第2話 奇妙な依頼

 女が借りた住まいは、町の西外れだという。

 夕暮れに、芳郎よしろうが幼少期から雑用をしている老婆が、女から場所を聞き案内することになった。

 

 芳郎の声は、日が沈んでから発すると忌まわしいものを呼び寄せる。

 依頼が声の力によるのなら、この時間に呼ばれるのも当然だ。

 女が大金をちらつかせたことで、叔父夫婦は依頼を受けた。営む飯屋に客は来るが繁盛とまで言えず金が欲しいのだ。叔母の汚いものを見る目と、叔父の気を付けてなという呟きを背に家を出た。

 

 町の人に見られると、面倒だ。

 望んで奇妙なものを呼ぶ声を得たわけではない。なのにどうして、人の顔色をうかがって暮さなくてはならないのか。理不尽さに、ため息がでる。

 芳郎は手拭いで顔を隠し、老婆と人通りの少ない道へ足を向けた。


 すぐ前を歩く小さな老婆、ヤマばあは気づいたときから老いていた。

 芳郎の両親が生きていたある日、薄い戸を叩き訪ねて来た。

 山向こうから里へ下り、少しの食べ物と雨露をしのげる寝床を求め。

 両親の死後も、叔父夫婦に引き取られた芳郎と共に雑用で暮らしている。

 無口な老婆だが、小さな体にしては思いがけなく力が強く、よく働く。

 忌まわしいものを呼び寄せ、恐ろしさと嫌悪感から外れ者として町から孤立した芳郎だが、老婆にはどうでもいいことなのか淡々と接してくる。


 人通りと屋根が無くなり、町の外れとわかった。

 林を抜け、田んぼの見える下り坂に差し掛かる。すでに辺りは暗くなっていたが、昼間の残った熱気で汗が滲んだ。

 

 辿り着いた先には、小さな灯がともっていた。

 よく来たなと、あの女がぼやけた輪郭で待っていた。

 招かれるまま芳郎は、床に手をつき段差をあがる。ここまで来て臆しても仕方ない。うらぶれた屋敷であったが、いくぶん掃除がされ、破れた障子戸にも紙が当てられていた。


 かび臭い座敷の中で女に渡されたのは木の板だった。

 平たい、磨かれたような面を撫でる。深く引っかいたような溝がある。指の腹でなぞるうちに、ただの傷ではないと気付いた。

「ここに字が」

「読めるか」

 女の声に喜色が混じる。

 は、はじ、じめに、指で辿りながら確かめる。

 木の板は複数あるが、そう大きなものではない。そこに字が彫られていた。



 むかし、芳郎の声が呼び寄せたのは不気味な形で蠢くものだった。

 それまでも気味が悪いことが、夜になると起こっていた。

 意地の悪い従兄弟にそそのかされ喧嘩になり、日没の後に声を止めなかったあの日。影から這い出たものが、ぺちゃぺちゃ音をたて、壁や天井いっぱいに呻きながら這いまわった。

 異常な音に驚いて見に来た叔父たち親族が、不気味なそれらを目撃した。

 すぐ町の方々に伝わり、誰もが芳郎母子を遠巻きにするようになった。



 招かれた屋敷の周囲は静かだった。締め切った障子。不自然なほどの静寂。

 依頼を受けていいのか。また厄介なものを呼び寄せるかもしれない。

 けれど本当にやめてほしければ叔父が引き留めたであろう。何が起ころうと、自分だけのせいではない。

 

 覚悟を決め木片の字を読む。

 声を発すると、辺りに反響し驚いた。自身の声が別の物として聞こえるようだった。蝋燭の光が揺らぎ、風が障子戸を叩き、壁に映った影が微動した。

 

 まずゆらりと、床の上の暗闇がうねる。

 ねっとりとした暗色のそれは、明かりが風に揺れたように動きぼこぼこと膨らむ。粘性のあるそれから、いくつもの長い手か、顔のように形を取り始めた。

 おお、おおと低く不気味な響きとともに広がってゆく。

 息を飲むが、傍らに座る女の強い視線に、止めるのも恐ろしく感じた。

 黒い何かは、あぐらをかいた芳郎の頭のあたりまで来て、さらに高くなる。

 

 太い生きた柱のようなものは四方を囲い、窮屈さに体を曲げ芳郎を見下ろす。

 大勢に見つめられているようで、額から汗が流れた。妙な行いをしようものなら、得体のしれないものが喰らいかかるのではないか。

 揺れてお互いが触れるとざわめきが鳴る。そのものたちは、芳郎に対し何らかの期待で満ちているようにも思えた。

 

 木の板に記された字を読み上げてゆく。

 “水があった”と声にしても、そのままの言葉にはならない。いうあわわと、不明朗な音が響く。

 この状況に心細さと、しかし僅かな高揚感も芽生えていた。


 幼少期から芳郎の周りで起こる奇妙な現象は、両親を始め周囲を恐れさせた。

 影がざわめき、やがてあり得ない形を持ち始める。

 それは現れては短い間で消えたが、町の年寄りに恐ろしいものだと忠告され、それから芳郎は声をひそめ生きてきた。

 父が亡くなり母と生きていた頃は、それでもなんとか過ごせていた。が、目もよく見えず、声も潜めた子を持て余していたことだろう。

 夜分に声を出すのは久しぶりだ。

 恐ろしさよりも、長年疑問に思っていた奇怪な力に、知りたい気持ちの方が勝っていた。

 

 朗読が進むと、肌に冷えを感じた。

 芳郎の目前で、黒い不気味なものがぱらぱらと虫のように飛び回り、やがて固まって落ちる。落ちた黒い土塊つちくれから草木のように伸び始めた。

 その伸びた木々の合間から白いものが降る。髪に頬に当たり、それは古びた屋敷の一角を覆っていく。

 異常な寒さに、凍え始めた手を伸ばし床を撫でる。

 冷たいものがあり、指でふれると溶けた。

 雪だ。

 

 芳郎は震えた。

 胸の内で驚きと恐怖、そして喜びと言えるものが混ざり合っていた。自分が扱える力だろうか。

 得体のしれない恐ろしいものを呼び寄せる。こんな依頼を受けていいのか。進んではいけない道へ、足を踏み入れてしまったのか。


 夜分に、ここまで長く声を出したことはない。

 芳郎は心を落ち着けるため深呼吸をした。

 それともこれが望まれていたことか。芳郎の朗読が、再び静寂を破る。

 影は揺らめき、不気味な生きものの息遣いは感じたが、雨や雪が降り、草木が生い茂る勢いが強くなる。

 それらが旺盛になれば、影のものたちは身を潜めた。

 木片を読み終える。言葉を止めると、少しの間をおき幻は崩れ消えていった。芳郎は、ほぅとため息をつく。額に汗がにじんでいた。


「お前の声はあの世を引き寄せ、この世との間をつくる」 

 傍らで成り行きを見守っていた女が立ち上がり、目の前に座る。

「たくさんのものが出てきたが、探しているのはこれだ」

 女は月のような曲線の、白い斑入りの種子を差し出た。

 芳郎は顔を近づけ、目を凝らす。

 長い指で転がしながら、女はこの種から育つ果実が欲しいのだと言う。

 

「これの果実を得て、あやかしの本来の力を得たい」

 人の中で、あやかしと人をつなぐ力を持つものが稀に生まれ、それが芳郎なのだと女は言う。

「……あなた自身、人ではないと?」

 女は平坦な声で、お前たちは雪女などと言うと告げた。

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