第6話

 翌朝、目覚めるとすでに瑠衣の姿はなかった。靴もなくなっていたので帰ったのだろう。今度はしっかりと窓も閉められている。音羽はベッドから降りると瑠衣が眠っていたベッドを見て微笑んだ。布団が綺麗に畳まれている。


 ――理亜が帰ってきたみたい。


 彼女も毎朝こうして布団を畳んでいた。昔からの習慣だったのだろう。どんなに寝坊しても、ちゃんと綺麗に布団を畳んでいたのだ。あの、いなくなった日も。

 音羽は理亜のベッドに腰かけ、布団にぽんと手を置く。

 彼女はベッドの上でダラダラ過ごすのが好きだった。帰宅してすぐにベッドに横になり、漫画を読んだりスマホを見たり、そして……。

 そのとき、ふいに妙なことを思い出した。

 彼女はよくベッドの下を覗き込んでいたような気がする。何かを出し入れするように手を伸ばしていた。しかし、よく考えてみるとこのベッドの下には収納スペースはない。


「……なにしてたんだろ」


 呟きながら、音羽は膝をついてベッドの下を覗き込んでみる。しかし真っ暗でよく見えない。スマホのライトをつけてベッドの下を照らすと、板の裏側に何かが貼り付けられているのが見えた。それはちょうどノートと同じくらいの大きさである。

 手を伸ばして触ってみるとそれはひやりと冷たかった。さらに触って確かめると、マジックテープで固定されていることがわかった。音羽は力を入れてそれを板から引き離す。出てきたのは白いタブレットだった。

 随分と使い込まれているようでフレームは薄汚れて角にはヒビが入っている。画面も少し割れており、ボタンを押してもまったく反応がない。


 ――壊れてる?


 しかし半年も放置されていたのだ。ただ充電が無くなっているだけかもしれない。そう思ってためしに充電ケーブルを差し込んでみる。すると予想通り、真っ黒だった画面に充電のマークが表示された。

 どれくらい待てば電源が入るだろう。音羽は部屋の壁に掛けられた時計に視線を向ける。もう朝食の時間は終わってしまっている。そろそろ出ないと授業にも間に合いそうにない。いっそのこと学校を休んでしまおうか。

 そう思ったとき、ふいに記憶に蘇ったのは昨夜の涼の笑顔だった。何が嬉しかったのだろう。ただ音羽は食事を受け取っただけ。普通の会話をしただけ。それなのに、あんなに嬉しそうに彼女は笑った。それは久々に自分に向けられた素直な笑顔。

 音羽はテーブルの上に置いたままのトレイに視線を向ける。


 ――なんか、変な感じ。


なぜか少しだけ胸がキュッとする。音羽は握った手を胸にあてた。そして一つため息を吐くと、タブレットを自分のベッドの上に置いて制服に着替えた。


 寮を出る前に調理場へ寄って食器を返却していたら、いつの間にか始業時間を過ぎてしまっていた。結局、遅刻は確定だ。

 学校に到着したのは朝のホームルームが始まっている時間帯。もう急いだところで意味はないだろうと音羽は廊下をのんびり歩きながら理亜の言葉を思い出す。


 ――無駄な努力はしない。疲れるし。遅刻は堂々と受け入れるべきだよ。


 彼女は寝坊をした日にはそう言って遅刻していた。最初の頃は理亜のことを叱っていた担任も、やがてあまりにも堂々と遅刻してくる彼女に呆れたのか、いつの間にか「また遅刻ですか」と笑って済ませるようになっていた。そのたびに理亜は悪びれもせず子供のように笑っていた。だって眠いんだもん、と。それで許されてしまう。理亜の言葉でみんなが笑顔になる。そんな性格だったのだ。

 しかし音羽はとてもそんな風にはなれない。音羽は教室の後ろの戸に手をかけると、できるだけ静かに開くようにそっと引いた。しかし無理だったようだ。静かな教室にガラガラと場違いのような音が響く。クラスメイトと担任の視線が一斉に音羽に向けられた。


「崎山さん、遅刻ですか。珍しいですね」


 困ったような笑みを浮かべて担任が言う。


「すみません」

「まあ、初めてのことですから今回は注意だけということで。席に着いてください」


 音羽は頭を下げてから自分の席に向かう。その間に少しずつ音羽への興味を失っていくクラスメイトたち。向けられていた視線が担任へと戻っていく中、いつまでも音羽に向けられる視線が一つ。

 席に座りながらそちらに目をやる。すると慌てた様子で涼が前を向いたのがわかった。朝も食堂に行かなかったので心配してくれているのだろう。


 ――クラス委員だから、か。


 頬杖を突きながら二つ斜め前の席に座る涼の姿を見つめる。背筋を伸ばして前を向いている彼女の関心は、もう音羽にはないようだ。

 いつも通りの教室の雰囲気。いつも通り、空気のような自分の存在。

 窓の方へ視線を向けると薄い雲が漂う秋晴れの空が広がっていた。


 ――早く帰りたいな。


 帰った頃にはタブレットの充電も終わっているはずだ。しかし、だから何ができるというわけでもないだろう。きっとタブレットにはロックがかかっている。開くことはできない。それでもあれは理亜が隠し持っていたもの。きっと何か意味があるのだ。だったら大切にとっておきたい。

 壊れないように、大切に。

 ガタガタッとクラスメイトたちが立ち上がった。ホームルームが終わったのだろう。音羽が遅れて立ち上がった頃には日直の号令はすでに終わり、クラスメイトたちは席を離れて楽しそうに話し始めていた。

 音羽は一人静かに椅子に座って外を眺める。視界の端にはこちらを見ている涼の姿がある。それには気づかないふりをして、いつものように何も感じないよう心を閉ざし、ずっと外を眺めていた。

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