女幽霊と僕。いつも睨みつけてて怖いんですけど。

綿木絹

開けてはいけない部屋

 絶対に入ってはいけない場所、開けてはいけない扉、なんて言われたら気になって仕方がない。


「おい。ここ、入れるぞ」

「入る……の?」


 そんな都市伝説は色んなところで聞ける。

 僕と僕の友達四人はそんな都市伝説な禁忌を犯した。


「ヤバいヤバいヤバい。逃げるぞ」

「逃ゲナキャ、逃ゲナキャ」


     ◇


 コン…

 コンコン…


 ノックの音がしたような気がして、僕はゆっくりと瞼を開けた。


 コンコン…


 やっぱりノックの音がする。「ここは?」と心で呟き、僕は体を起こした。

 音の発生源は自分の記憶だと扉のある方向だ。けれど、目覚めた場所はいつもの部屋ではなかった。


「ひぃぃぃぃ‼」


 僕は窓ガラスに向かって悲鳴を上げた。

 ガラスの向こうには黒髪の白装束の女がいたのだ。

 ここが病室だったとて、驚いてしまう。

 女がガラスに張り付いて、じっと僕を睨みつけていた。


「み…つ…け…た」


 女の口から紡がれた音は空気を振動させたのか、そんなことを考える間もなく。


「ちょっと、マユさん?そういうのは止めてって言いましたよね!?僕、ただでさえ体が弱いんですから‼」


 僕は窓を思い切り開けて、その女を怒鳴りつけた。

 女の名前はマユ。そして苗字は知らない。


「それにガラスに張り付く必要あります?物体に触れるのって凄く疲れるって言ってたじゃないですか」


 彼女はれっきとした幽霊だ。

 強力な力を持っていて、とんでもないレベルのポルターガイスト現象を引き起こせる。

 そんな彼女は首をフルフルと横に振って、やはり睨みつけている。

 そして


「あれ…」


 と、言って僕の後ろを指差した。その指の先にあったものを見て、僕はまたもや驚嘆する。


「僕の体がある…?本当に僕、死んじゃったじゃん‼」


 僕はショックから床に崩れ落ちそうになった。

 だがその瞬間、僕は髪を鷲掴みにされて、彼女に持ちあげられてしまった。

 霊体同士は触れられる、彼女が言いたいのはそんな杓子定規なことではない。


「死んでない。あ…れ…」


 マユは片手で僕を頭ごと持ち上げながら、もう一方の手で指を差した。

 寝ている僕の口元を彼女の真っ白な指が突き刺した、正確には通り抜けた。


「呼吸?また幽体離脱してしまったってことか。どっちにしてもですよ。マユさんがあんな登場したから、ビックリして体から魂が抜けちゃったんですから」

「違う…」

「違わないですよ。マユさんは張り付かなくても、そのまま窓を通り抜けられるんですからね」


 十年前、僕はある事件に巻き込まれた。

 その時から幽霊が見える体質になってしまった。

 魂の叫びが聞こえるようになってしまった。 

 そして幽体離脱が出来る体になってしまった。

 

 因みに、マユさんと出会ったのもその時だ。


「違う。これは練習…」


 その言葉に僕は目を剥いた。

 確かに、僕は幽体のまま窓を開けることが出来た。

 幽体のまま、この世界に干渉する為には、生きている時よりも強く思い続けなければならない。

 僕の場合は、僕が間違いなく工藤圭太だ、といった感じだ。


「練習って。もっとマシな方法も、…って、実際に窓を開けられたんだから、これでいいのか。じゃあ、もう戻っていいですか?」


 肉体から離れると途端に不安になるのだ。

 自分は工藤圭太ではないのではないか、この世界に居てはいけない存在じゃないかって思ってしまう。

 それほど、当たり前に存在する肉体とは大切なのだ。

 逆に言えば、肉体無しで存在できるマユさんには恐れ入る。


「駄目。やっと見つけた。ウジャクの方だと思う。だから、今から向かう」

「今からって?えっと、うじゃくって化け物の名前ですよね?僕、怖いんですけど」


 ただでさえ、幽体離脱している今が怖い。

 だけど、マユさんは僕を睨みつけてこう言う。


「私がいるから大丈夫」

「大丈夫って……」


 化け物も怖いが、もっと怖いのは…

 僕は寝息を立てている自分の体を心配そうに見つめていると、肩が急に鉛のように重くなった。


「言うことを聞かなければ、……分かっているよね?」

「わ、分かっているよ。言うこと聞くから!だから…」


 彼女の力は強い。

 やろうと思えば、ポルターガイスト現象で僕の目の前で僕の肉体を傷つけられる。


「分かっている。遠く離れると肉体は勝手に死んでしまう。それまでに間に合わせる。だから急ぐ…」

「本当に大丈夫かな。今回だっていつの間にか病室にいたし。っていうか、いつ気を失ったんだろう」

「そんなことはどうでもいい。急ぐ…」


 部屋で本を読んでいた。なのに病室で目が覚めた、いや幽体離脱をした。

 魂の状態だと時間間隔が分からない。例えば幽体離脱をしたまま居眠りをして、凄い時間が経ってしまったのかもしれない。

 魂が抜けた状態は、眠りから覚めない状態。

 医師にも原因不明の奇病だと匙を投げられている。

 原因が分からないから、死に至る可能性があるとも言われた。


「そんなに速く飛ばないで…。って、うるさい‼」


 マユさんに怒鳴ったわけではない。

 今の状態だと、普段よりも多くの声が聞こえるのだ。

 分かりやすいものだと、助けて、痛い、なんで俺が、とか。

 因みに、殆どの声は言葉になっていないうめき声だ。


「早く慣れろ。それに前にも話をした筈。霊魂に重さはない。だから距離は関係ない。イメージするだけ」


 そう言って、騒音に苦しむ僕を彼女は睨みつける。

 彼女が睨むのは十年前から変わらない。だから、睨んでいるような顔なのかもしれないが。

 この十年間、睨まれながら霊魂はなんたるかを教えて貰った。人間とはなんたるかを教えて貰った。

 声の殆どが、縛り付けられている霊魂の叫び、とも教えて貰っている。


「うじゃくって怪異ですよね。マユさんが探していた怪異、よく見つけられましたね。」

「向こうから近づいてきた。私のテリトリーに侵入してきたから見つけられた」


 マユさんの表情はあの日、扉の向こうで見た時のまま。

 彼女も縛られている。あの時もあの部屋の中で彼女は縛り付けられていた。

 そんな彼女が指をさす。


「あの大きな屋敷の中だ」

「大きな屋敷って…、駅のことかな。……声が聞こえる」


 助けて、死にたくない。俺のせいじゃない。俺のせいじゃない。


 女の声と男の声だ。そして


 うー、うー、うー、うー、うー、ううううううううううううう


 こっちは言葉ではない。うめき声もしくは唸り声だ。


「うじゃく様…?」

「様はつけなくていい。赤子の霊に動物霊が群がっているだけだ。急ぐぞ。あの二人が狙われている。」


 怪異の核となっているのは言葉を殆ど覚えていない赤子の霊のようだ。

 因みに、その怪異を名づけたのもマユ自身だ。


「私がウジャクの動きを止める。その間にあの二人を助けろ。やり方は教えた筈だ。」

「えええええ?いきなり実践?」


 異様な光景だった。

 下を向いている青白い顔の男女に、幾本もの何かが纏わりついている。

 よく見ると色んな形態の手だ。動物の足だったり、ただの木の枝だったり。

 そして、中心にはうー、うー、と唸る顔のような何か。

 人間の魂は特別なものらしく、怪異の核になりやすいという。

 集まった動物霊は自分の形を覚えていないから、あんな異様な形になるらしい。

 あの赤子だって自分のカタチを覚える前に死んでしまったのだろう、背中から沢山の手が出ている。


 うーうー唸る孔雀みたいな見た目だからウジャク、とマユさんが前に教えてくれた。

 そして、その時。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン…


「列車の音⁉これってマズイ‼」


 ウジャクは線路に居て、男女二人はプラットホームで棒立ちしている。

 怪異の核が人間の魂なのは、魂の存在を感覚的に知っているからだそうだ。

 霊長類の頂点とは、そういう意味、これらもマユさんから教わった。


『うーーー‼うーーー‼うーーー‼』


 ウジャクの孔雀のように広がった腕に捕まった二人が、線路側に引き寄せられる。

 そこで気が付いたが、もしかしたら、うらめしいの『う』なのかもしれない。


「本体の動きは止めた。その腕を断ち切りなさい‼」

「分かってますって‼えっと、この地に縛られた者を……、なんだっけ」

「言葉は何でもいい。気持ちが伝わればそれでいい。つまり——」


 霊体に決まった姿はない。その姿は霊体の思いのカタチ。

 だから、僕の手も思いによって形を変える。巨大クマの前足をイメージして、怪異の腕を断ち切る。

 そして、マユに教えて貰った通りの気持ちを、あの怪異にぶつける。


「帰る場所があるだろ‼そっちのが絶対に心地よいって‼」


 破魔の言葉でも、お経でもない、ただの言葉だ。

 その言葉が聞いたのか、それとも前足の一撃が強力だったのか、ウジャクの数十本の腕は散り散りになった。


 直後、ゴトンゴトン‼と轟音を響かせながら、列車が通り過ぎた。

 その音で我に返った男と女が、顔を上げて目を剥いた。

 と同時に僕も、目を丸くしてしまった。


「まこちゃん?れいちゃん?」

「圭……太……?」


 何年ぶりに顔を見ただろうか。成長期の前の記憶しかなかったけれど、十年前の友達だと直ぐに分かった。二階堂誠、水上麗華の二人。十年前はクラスメイトだった。


「本当に圭太…なのか?」

「どうして圭太が……」


 だけど、感動の再会も直ぐに終わる。

 二人の視線は僕の更に後ろに行ってしまったのだ。


「ヒェ…」


 そして、二人は僕を見た時よりもずっと大きく瞼を剥いた。


「ウジャク、行くべき場所へ行きなさい。……それから貴方達も直ぐにここから離れなさい。今、ケテワラジの声が聞こえた。行くぞ。」


 そう。僕の後ろにはマユさんがいた。

 十年前、誠が蹴破った扉の向こうに居たのは白装束の女だった。

 その白装束の女がマユさんだったのだけれど。

 当時、二人は彼女を見てしまい、圭太をその場に残して逃げていった。


「けてわらじ?そんな急に」

「それに、これ以上留まるのも良くない。急げ」

「分かったよ。それじゃね。まこちゃん、れいちゃん」


 僕が手を振り、挨拶をするも、二人は呆然と立ち尽くしたままだった。


「問題ない。あの二人は解放された。百毒部屋の怪異の影響は消えた。それはお前が一番分かっている筈だ」

「……分かってるつもり。それで次は?」

「ここから遠くない山の中。どこもかしこも私の記憶とは違う。お前の記憶が頼りだ。」

「そっか。マユさんは江戸時代の人だから、道が分からないんだね。えっとね…」


 今でこそ線路が敷かれ、山道を車が行き交う町だが、当時は小さな盆地に作られた集落だった。


「鳶鳴トンネルの方かな。」

「鳶鳴だと?あのような危険な穴道がまだ使われているのか?」

「いやいや。今はコンクリートで固められた丈夫なトンネル。…あ、でも正確には新・鳶鳴トンネルだっけ。」

「まぁいい。直ぐに向かうぞ。」


 江戸時代初期、大飢饉がこの集落を襲った。

 当時の藩主は銀を手に入れる為に、直前の凶作により相場の上がっていた米を、備蓄米を売ることで富を手にしていたという。

 その後に、更なる凶作が待っているとも知らずに。


『ケケケケケケケケ、テテテテテテテテ…』


 独特の鳴き声が漆黒の山の中に響き渡っている。

 ケテワラジという名前もマユさんがつけたものだ。


「でも、この声って。沢山の子供の……」

「考えるな。早く案内しろ。お前も幽霊だ。木も土も、山の中も通り抜けられる」

「はいはい。そっちの方が慣れてるし」


 ケとテは、無数の『助けて』という声の複合体だった。

 どうしてこうなってしまったのか、大きなダンゴムシの甲羅部分に子供の顔らしきものが無数に浮かんでいる。

 そして、怪異に追われる一台の車。あれはどう考えてもスピードを出し過ぎている。


「今回も同じだ。私は怪異本体の足止めをする。お前はあの箱をどうにかしろ」


 そろそろトンネルを抜ける頃。そしてトンネルの外には急カーブが待っている。

 以前に事故があったのだろう、ガードレールは補修中のようで警告灯とネットが張られている。

 車がそこを突き抜けて、一気に転落してしまいそうだった。


「幽霊は…」

「分かってます‼」


 存在していると強く信じることで、物体に触れることが出来る。

 だが、今必要なのは通り抜けて車の中に入ることだ。

 僕は黒のセダンの後部座席に乗り込んだ。すると、直ぐに異様な光景が飛び込んできた。


「気持ちわる…」


 背中に顔が浮かび上がった小さなダンゴムシが、運転席に座る女と助手席に座る男の体に群がっている。

 それら一つ一つが怪異だから、先のように払いのけることは出来る。

 でも、その前に‼


「すみません。ちょっと失礼します‼」


 運転手が華奢な女性で良かった。彼女とハンドルの間に体を滑り込ませて、アクセルを踏む足を払いのけることが出来た。

 そして、両手で思い切りブレーキを踏む。


 キィィィィィィィィィィィィィィィィィ


 すると、耳を劈くスキール音がして、体が飛び出そうになった。


「いや。霊体だから。重力とか慣性は関係ないから。……ヒッ‼」


 そこで僕は不覚にも悲鳴を上げてしまった。

 だって、運転席の床からぬっと女が顔を覗かせたのだから。


 って‼


「マユさん、ふざけないでください。今度こそ死ぬかと思ったじゃないですか」

「馬鹿。幽霊だと思い込み過ぎるなと言っている。お前が霊体化しそうだから、慌てて止めに来た。それにこのふざけた鉄塊はとっくに止まっているぞ」


 どうやら、車は既に停止していたらしい。

 前座席に座っていた男女に纏わりついていた虫が、ボロボロと落ちていく。


「本体に戻るつもりだ。お前も一緒に来い。」

「全く…。幽霊遣いが荒いんだから。」

「お前のせいで足止めに失敗した。ケテワラジはこのまま突っ込んでくる。ここで食い止めるぞ」


 ダンゴムシがよほど好きだったのか、それともダンゴムシに体を這われるのが嫌だったのか、巨大なダンゴムシと化した過去の怨霊。

 大飢饉のせいで、集落では餓死者が続出した。米を買い戻すなどの施策がとられたらしい。

 だが、山に隔てられたこの集落までは助けが回らなかった。

 飢えて死ぬだけ、その状況は凄まじくて、彼らに出来ることは、…全てを呪うことだけだった。


「これ、僕にどうにかできます?」

「お前の力は必要だ。在らざる者に道を示すだけだ。お前たちの居場所はここではない、とな」


 ケテワラジは、強大な霊力を持つマユさんでも簡単には払いきれない怪異だった。

 僕にやれることは一つだけ。あの子たちに暖かい場所があることを教えることだ。


「君たちはケテワラジじゃない。子供たちだ‼僕がみんなを助ける‼だから…」


 当時はこんな便利な道はなかったから、集落の人間は食べ物を分けてもらえなかった。

 みんなが飢えて死んだ。赤子たちは意味も分からず苦しんで死んだのだろう。

 マユさんの話では、一人の村人が呪いの儀式を思いついてしまったのだという。


「お前、無理をするな」

「大丈夫です。助けを求める声を…、僕は…」


 僕はあのマユさんさえ目を剥く行動に出た。

 山のように大きなダンゴムシと、ただ激突しただけだけど。

 それでも僕の思いは通じたらしく、青白い鱗粉となってそれらは無事に消えてくれた。


「……大丈夫か?お前は今、生きているのだぞ?」

「うん、多分ですけど。大丈夫じゃなかったら、ゴメンなさい。それより…」


 子供たちの嘆きも気になったが、後ろにいる男女二人のことも気になっていた。

 僕の見間違え出なければあの二人は、そう思って振り返ると男と女は車外に出ていた。

 そしてこちらを見て立ち尽くしていた。

 アレを見せられたら無理もないけれど。


「久しぶり。しょうちゃん、あかねちゃん」


 前田彰吾、藤崎アカネ。この二人もクラスメイトだった。

 

「圭太……君……、その姿…」

「ゴメンなさい。ゴメンなさい……」


 彰吾は泣き虫で、アカネはマセていた。あの日の探検もそんな感じだった。

 入ってはいけない家、開けてはいけない扉。

 その先に見えた白い女。僕を含めて全員が肝を冷やしたあの事件。

 アカネは僕を突き飛ばして、我先にと逃げた。

 彰吾は僕が伸ばした手を払いのけて走り去った。


 ——そして僕だけが呪いの家に取り残された。


「ひ……、あの女もいる」

「ゴメンなさい。ゴメンなさい……」


 怯える彰吾と謝り続けるアカネ。

 今回も、僕の後ろには白装束の女がいるから。


「早くしろ。もうすぐ日が昇るぞ‼」


 と、ここでもやはり空気を読まずにマユさんは僕を急かした。

 確かに日が昇っては不味い。確かに時間が迫っていた。

 それでも僕はどうにか頑張って柔和な笑みを浮かべて、こう言った。


「僕は怒ってないから、大丈夫。それに怪異はまだそこら中に居るんだよ。さぁ、早く行って。」


 すると二人は青い顔のまま、車に乗っていなくなった。


     ◇


 工藤圭太、二階堂誠、水上麗華、前田彰吾、藤崎アカネ。

 この五人が十年前に事件を起こした子供たちだ。

 入ってはならない家に忍び込んで、封印された扉を開いてしまった好奇心旺盛な五人組。


 怪異を討伐した次の日、村では葬儀が行われていた。

 その葬儀場で二階堂誠は俯いて言った。


「結局、死んだんだな…」


 水上麗華は青い顔のまま言った。


「あの時、あんなところに行かなければ…」


 前田彰吾は呟いた。


「連れて行かれるのかな…」


 藤崎アカネは


「ゴメンなさい…ゴメンなさい…」


 今も謝り続けていた。


 皆、僕が居るのに僕の方を見ず、悔しい顔、青い顔、暗い顔、悲しい顔で死を厭んだ。

 皆、死を悔やみながら、僕の前から姿を消した。

 結局、最後の最後まで、誰も僕を見ることは無かった。


 ——それはまぁ、仕方のないことだけれど。


 僕は幽霊のマユさんに話しかけた。


「結局、助けられなかったんです」

「仕方あるまい。あの呪いはこの私でも抑えることが出来なかったものだ。」

「そか…」

「だが、ある意味間に合った。彼らは自分の葬儀に間に合ったのだからな。無事に成仏出来た。あのまま放っておけば、怪異に取り込まれ、延々と死を繰り返していただろう。」


 そう。葬儀は彼ら自身のものだった。

 あの日、解き放たれた呪いは彼らを逃しはしなかった。

 解き放たれた時には、既に彼らに憑りついていたのだから。


「この町に留まってくれてたら、マユさんがどうにか出来たかもしれないのにね。あの時の僕は…」


 理性を失って、訳の分からないことを話していたらしい。

 それが落ち着いた後、僕はマユさんから話を聞いた。

 皆に話そうとしたけれど、彼らは僕に会ってはならないと住職に言われていたらしい。

 そして僕は寺の一室に閉じ込められたままで、いつの間にか四人はこの町から引っ越していた。


「当時、私が出るまでは開けてはならぬと言伝をした。私が出てこないということは怪異が封じられていないということ。それを忘れてしまったとは、嘆かわしい」


 この町は、村人全員が一つの部屋で飢え死ぬという呪法が行われた廃村だった。

 廃村になった後は、周囲に不幸をばら撒く存在となった。

 マユは江戸時代末期の高名な霊能力者だったらしく、藩主からの依頼でここに訪れたらしい。


「怪異はマユさんを呪い殺そうとして成功した。けど、彼らが行う呪殺は霊魂を呑み込み、呪縛霊にさせるものだった。」

「だから、私は魂になっても封じ続けた。それで周辺への影響を抑えられていたというのに。それを忘れてしまうとは」


 つまり、あの四人は怪異を抑えつけていた女の幽霊を、怪異だと思って逃げ出したのだ。

 そう思ってしまう気持ちも分からなくはない。それほどマユさんの睨みは怖い。


「そんなことより、お前は早く体に戻れ。私はお前の葬儀は見たくない」

「お。優しいんだ‼」

「チッ。そんなことはない。さっさと戻れ‼」


 そして僕はマユさんに言われた通り、工藤圭太の体へと向かった。


     ◇


 僕は病室の天井を眺めていた。

 すると、昨日マユさんが張り付いていた窓の反対側からガチャリと音がした。

 ドアの隙間から喪服姿の母親が現れて、目を開けていた僕を見た瞬間、泣き崩れてしまった。


「…お母さん?」

「圭太、目を覚ましたのね‼本当に良かった…」


 母の涙が止まることはなかった。

 僕は、何度彼女を泣かせてきたことだろうか。


「お母さん、何があったの?」


 彼女の服装を見れば、何があったかくらい分かる。けれど、幽体離脱して見ていたなんて言ったら、今度は悲しみの涙へ変わってしまう。


「…圭太、落ち着いて聞いてちょうだいね。」


 母は涙を拭い、何度か深呼吸を繰り返した。

 僕は両親と一緒に暮らしていない。さっきも言ったようにお寺の奥の奥、小さな部屋に軟禁されていた。お寺の僧侶でさえ目を合わせてくれない。

 一応、両親の面会だけは許されていて、母親は何度か尋ねに来てくれる。父親も一応、年に一度くらいは顔を見せてくれる。


「今ね。葬儀に行ってきたの。覚えている…かしら。十年前のお友達。二階堂くん、水上さん、前田くん、藤崎さん。」


 お母さんの顔はとっても複雑だった。

 だって彼女の中では、僕とその四人は同列にはいない。

 あの日、僕は行方不明扱いになっていた。

 四人は口を噤んだままだったから、僕があの家で発狂した状態で見つかったのは、あの事件の三日後だった。


「こんなこと考えちゃいけないんだけど…。やっと天罰が下ったの。圭太を置き去りにした罰が…」

「お母さん。それ以上はダメだよ。でも、そっか。だから喪服を…。ざんね……」


 話している途中だったけど、突然声が出せなくなった。

 うれしいやら、はずかしいやら、苦しいやら。


「圭太、なんて優しい子。そうよね。人を呪わば…っていうしね。そうだ。圭太、これを肌身離さず持ちなさい。兼祥様ほどではないけど、息子さんも立派なお坊さんに育ったんだって。」

「え…?兼祥様って僕の面倒を見てくれていたお坊さんだよね?」


 僕の言葉に母は口を押えて、顔を青くした。

 その理由を僕は知らない。だから、聞いてみたら、顔が青くなった。


「…そういうことだったのね。圭太、このお守りは絶対に肌身離さずに持っておきなさい。お母さん、今から偉いお坊さんを探してくるから‼」

「お母さん‼待って‼僕は大丈夫だから‼」

「本当に優しい子…。それを持って、おとなしく待っていなさい。お父さんに電話をしてくるだけだから、ね」


 そして母は喪服姿にはあるまじき猛ダッシュで、病室を後にした。

 その直後、母親を見送っていた僕の後ろで、大きな音がした。

 ガシャン‼という激しい音と共に、硝子片が僕の頬を掠めた。

 ベッドの上、床がガラス塗れとなり、身動きが取れなくなる。


 そして──


 彼女の声が聞こえた。


「よくもまぁ、そんな良い子ぶれるものだな。」


 マユはいつもと同じ顔で僕を睨みつけた。彼女は会った時からずっと僕を睨みつけているんだけれど。


「あの時、何があった?和尚を殺したのはお前だろう?」

「僕は読経するように言われたところで気を失ったんです。」


 読書を始めたところまでは覚えていて、気が付いたら幽体離脱をしていた。


「アレはなかなかに力のある坊主だった。お前を封じ込めるまでは出来なかったらしいが、邪鬼を払いのける程度は出来た。成程、お前が和尚を殺して札の効果を消したのか。それであの四人は異変を感じて、札を乞う為にこちらへ向かった。だが、ここへ近づけば、呪殺の力も上がる。それで四人が同日に死んだのか。」


 そんなことを言われても、と思ってしまう。

 僕の記憶は間違いなく工藤圭太のものだ。


「マユさんに言われる筋合いはないですよ。この体を使って怪異を沈めている。利用しているのはマユさんも同じですよね?」

「それは…。チッ。この話はまた後だ。」


 幽霊は舌打ちをして消えた。

 それにしても廊下がやけに慌ただしい。

 工藤さん、走らないでください、なんて声も聞こえてくる。

 お母さんはとても心配してくれていて、病院の廊下を走って戻ってきたらしい。

 僕はドアが開く前に急いで布団を被った。

 すると。


「ひぃぃぃぃぃぃ、圭太、大丈夫なの?誰か、誰かー‼看護師さん、圭太が圭太が‼」


 慌てて駆けつける看護師の女が悲鳴を上げる。

 窓ガラスが全て割れているのだから、パニックにもなろう。


「大丈夫だよ、お母さん。ほら、僕は布団を被って…」

「切れてるじゃない。先生を‼早く先生を呼んで来て下さい‼」

「はい‼直ぐに呼んできます‼」


 僕はどうにか落ち着かせようと、母を宥める。

 けれど、あの事件に関わった四人が数日前に死んで、息子に何もないわけがない。


「お守りは?お守りは何処へやったの?」

「え…、えと…」


 渡したばかりのお守りが真っ黒になっているのを見て、母はパニックに陥る。

 だから、僕は母を落ち着かせる為に、とある事実を話すことにした。


「お母さん、心配しないで。僕には強い守護霊さまがついているから」


 また、舌打ちが聞こえた。

 実際、僕は僕がどうなったのかを知らない。

 あの時に呪殺されたのかもしれないし、何かにとり憑かれてしまったのかもしれない。


 そして、怪異は僕の中に…?


「おい。ここ、入れるぞ」

「入る……の?」


 だったら、あの声は怪異のもの?


 あの部屋に呪縛されていた彼女が、今は僕と共にある。


 ──それこそが僕の正体の証明なのだけれど。

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