第12話

「おかえりー」


 部屋のドアを開けると、聞こえるはずのない声が聞こえてきた。音羽は慌ててドアを閉めて声の主が寝転ぶベッドへ視線を向ける。そこでは瑠衣がタブレットを眺めていた。


「また来たの?」


 ため息を吐きながら聞くと彼は視線だけを音羽に向けて「家出てきたから。他に行くとこもないし」と何でもないことのように言った。


「出てきたって……。ここは家出の避難先じゃないんだよ?」

「なあ、このタブレット」


 音羽の言葉を無視して瑠衣は身体を起こした。そしてそのままベッドの上に座ると膝の上にタブレットを乗せる。


「理亜のじゃない? なんか見たことあるんだけど」

「うん。そうだよ」


 音羽はテーブルの前に座りながら頷く。彼はふうん、と眉を寄せて音羽を見てきた。


「なんであんたが持ってんの?」

「なんでって……。見つけたから」


 音羽は正直に答えた。


「見つけた?」

「うん。そのベッドの裏に隠してあったの。今朝、見つけてね。充電してみたら動いた」

「へえ、そっか」


 瑠衣は特に驚いたり疑った様子もなく、素直に納得したようだった。そして懐かしそうに微笑みながらタブレットを見つめる。


「これさ、理亜がいつも持ち歩いてたんだ。親に見つからないように隠しながら。一回だけ俺がロック解除しようとしたことがあったんだけど、バレてすげえ怒られた」


 そう言うと彼は小さく息を吐く。


「見たいな、中」


 寂しそうな声だった。大切そうにタブレットを見つめる彼の姿を見つめ、音羽は「見る?」と立ち上がる。瑠衣は目を丸くして音羽を見た。


「え、見れるの?」

「うん」


 頷きながら音羽は彼の隣に座るとタブレットを受け取り、パスコードを打ち込んでいく。

 寂しそうな彼が可哀想になったから。それと同時に、もしかすると彼なら香澄美琴について何か知っているのではないか。

 そう思ったからだ。


「はい、開いた」


 ロックが解除されたタブレットを瑠衣に戻す。すると彼は憮然とした表情を浮かべながら音羽を睨んできた。音羽は首を傾げる。


「何?」

「なんで知ってんだよ、パスコード。俺だって知らないのに」

「それは――」


 音羽は少し考えてから「仲が良かったから」と答える。瑠衣はじっと音羽を見つめてから「……なんだよ、それ」と拗ねたような表情を浮かべた。そしてタブレットへ視線を向けてすぐに眉を寄せる。


「てか、なんにもないじゃん」

「うん。でも画像だけあるんだよね」

「画像?」


 言いながら瑠衣は画像フォルダを開く。そしてスライドさせて画像を見ていきながら「なんだこれ」と呟いた。


「変な画像ばっか。風景とか、どこだよこれ」

「え、これ理亜の地元じゃないの?」


 てっきり理亜が地元の街並みを撮ったのだと思っていたのだが、瑠衣は「知らないよ、こんな場所」と答えた。そして手を止めて怪訝そうに眉を寄せる。タブレットを覗き込んでみると、それは香澄美琴の顔写真が載っている記事の画像だった。


「似てるよね、その子。理亜に」


 音羽の言葉に瑠衣は頷く。音羽は彼の横顔を見つめながら「知ってる? その香澄美琴って子」と訊ねた。しかし彼は考える様子もなく「いや、知らない」と即答した。


「そっか……」


 瑠衣はしばらく画像を見つめていたが、やがて深くため息を吐いてタブレットをテーブルに置いた。そしてベッドに仰向けに寝転ぶ。その表情はひどく疲れているようだった。


「……学校」


 音羽はベッドから降りて床に座りながら言った。


「ちゃんと行ってる?」

「行ってる」

「どこの学校? 中学生だよね?」


 瑠衣は視線だけを音羽に向けた。


「天北中だけど」

「天北……。遠くない?」

「遠い。めっちゃ遠い」


 瑠衣は再び深く息を吐いた。天北中学校は、たしかこの最寄り駅から電車で四十分ほど行った先の街にある。駅から学校まではさらに距離があるはずだ。片道一時間以上かかるのではないだろうか。


「やっぱり帰った方がいいんじゃない?」

「うるさいな。あんたには関係ないだろ」


 棘のある口調で瑠衣は言うと壁の方へ身体を向けてしまった。


「関係ないって――」


 音羽は自然とため息を吐く。関係ないわけがない。ここは高校の生徒が暮らす寮なのだ。許可無く部外者を泊めることだけでも問題だというのに、さらにはそれが男子となれば問題どころではない。バレたら退学にでもなりかねない。


 ――だけど。


 音羽は振り返ってベッドに横になった瑠衣を見つめる。小さな背中。その細い身体にどれだけの寂しさや悲しみを抱えているのか、音羽にはわかるような気がする。親と不仲だという彼には、きっと理亜だけが救いだったのだろう。

 音羽はもう一度ため息を吐いてから「お風呂は?」とベッドに背中をつけて聞いた。


「入った。駅のとこにある銭湯で」

「ご飯」

「食ってきた」

「家に連絡」


 深いため息が聞こえた。そして「大丈夫だって」と面倒くさそうな声で言う。


「友達の家にしばらく泊まるって言ってるから」

「友達?」


 音羽が眉を寄せると、瑠衣が少しだけ身体を起こして音羽を見た。


「嘘じゃないだろ? あんたは理亜の友達なんだから」

「……たしかに」

「だろ?」


 瑠衣はニヤッと笑うと再びベッドに寝転んだ。音羽は苦笑しながら立ち上がる。


「わたし、お風呂行ってくるけど大人しくしててよ?」

「へーい」


 やる気の無い返事。音羽は「まったく……」と言葉を洩らしながら、入浴セットを持って部屋を出た。

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