社会性と生物の意義、人類の発展について①

 全ての生物に生きる意味や意義があるのか。

 これはかなり哲学的な問題で答えがあるものではないというものであるのは確かです。

 万人に共通する、「これだ」というものがあれば誰もが迷わずに生きていけるでしょう。


 宇宙が有限なのか無限なのか、それすらまだわかっていないのです。

 太陽が寿命を迎える50億年後、地球上では生物が生きて行けなくなることは間違いないですが、技術が発展できれば人類あるいは別の知的生命体がそこから離脱することは可能でしょう。あまりにも技術が極まっているならば寿命を終えた太陽の残骸から太陽を新しく生み出すことも可能かも知れません。


 そうなった時、今生きている生き物全てにに意義があったと言えるのではないでしょうか?

 いくら無駄死にに思える生き方をした生物であったとしてもです。生態系はかなり複雑で、無駄に思えるような生き物も生態系の輪の中では重要な役割だったということは珍しくありません。


 人間が合成できない物質も、生物が生み出していて、人間がそれを見出して利用するという例は多々あります。

 生物多様性が重要なのもそこです。その生物にしか生み出せないものがあるのに絶滅させてしまっては困るのは自分なのです。人間以外の種の存在意義は人類にとってすら未知数ということです。


 さて、今回はそんな生物たちの社会性……というのも何ですが、生存政略や習性について。

「生物は種を残すのが目的」とよく言われますが、自分の遺伝子を残す必要が必ずしもないというのは自然界の生物を観察で認められます。

「種」としては存続は「絶対条件」です。その中で「個体が自分の子を残す」というのは種全体から見れば「十分条件」でしかありません。



 自分の子を残さずとも、群れに貢献することで種の繁栄を担うことも立派な役割です。

 哺乳類や鳥類に「ヘルパー」と呼ばれる役割を担う生物が見られます。

 自分の配偶者や縄張りを手に入られなかった個体がこれを担います。

「協同繁殖」とも言いますが、人類はおそらくはそのヘルパーを流動的に行う生物であったのではないかと思われます。

 世界中に乳母という習性があったことからも野生を生きた時代からの生存率を上げる戦略だったのでしょう。


 人類はそもそも、狩猟採集で発展してきた生物です。

 ですが、農業や畜産というものを発明してからは狩猟採集以外の仕事も増えてきました。

 そこから経済というものが生まれ、各個人の行動に対して価値を付けるようになってきました。完全なる分業です。当然、いくつか掛け持ちするような人はいつの時代にもいますが、一人でなんでもやる人はそう多くありません。効率が悪くなりますから。


 農業、畜産などで余裕ができ、生きていくことに余裕で出てくると自然に支配層が生まれてきます。文字なども発明されます。

 文字は人間が文明、ひいては科学を発展させるのに必須のものです。

 口伝における後世への教育は一部の動物においては見られます。

 が、文字というものは個体が滅びても残すことのできる強力なものです。


 文字によって人間の特性は「後世への情報伝達」を外部に残すという新たなものを身に付けました。


 つまり、知識の蓄積が可能になったということです。

 現代に残る全ての科学技術は人が長い間に蓄えたあらゆる知識を展開・高度化したものです。

 学校教育は過去に得た人類が得た知識を次世代に習得させる場です。

 これにより1からやりなおしではなく途中から発展させることが可能だということは大きなアドバンテージでしょう。

 過去の技術で失われてしまったものも多いですが書物そのものが焼失したり為政者に焼かれたりした例が見られます。

 焚書はろくなものではない、と言い切れます。


 こうして人間は子を残すという以外に文字として形を残した知識を伝えるという遺伝や口伝とはまた違う伝達手段を手に入れたことにより生きる意味を増やしたのです。


(長そうなので次へ)

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