異邦人

 聖歴730年12月17日。日本人が召喚されてから三ヶ月弱。

 その間に体力を伸ばす訓練と、ゴール語を学ぶ座学を日本人は叩き込まれていた。

 今朝も、起床ラッパの音色が鳴り響く。五分後、隊舎より異世界人たちは所定の位置に横一列で並び、点呼を始めた。

 春田秀人も、その中の一人だった。


『39』


 春田はゴール語で番号を言う。

 日本人たちはそれぞれ己に振り分けられた番号を口にして、残る八人もそれぞれ連番を唱えていく。

 もし遅れた者が出た場合、見せしめも兼ねた指導が始まるのである。それには肉体的苦痛が多分に伴うものであり、むしろゴール人たちはそれこそを目的としている節もあった。

 最後の者が47と叫んだ時、日本人たちは内心胸を撫で下ろした。


(47……)


 そもそも、一定数充足可能な日本人部隊において、47という数字はいかにも据わりが悪かった。素数であるためにどのように割っても過不足が発生するのである。

 春田は毎朝47という数字を聞くたびに、本来この数字には次があったことを思い出す。

 この世界に喚ばれたあの日、命を落とした隣人のことである。

 彼を撃った兵士は、未だに平気な顔をして任務に就いている。異世界人の脱柵を防ぐべく立てられている見張りの一人が彼であるためだ。彼が欠伸混じりに見張をこなしているのを見るたびに、この世界における日本人の扱いを痛感させられた。


「春田くん」

「ダメですよ相座さん、私語は。バレたらどうなるか」

「別にバレやしないって。それより、芹沢さんのことについて、昨夜気になる情報が来たんだよ」


 相座遊星は、あの時芹沢に庇われて命を救われた男だった。


「芹沢さんが拾ってくれた命でしょ。大切にしてください」


 後、とは基本的なランニングの後、座学が始まるまでの間に朝食の時間である。基本的に自由のない暮らしだが、自由時間は存外多い。これは日本人のことを慮ってということよりも、ゴール人が課せられた業務に対してそれほど真摯ではないために生じた隙のようなものだった。


「春田くん、探したよ」

「話ってなんです」


 春田は内心、相座のことを好いてはいなかった。彼が無謀なことをしなければ、あの隣人は命を落とさなかったのである。当然のことと言えた。

 だがそれを差し置いても相座という男は、春田にとって好きになる要素がない人間だった。相座はそのことなど知る由もなかったが。


「昨日、安息日だったろ。だから、見張の目を掻い潜って他の隊舎に忍び込んだんだ」

「何言ってんですか」


 春田は慌てて周囲を見る。


「安心しなよ。俺だって周りには気を配ってるさ」

「銃殺ですよ。最悪」


 春田にとり、相座の最も嫌いな部分がこれだった。

 異様なまでに軽率なのである。しかも周囲にまで危険が及ぶことを理解できないタチであった。春田はかつて相座が動画投稿者をしていたと自慢げに話していたが、いわゆる迷惑系だろうと看做している。


「大丈夫だって」

(お前が大丈夫でも話を聞いてるこっちが大丈夫じゃないんだよ)


 そのような気持ちを自然に込めたが、当然ながらそれが伝わるはずもなかった。


「で、街の向こう、一期上の隊舎に忍び込んだ」

「もう二度とやらないでくださいね」

「分かった、分かった。分かったから話の腰を折らないでくれ。で、そこで芹沢くんについて知ってる人がいたんだよ。連絡取りたいか?」

「だから、もう二度と抜け出さないで下さいって言いましたよね?」

「大丈夫だって。んで、まあそこそこ話を聞いたんだけどね、面白い話を聞けたよ」


 最早、春田は相手に対する軽蔑を隠さなくなった。


「春田くん、落ち着けよ。これだけ聞いて、怒るかどうか決めてくれ、な? リスクに見合った話だっていう自負がある」

「……」

「俺があったのは杉浦春乃さんって人なんだけどね、どうも芹沢くんと小中高が一緒だった幼馴染らしいんだ。だから、何か話を聞けると思ってね」

(幼馴染は死にました、とか言ってないよな?)

「その杉浦さん曰く、芹沢くんは十年前に事故で死んだらしい」

「は?」

「トラックのタイヤが飛んできたらしくてね。近くにいた女の子を庇って死んだらしい」

「十年前、ですか?」

「ああそうだ。同姓同名の別人かとも思ったが、誰かを庇って死ねる同姓同名の別人なんて確率は低すぎる。だから、考えられるのはふた通りだ」


 相座は人差し指と中指を立てた。


「一つ、この世界で死ぬと、向こうでも死んだ事になる。漫画っぽく言えば、運命が書き変わる。もう一つは、俺たちはもうすでに死んでて──」

「それは」


 春田の声が響く。


「それだけは言っちゃいけない」


 見張の兵が駆けつけて来る。


「何があった」

「指導、教えている」

「騒ぐな」


 相手の日本語に関する理解が拙いが故に、やり取りは短い間に終わった。


「春田くんだって、大声を出すじゃないか」

「茶化さないでくださいよ、相座さん。あなた、絶対に言っちゃいけないことを言ったんだ。俺たちは帰るために頑張ってるんじゃないですか。それで、頑張れなくなる人もいるんです」

「……」

「俺にはね、八歳の子供がいるんです。今その子のために頑張ってるんですよ。だから、絶対にそんなことを言わないでください」

「……いや、俺はそんなつもりで言ったわけじゃ」

「そんなつもりじゃなきゃ、何しても良いっておっしゃるんですか、相座さん」

「いや、その、すまない」

「別に謝らなくたっていいんです。二度と言わないで。それから、アンタが脱柵したら俺たちがどんな迷惑を被るか分からないんです。全員銃殺になって、その時になってもアンタ、そんなつもりはなかったって言うつもりですか」

「わ、分かった」


 春田はトレーを持つと、まだ半分ほど残っているそれを残飯入れにぶち撒けるとそのまま帰っていった。


(言いそびれちゃったな。俺、見たんだよな)


 朝食の喧騒の最中、ぽっかりと穴が空いたように静かな空間の中心で相座は一人黙々と顎を動かした。


(いや、言わなくてよかったか。頭のおかしな奴って思われたかも。まさか、街の中で芹沢くんを見たなんて。いや、俺の頭がおかしくなったのか?)


 隊舎への帰路の中で、春田は相座の言う死について考えていた。自分は生きているのか、死んでいるのか。考えても仕方がないと振り払うが、その命題は、生涯彼の心から離れる事はなかった。

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