五十にして四十九年の非を知る

三鹿ショート

五十にして四十九年の非を知る

 自身の生命活動に終わりが近付いてきていることを意識し始めたとき、私は人生を振り返った。

 其処で、自分が自分のために生きていなかったことに気が付いた。

 常に他者の顔色を窺い、嫌われることがないようにするために、自分から厄介事を引き受けては、役に立つ人間を演じ続けていた。

 それは、己が孤立することを避けるための行為だったのだが、今では私のことを知っている人間のほとんどがこの世を去っていることを考えると、これまでの生き方を変え、残り少ない時間を、自分の望むままに過ごすべきではないだろうか。

 抱いた思考を口にすると、彼女は首肯を返した。

「人生を愉しむことは、何時でも出来るのです。これまでの人生を取り戻すことができるわけではありませんが、我慢していた分、愉しんだとしても、罰は当たらないと思います」

 彼女は自身の胸に手を当てると、

「私で良ければ、協力しましょう」

「本当に、良いのかい。きみには私よりも多くの時間が残されているとはいえ、私に付き合って無駄な時間を過ごすべきではないと思うが」

 その言葉に、彼女は首を左右に振った。

「あなたが喜ぶ顔を見ると、私もまた、嬉しくなるのです。気にすることはありません」

 年老いた私だけでは満足に行動することもできないことを考えると、彼女の協力が必要であることは間違いない。

 だが、若い彼女の未来を思えば、今すぐにでも私の前から去り、己の幸福のために動くべきである。

 しかし、彼女にとっての幸福が、私が満足することだということならば、私は彼女の言葉に甘えるべきだった。

 私が首肯を返すと、彼女は笑みを浮かべながら私に抱きついた。


***


 自分が何を望んでいるのか、それは後悔したことから考えることができる。

 例えば、誰かのために時間を割いたことで望んでいた場所へ向かうことができなかったのならば、今こそその場所へと向かうべきなのである。

 そのようにして、私は彼女と共に、様々な場所へと向かい、これまで味わったことのなかった喜びや楽しさに溺れた。

 時折、私だけが愉しんでいるのではないかと彼女に目を向けたこともあったが、彼女もまた、私と同じような表情を浮かべていたことを思えば、問題は無いようだった。


***


 やがて、私は寝台から動くことができなくなってしまった。

 私の我儘に付き合ってくれただけではなく、献身的に世話をしてくれている彼女には、この世に存在するあらゆる感謝の言葉を吐いても足りないほどだった。

 彼女は弱音や不満を口にすることなく、常に笑みを浮かべながら、私に付ききりの日々を送っていた。

 私は、一刻も早く彼女を自由にしたいと思った。

 私のような人間に、彼女のような素晴らしい人間が構い続けることは、この世界にとっては不利益でしかないのである。

 だが、今の私には、自分の力でこの世を去るほどの力は残っていなかったために、次の瞬間には心臓が停止することを望み続けた。

 しかし、この願望が叶うことはなかった。


***


 私の生命が長くは無いと医師から告げられると、彼女は涙を流した。

 それでも、彼女は変わらずに私の世話を続けてくれている。

 今日もまた申し訳なさを覚えていたが、突如として、常とは異なる感覚に襲われた。

 寒くは無いにも関わらず、極寒の地に放り出されたかのように身体が震え始め、世界から光というものが消えたかのように、目の前が暗闇と化した。

 彼女が叫ぶ声が聞こえてくるが、どのような言葉を口にしているのかまでは分からなかった。

 気が付けば、私は宙に浮いていた。

 そして、動くことがなくなった私のことを、涙を流しながら抱きしめている彼女の姿を目にした。

 医師たちは、沈痛な面持ちで私と彼女に目を向けている。

 彼女には申し訳ないが、私は安堵した。

 これで、彼女もまた、自分の人生を愉しむことができるようになるからだ。

 自身の幸福のためには私が必要だと彼女は言っていたが、私のような老人に構うことよりも愉しいことは、世の中に存在していることだろう。

 愛していた女性だからこそ、生き続け、人生を愉しんでほしかったのである。

 涙を流す彼女に頭を下げると、私は天に向かっていく。

 その途中で、私は会うことを避けていた女性と再会してしまった。

 女性は眉を顰めたまま、私の頬を平手で打った。

 だが、私が反撃することも、怒りを抱くこともなかった。

 そのようなことをされたとしても文句を言うことができない行為を、私は続けていたのである。

 それから私は、女性だけではなく、見知った他の人間たちからも、暴行を加えられた。

 私は、黙って耐え続けた。

 そうすることが、姉の子どもに手を出してしまった私が受けるべき罰だったからである。

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五十にして四十九年の非を知る 三鹿ショート @mijikashort

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