第11話

 食堂にはまだ多くの生徒たちが食事をする姿がある。音羽はコロッケ定食を食べながら向かいの席に座る涼を見ていた。

 彼女はテーブルに置いた自分の手をぼんやりと眺めている。その状態のまま、かれこれ十五分ほど何も喋っていない。


「ねえ、下村さん。大丈夫?」


 訊ねると、彼女はハッとしたように顔を上げた。


「ああ、うん。え、大丈夫って何が?」

「何がって、なんか黙ってるから」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事しちゃって」


 彼女は誤魔化すような笑みを浮かべてから「それよりも」と姿勢を正して音羽を見た。


「聞きたいことって、なに?」

「あー、うん」


 音羽は半分ほど食事を残して箸を置いた。もうこれ以上は食べられそうにない。音羽はお茶を一口飲むと、程よく温まったコップを両手で包み込んで「下村さんって、理亜と同じ中学だったよね?」と涼を見た。

 彼女は少しの間を置いて「うん、そうだけど」と頷く。そして探るような視線を向けてくる。


「中学の頃の理亜って、どんなだった?」

「どんな……。そうだな。地味、だったかな」

「え、地味?」


 予想外の答えに音羽は思わず眉を寄せた。涼は困ったような笑みを浮かべて「目立たない子だったよ、宮守さん」と続ける。


「そんな、だって理亜だよ?」


 冗談でも言っているのだろうか。だって理亜はあんなに大人っぽくて明るくて、あんなにも綺麗なのに。しかし彼女の表情はとても冗談を言っているようには見えない。

 涼はスマホを取り出して何か操作しながら「中三になった頃にね、あの子は変わったの」と呟くように言う。そして「あ、あった」とスマホを音羽に差し出した。そこには画像が表示されている。集合写真のようだ。まだあどけない顔をした子供たちは見たことのない制服を着ている。この辺りの学校ではないのだろう。


「これ、中学の?」

「そう。修学旅行のクラス写真。二年の時の」

「……なんでスマホに入ってるの?」


 視線を上げると、涼は恥ずかしそうに「友達が見たいって言うから」と言った。


「でもアルバム持ってくるのは面倒だったから親に適当に撮って送ってもらったの」

「ふうん」


 頷きながら音羽は再び視線をスマホに向ける。写っているのは三十人ほどの生徒たちだ。しかし目を凝らしても理亜の姿を見つけることはできない。


「いなくない? 理亜」


 思わず呟くと涼が「ここ」と、画像を拡大した。その中心に写っているのは、眼鏡をかけて俯きがちにこちらを見ている少女だった。ボブというよりはおかっぱに近い黒髪は前髪が長く、眼鏡の上にかかっている。自ら目立たないようにしているかのように身を小さくして写る少女の顔をよく見ると、確かに理亜の顔立ちである。


「これ、理亜? ほんとに? 顔は、まあ、理亜だけど」

「中二の時の宮守さんだよ。それから――」


 涼は言いながらスマホを再び操作して「これが、中三」と音羽に画像を見せた。今度は少人数で撮られた写真のようだ。遠足だろうか。ジャージ姿の生徒が五人。その中央には弾けんばかりの笑顔で両隣の女子生徒の肩を抱いた理亜がいた。

 薄く、センスの良いメイク。ほんの少しだけ明るく染められた細くて艶のある髪は肩の上あたりで切り揃えられている。自信に満ちた強い瞳が、しっかりとこちらを捉えていた。

 音羽は思わず微笑む。


「理亜だ」

「うん。崎山さんが知ってるのはこっちの宮守さんだよね」


 優しい口調で言いながら彼女は画像に写る理亜をそっと指でなぞった。


「――こんなに変わったんだよ。宮守さん」

「どうして?」

「さあ、なんでだろうね」


 息を吐くように言って彼女は顔を上げた。そしてお茶を一口飲んでから「気づいたら変わってたの」と続けた。


「同じクラスだったけど、あまり仲良かったわけじゃないから詳しくはわからないんだけど」

「え、でも、この写真は……? 一緒の班だよね?」

「あー、これは」


 涼は苦笑する。


「くじ引きだったんだ。遠足の班決め。わたし、このメンバーだと仲良い子いなくて……。だからほら、後ろの方にちょっと離れてるの」


 言われてみれば、たしかに涼だけ他の生徒と距離を置いて写っていた。彼女は画像を見つめながら「これ、三年の春に撮ったんだけどね」と思い出すように目を細めた。


「春休みが明けた後かな。気づいたときには宮守さんは性格も見た目も何もかも変わってた。垢抜けたとか、そんな感じじゃなくて……。まるで別人っていうか」

「別人……」

「そう。だってそれまでは声も小さくて何を喋ってるのかわからないくらいだったんだよ。それが、すごく自信に満ちた態度を取るようになってさ。外向的で誰とでも気安く接するようになったけど――」


 彼女は少しだけ眉を寄せて言葉を切った。何かを思い出したのか、少しだけ表情が険しい。


「……けど?」


 音羽が先を促すと、彼女は一度視線を音羽に向けてから「だけど」と再びスマホを見つめた。


「すごく不安定な感じだった。感情の起伏が激しいっていうか。まあ、ただの反抗期だったのかもしれないけど。それでも、ね。暴力を振るうってことはなかったけどクラスの子とよく揉めてて。ちょっと怖かった」

「そう……」


 思えば、確かに理亜はどこか不安定なところがあった。学校から帰ったときは機嫌がよさそうだったのに、その十分後にはひどく不機嫌になっていることもあった。八つ当たりのような言葉を投げられたことも何度かあったことを思い出す。しかし、そのたびに彼女は苦しそうな顔をして「ごめん」とすぐに謝っていた。


 ――ごめんね、音羽。ごめん。わたしが悪かったよ。


 震える声で言いながら彼女は音羽にしがみついて泣いていた。小さな子供のように。まるで、何かに怯えているかのように。

 そのときの理亜は普段からは想像もつかないほど弱々しかった。


「何かあったのかな。三年になる頃に」

「あったのかもしれない。でも、誰も知らないと思う。宮守さんには親しい友達はいなかったから」


 音羽は目を見開いて涼を見た。


「そうなの?」

「うん」


 彼女はどこか寂しそうに微笑む。


「本当に内気な子だったから。人見知りで、いつも一人で教室にいたのを覚えてる。三年になって外向的にはなったけど、どこか近寄りがたい雰囲気だったし。表面上は仲良くしてても宮守さんの友達だった人は誰もいないんじゃないかな」

「下村さんは?」


 音羽が聞くと彼女は申し訳なさそうな表情で「わたしも友達じゃなかったな」とスマホに写る笑顔の理亜を見つめる。


「二年までは、たまに話したりする程度だったし。三年になってからはもっと距離を置いちゃったから」

「……だから理亜は地元を離れてこの学校に来たのかな」


 誰もいなかったから。

 変わった彼女を受け入れてくれる人が、誰も。

 音羽の言葉に涼はハッとしたような表情を浮かべた。そして小さく頷く。


「そうかもね。まあ、わたしも来ちゃったけど」

「下村さんも地元を離れたかったの?」

「ううん。わたしは家の都合」

「そっか」


 音羽は頷くと、お茶を一口飲む。さきほどまで温かかったお茶は少し冷めてしまっていた。あまり美味しくない。音羽はコップから手を放しながら「同じ中学にさ」と一番聞きたかったことを口にする。


「香澄美琴って子、いなかった?」

「香澄美琴?」


 涼が眉を寄せて繰り返す。そして記憶を探るように首を傾げてから「いなかった、と思うけど……」と言った。


「他の学年まではわからないけど」

「そう」


 やはり、そう都合良くはいかないようだ。音羽は小さく息を吐く。それに気づいたのか、涼が「その子がどうかしたの?」と言った。


「ううん。別に」


 そのとき「あっれ、涼ちゃんじゃん!」と声が響いた。視線を向けると見知らぬ生徒が涼に駆け寄って抱きついた。


「なに、まだ食べてんの? 涼ちゃんたちのグループってもう時間終わりじゃない?」

「ちょ、離れて。あと、うるさい」

「いいじゃん。照れるな、照れるな。わたし今から食べるんだけどさ、ちょうどいいから付き合ってよ」

「いや、何がちょうどいいのかわかんない。それに今はちょっと――」


 音羽はトレイを持って席を立った。


「崎山さん?」

「あー、友達と一緒だったんだ。よかったらあなたも一緒にどう?」


 人懐こい笑みを浮かべて言う彼女に、音羽は首を横に振った。


「疲れたから、もう部屋に戻る」

「あ、じゃあ、わたしも」

「いいよ。下村さんは友達とゆっくりしてて」


 立ち上がった涼に音羽は言う。すると涼の友人は「そうだよ、ゆっくりしてこ?」と涼の肩を掴んで座らせた。涼は不満そうに彼女を見上げている。怒っているのか、表情が険しい。こういう雰囲気の彼女を見るのは初めてだ。音羽は自然と笑みを浮かべながら「ありがとう、下村さん」と言った。


「え……?」

 

 不思議そうな表情を浮かべる涼に笑みを向けてから、音羽は食器を返却口へ運んで行く。


「なんか顔赤くない? 涼ちゃん」

「うるさい!」


 そんな声を聞きながら、音羽は食堂を後にした。

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