいつもとは違うことを考え続けていた。


 ――理亜はどうしてこのタイミングで連絡をしてきたのだろう。


 偶然、音羽がタブレットを見つけて充電したから。それは間違いないはずだ。しかし、だからといってわざわざ寮に忍び込んでタブレットを持ち出し、そして戻すようなことをした理由にはならない。

 会いたかったらからだろうか。

 音羽に会いたかったから……。

 授業中、音羽は考えながら机の上に開いたノートをペン先でトントンと叩いた。そして頬杖をついて微笑む。


 ――そうだったら嬉しいな。


 家族よりも友達よりも音羽に会いたくて、音羽がきっと来ると信じてあの公園の画像を撮って待っていたのだとしたら。いつか二人で行こうと言っていたあの公園で。

 音羽は笑みを浮かべたまま俯き、こっそりスマホを取り出して画面を確認する。理亜からの連絡はない。そもそも彼女が音羽のスマホの番号を覚えているとは思えない。

 理亜が使っていたスマホはまだ見つかっていないが、ずっと電源が入っていない状態だと聞いた。だとしたら、どうやって連絡をとるつもりなのだろう。


「理亜、早く会いたいよ――」


 口の中で呟く。前の席の生徒がわずかにこちらを振り返った。聞こえてしまったのかもしれない。けれども構わない。周囲の反応なんてどうでもいい。今はただ、早くまた理亜に会いたかった。

 そんな想いを抱えたまま迎えた昼休憩。音羽がいつものように一人、食堂で昼食をとっていると向かいの席にトレイが置かれた。顔を上げると涼が「ここ、いい?」と遠慮がちに聞いてきた。

 音羽は彼女の隣に視線を向ける。そこには見覚えのある少女がトレイを持って立っていた。昨日の夕食時、涼に話しかけてきた少女だ。彼女は人好きのする笑顔を音羽に向けている。


「この子も一緒にいいかな? ちょっと話があって」

「いいけど……」

「ありがとー。わたしは浅見香奈。よろしく、崎山音羽さん」


 明るい声で言いながら彼女は椅子に座ると即座に唐揚げ定食を食べ始めた。よほどお腹が減っているのか、ご飯が大盛りだ。大口を開けて食べるその姿を音羽は思わず見つめてしまう。ふいにため息が聞こえた。


「ごめんね、行儀悪くて」

「ん。誰が?」

「あんたよ、香奈」


 涼は再び深くため息を吐いた。音羽は薄く微笑んで「仲良しだね」と食事を続ける。涼は箸を手にしながら眉を寄せた。


「そうでもないけど……。この子もクラス委員なの。隣のクラスのね。委員会では誰にでもこんな感じよ」

「えー、涼ちゃんだけは特別だよ?」

「だから、口にものを入れたまま喋らないで。汚い」

「ひどい」


 そんなことを言いながらも香奈は食べながら喋るのをやめない。音羽は苦笑しながら「それで」と涼へ視線を向けた。


「話って?」

「ああ、うん」


 涼は頷くと横目で香奈を見た。


「この子、知ってるんだって。香澄美琴のこと」

「――え?」


 音羽は箸を持つ手を止めて香奈を見る。香奈は口いっぱいにご飯を頬張りながら大きく頷いた。そしてそれを呑み込むと「小学校がね、一緒だったから」と笑みを浮かべた。


「うそ。ほんとに?」

「ほんと、ほんと」


 香奈は言いながら唐揚げを頬張った。音羽は涼に視線を移す。すると彼女はその視線の意味を察したのか「んー、やっぱり気になっちゃって」と微笑んだ。


「ネットで調べたら記事がけっこう出てきて。その子、わりと有名人だったんだね。記事の中に書いてあった彼女が住んでる街が香奈の地元と同じだって気づいたから聞いてみたの。そしたら知ってるって言うから」

「そうなんだ……」

「でもさ、なんで美琴のこと知りたいの? 友達?」


 香奈が不思議そうに言う。音羽は首を横に振った。


「そうじゃないけど、ちょっと知りたくて」

「ふうん。あの子のこと知りたいとか変わってる」

「そう? 有名人だったんでしょ?」


 音羽が聞くと香奈は「そうだけど」と眉を寄せた。


「でも性格がキツくて自信家でさ。近寄りたくない子だったなぁ。小さい頃からピアノのコンクールでたくさん賞もらったりしてたみたいだけど、クラスでは孤立してたよ。凡人とは違うっていうかさ。友達いなかったんじゃないかなぁ」

「浅見さんは友達じゃなかったの?」

「まさか。ないない」


 彼女は笑いながら箸を振った。ご飯粒が涼の方へ飛んでいき、涼がガタンと彼女と距離をとった。それでも香奈は気にした様子もなく続ける。


「あの子、小学生だってのにやたらプロ意識が高くてさ。相容れないっていうか。家も金持ちだったから卒業を待たずにヨーロッパのどこかに留学したんだよね」

「小学生で留学……。すごいね」

「でしょ? そんな子と友達になれるわけないって」

「へえ、意外。あんたならそういうの関係なく友達になりそうだと想ったけど」


 その言葉に香奈は声を上げて笑うと涼の肩に腕を回した。


「わたしは好きな子としか仲良くなりませーん」

「意味わかんない。ていうか離れて。食べられないでしょ」

「涼ちゃんがつれない……」


 しょんぼりしながら涼から離れ、香奈は食事を再開する。


「それで? 今、その子はどうしてるの?」


 涼がため息交じりに言った。香奈はご飯を頬張りながら「さあ?」と答えた。


「留学してからのことは誰も知らないんじゃない?」

「そう……」


 涼は頷くと申し訳なさそうに音羽へ視線を向けた。


「あの、ごめんね? たいした情報がなくて。もうちょっと何か知ってるかと思ったんだけど」

「え、なにそれ。なんかそれ、わたしが役立たずみたいじゃない? ひどくない?」


 音羽は苦笑して「ううん。ありがとう」と二人に礼を言った。香奈はきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべて「いいよ、別に」と食事を続ける。しかし涼は、どこか心配そうな表情を浮かべて音羽のことを見ていた。音羽が首を傾げると彼女は「関係があるの? 宮守さんと」と言った。音羽は彼女を見返しながら考える。

 彼女はネットで記事を見たと言っていた。ならば、きっと顔写真もあったはず。そこで気づいたはずだ。理亜と彼女が似ていることに。これ以上、詮索されるのは良くないかもしれない。余計なことは言わない方がいいだろう。

 音羽は笑みを浮かべて「なんでもないよ」と答えた。


「ただちょっと、どこかで聞いた名前を思い出しちゃって気になっただけだから」


 そして食事を再開する。しかし涼の手は止まったままだ。彼女はじっと音羽のことを見つめている。


「なに、涼ちゃん。早く食べないと休憩終わっちゃうよ?」


 香奈の言葉に涼はゆっくりと箸を動かし始めた。チラリと視線を向けた先で、涼はどこか落ち込んだような表情で食事を続けていた。

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