両片思いが契約結婚させられた話

亜逸

両片思いが契約結婚させられた話

 長テーブルを挟んで、マルスとステラは目の前に並べられた朝食を黙々と口に運んでいく。


 マルスはほんの一ヶ月前に、二〇歳という若さで家督を継ぐハメになってしまった、ウィットナー伯爵家の長男。


 彼と朝食と共にしているステラは、マルスが家督を継ぐのに合わせてウィットナー家に嫁ぐハメになってしまった、彼と同い年のコルニオ伯爵家の長女。


 う。

 マルスとステラは夫婦だった。

 それも互いの親が勝手に決めた、契約結婚によって結ばれた。


 マルスが若くして家督を継ぐハメになったのは、前当主でありマルスの父でもあるデニーロ・ウィットナーが、病によって公務に支障が出るほどに体調を崩したせいにあった。


 長男ゆえに、いずれは家督を継ぐことを覚悟していたため、多少以上のプレッシャーを感じてはいるものの、それ自体は特段問題視するような話ではなかった。

 マルスにとって問題だったのは、デニーロが「伯爵家の当主たる者、独り身では格好がつかん」と言い出したことだった。


 マルス自身いまだ誰とも婚約を結んでおらず、これといった相手がいるとも明言していなかったため、結婚なんてそうすぐにできるわけがない――はずだった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、ステラだった。


 マルスの父であるデニーロ・ウィットナーと、ステラの父であるアリオス・コルニオは親友の間柄にある。

 実際、デニーロが病に伏した際、頼まれるまでもなく医者を手配してくれたのがアリオスだった。


 だから、デニーロの容態については、アリオスはそれこそ彼の息子のマルス以上に熟知しており、デニーロがマルスに家督を譲ることに決めたことも、「伯爵家の当主たる者、独り身では格好がつかん」と言っていたことも、しっかりと熟知していた。


 そこでアリオスが持ちかけたのが、自分の娘であるステラをマルスと契約結婚させるという話だった。


 期限は一年。

 それだけ続けば離婚してしまったとしても、伯爵家当主としては格好がつくはず。

 契約結婚ゆえに跡取りをつくることはできないが、そのために一年という時を費やしたところでマルスの年齢は二一歳。いくらでもやり直しは利く。

 そんなアリオスの話に、デニーロが乗っかり……今に至る。


 兎にも角にも、マルスとステラは夫婦になった。

 だからこうして朝食を共にしているわけだが、契約結婚ゆえか、会話は全くと言っていいほどなかった。


 それからしばらくして、ほとんど同じタイミングで朝食を平らげた二人は、


「では、私はこれで」

「ええ。わたくしもこれで」


 さっさと席を立ち、さっさと自室に戻ってしまう。


 これは契約結婚。

 だから、必要以上に接するつもりはないと言わんばかりに。


 実際、マルスとステラは寝室も別々にしており、同じ館に住んでいるはずなのに、二人の接点は驚くほどに少なかった。

 むしろ、世間体を気にする両家の親の要望によって、仲睦まじい夫婦を必要がある〝外〟――社交界に顔を出している時の方が、余程接点が多いくらいだった。


 これぞ契約結婚の手本と言わんばかりの、絵に描いたような仮面夫婦。

 

 しかしこの夫婦の場合、被っていた仮面は一枚だけでは済んでいなかった。

 いや、ある意味では仮面を被っていないと言えるかもしれない。

 なぜなら、マルスはステラのことを――


 そうこうしている内に、マルスは自室に辿り着く。

 中に入り、扉の鍵を閉めると、マルスは緊張の糸が切れたようにベッドに倒れ込む。

 そして呟く。



「今日も、私のステラが美しすぎてつらい」



 自分の加味と同じ色とは思えないほどに、輝くような金色の髪。

 国宝級の宝石をそのまま嵌め込んだような、あまりにも美しい翡翠色の瞳。

 少しばかりあどけなさが残る、芸術作品よりも芸術的な容貌。

 太陽の外に出すのも憚れるくらいに眩しく白い肌。

 

 どれをとっても、自分如きには勿体ないと思えるくらい美しいと、マルスは思う。


 同時に、罪悪感も抱いてしまう。

 今の自分は、ステラの外面しか褒めることができないことに。


 両親が親友の間柄ということもあって、何かとよく遊んでいたマルスとステラは、はたから見ても微笑ましいくらいに仲が良かった。

 だがそれは思春期を迎えるまでの話。

 以降は、それこそ先程の食事風景と同じくらいに、他人を相手にしている時以上に他人行儀になってしまった。


 もっともそれは、少なくともマルスの中ではステラのことが嫌いになったというわけではなく。

 その逆に、思春期を迎えたあたりで、ステラのことが好きで好きでたまらないことを自覚してしまい、彼女とどう接すればいいのかわからなくなってしまったせいで、他人以上に他人行儀になってしまった。


 そんな自分の態度を見たせいか、それともその前からだったのかは、マルスもよく憶えていないが、ステラはステラで同じように他人行儀に接してくるものだから、いつしかそうするのが当たり前になってしまい……契約とはいえ結婚してなお、この有り様になっていた。


 あとこれは完全に余談だが、父デニーロがステラとの契約結婚の話を持ちかけてきた時は、マルスの頭の中はもうお祭りカーニバル騒ぎになっていた。


 閑話休題。

 兎にも角にも、契約という形とはいえ結婚したのだから、さっさと思いの丈を打ち明けて、さっさと館の中でも仲睦まじく――というか、ぶっちゃけイチャイチャしたいところだったが。

 今の有り様を見てもわかるとおり、今日こんにちに至るまでマルスは思いの丈をステラに打ち明けられずにいた。


 打ち明けられない理由は至って単純。

 マルスはヘタレていた。


 ステラに思いの丈を打ち明けた結果、「契約結婚なのに何を真に受けていますの」とか、「一人で勝手に盛り上がるのはやめてください」とか、冷たくあしらわれてしまった日には、向こう一〇年は立ち直れない自信があった。


 だから今は演じるしかなかった。

 仲睦まじい夫婦を演じている仮面夫婦を、演じるしかなかった。


「ステラが私と同じ思いでいてくれたなら、話は早いのだが……」




 そんなマルスの愚痴をよそに。




 一人自室に戻ったステラは、




「今日も、わたくしのマルスが格好良すぎてつらい」


 マルスと同じようなことを独りごちながら、マルスと同じようにベッドに倒れ込んでいた。


 実のところステラも、相手のことが好きで好きで堪らないという意味ではマルスと同じだった。


 そして、思春期を拗らせてしまったがゆえに、相手に他人以上に他人行儀になってしまったのも同じ。


 そのせいで相手の外面しか褒められないことに罪悪感を抱いていることも、ヘタレなせいで相手に思いの丈を打ち明けることができないのも、契約結婚の話を聞かされた際は心の内がお祭りカーニバル騒ぎになったことも、ぶっちゃけ相手とイチャイチャしたいことも、何もかもがマルスと同じだった。


 そして、


「マルスがわたくしと同じ思いでいてくれたら、話は早いのに……」


 愚痴の内容もまた、同じだった。


「……まあ、いいですわ」


 今日の夜は、社交パーティがある。

 ヘタレで思いの丈を打ち明けられなくても、公然とマルスとイチャイチャすることができる。


「夜が待ち遠しいですわ」


 と、ステラが独りごちるのと同じタイミングで、


「夜が待ち遠しいな」


 同じことを考えていたマルスが、同じことを独りごちた。










 その夜、夫婦揃って社交パーティに出席したマルスとステラは、


「ステラ。髪飾りの位置が少しズレているぞ」


 それを理由に、マルスはステラに触れ、


「マルスこそ。ネクタイがズレてますわよ」


 それを理由に、ステラはマルスに触れていた。

 なお、髪飾りにしてもネクタイにしても、マルスもステラも相手に触れてもらうためにわざとズラしているものだから、もういい加減契約抜きでさっさとお前ら結婚しろとしか言いようがなかった。


二人揃って、穏やかな笑みをそのままに、


(至福の時間だな……!)

(至福の時間ですわ……!)


 こんな感じで心の内で狂喜乱舞しているから、なおさらに。


「見て、ウィットナー夫妻よ」

「いつも仲睦まじいな」

「俺も、ああいう相手をつかまえられたらなぁ」


 マルスとステラの様子を見ていた紳士淑女たちが、微笑ましそうに羨ましそうに談笑する。


 その声を聞いたマルスとステラは、


(だがそれは、ステラにとってはあくまでも契約結婚であることを悟らせないための演技にすぎないのだ……)

(けどそれは、マルスにとってはあくまでも契約結婚を遵守するための演技にすぎないのよね……)


 公然と相手とイチャつけることに幸せを感じる一方で、相手の方はそうではないのだろうと勝手に思い込み、穏やかな笑みを浮かべたまま勝手に気落ちしていた。


 はたから見たら、ただイチャついてるだけの二人だが、内実は契約結婚を遵守するために仮面夫婦を演じるためにイチャついてるけど、当の本人たちはただ本気でイチャついてるだけという、ややこしいようで実は見たままの状態のため全くややこしくない有り様になっていた。


 そんなマルスとステラに、パーティに出席していること自体が予想外だった人物が話しかけてくる。


「楽しんでいるかね、マルス、ステラ嬢」


 病を理由にマルスの家督を譲り、療養のためウィットナー家の館とは別の場所に移り住んだ、マルスの父――デニーロ・ウィットナー伯爵が。


「ち、父上!? どうしてここに!? お体は大丈夫なのですか!?」


「問題ないよ、マルスくん。今日はデニーロも調子が良いし、私も見ているからね」


 そう言って会話に交じってきたのは、ステラの父――アリオス・コルニオ伯爵だった。


「お、お父様も来ていらしたのですか!?」


 素っ頓狂な声を上げるステラに、アリオスは微笑みながら首肯する。


「デニーロの付き添いがてら、君たちの顔を見にね」

「しかし、少し見ない間に随分仲良くなっているじゃないか。それこそ、子供の頃のように」


 デニーロの言葉に、マルスとステラは気まずそうに口ごもる。

 そんな二人の反応に気づいているのかいないのか、デニールは事もなげに二人に向かって爆弾を放り込んだ。


「この調子ならば、跡取りの顔が見られる日も近いかもしれんな」


「「え?」」


 マルスとステラの動揺の声が、綺麗に重なる。


「ちちち父上! けけけ契約結婚なんてやらせた張本人が、ななな何を言ってるのですか!?」

「そそそそうですよ! こここ子供なんてつくったら、契約も何もないじゃありませんか!」


 小声で抗議する二人に、デニーロはニヤリと笑い、小声で返す。


「なぁに、ただの冗談だよ。まあ、お前たちがその気なら、冗談では済まなくしても構わんがな」

「……父上、からかってませんか?」

「さて、どうだろうな」


 マルスは思わず、深々とため息をついてしまう。

 この様子ならば、アリオスの言うとおり本当に今日は調子が良いのだろうと思ったマルスは、


「ステラ、少し外の風に当たりたい」

「ええ。お供しますわ」


 適当に理由をつけて、ウザがらみしてくる父親から離れることにした。


 バルコニーに出たところで、マルスはステラに謝る。


「すまない。私の父が突拍子もないことを言って」

「いいえ。もしかしたらデニーロ様は、ただ単純に孫の顔が見たいだけなのかもしれませんし」


 そんな言葉を交わしただけで、会話が途切れてしまう。

 気まずい沈黙が、夜風とともに二人の間を吹き抜けていく。


 二人は今、全く同じことを考えていた。

 考えていたから、口に出すことができなかった。


 なぜなら、その内容は、


(本当に子供をつくるか?――と訊いたら、ステラはどう答えるのだろうか……)

(本当に子供をつくります?――って訊いたら、マルスはどう答えるのでしょうか……)


 目の前の相手とどこまでシンクロしていることなど、マルスもステラも知りようがなく。

 意を決して訊ねようと口を開きかけるも、そのタイミングすらもシンクロしてしまい……結局、気まずい沈黙が二人の間を吹き抜けていく。


 そんな二人の様子を、デニーロとアリオスは、バルコニーの出入り口からコソッと眺めていた。


「これは、今回もダメそうだな」


 嘆息するデニーロに、アリオスは同意の首肯を返す。


「やれやれ……どこからどう見ても相思相愛なくせに、変なところで拗らせているから、息子マルスに家督を譲って契約という理由をつけてまで結婚させたというのに……」


 そんなデニーロの愚痴のとおり、デニーロとアリオスが、マルスとステラを契約結婚させたのは二人をくっつけるためだった。


 二人の父であるデニーロとアリオスから見れば、二人はちょっと思春期に拗らせただけで、両片思いであることは明白。

 だがさすがに、二〇歳を迎えてなおウダウダしているとは思わなかったので、業を煮やしたデニーロとアリオスは共謀して、二人の仲を無理矢理にでも進展させるために契約結婚を強行した。


 一応付け加えておくと、デニーロの病はあくまでもマルスとステラをくっつけるための嘘――仮病であり、そのためだけにデニーロは、年若いマルスに家督を譲ったのであった。

 これはこれで、大概に無茶苦茶な話である。


「アリオス……このままでは一年以内に二人をくっつけるのは無理かもしれんぞ」

「なに、その時は理由をつけてもう一年延長させるまでさ」


 そんな会話を交わす二人の父親は、この時は夢にも思っていなかった。

 マルスとステラのウダウダがここからさらに深刻化し、二人が本当の意味で夫婦になるまで、もう二年契約結婚を延長するハメになることを。


 頭を抱えたくなるようなウダウダっぷりに、未来のデニーロとアリオスが愚痴でも言ったのか、マルスとステラは仲良く揃って全く同時にくしゃみを吐き出した。

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