ダイアローグ

「ベルモンドです」

「入りたまえ」


 男爵は入室した男に一瞥もくれることもなく、書類に目を通していた。人が制御しきれないほどの微かな動揺を頭がする度に、老眼鏡の細いフレームの反射面が揺れ動く。


「要件は」

「セリザワを部屋に案内しました」

「報告は不要と言ったはずだが」


 キッパリと己の行動に対して疑問を呈されると、ましてそれが、自身が敬愛する相手であればなおのことベルモンドの体は強張った。


「いえ、一つ気になりまして」

「よろしい」

「……閣下は先程、セリザワに不死者を隠匿する理由を説明されましたね」

「ああ」

「その、閣下は……」

「君の察しの通り、もう一つの理由は言っていない」


 男爵はハンコを押すと、ベルモンドに向き直る。


「私が思うに、そちらの理由の方が、閣下にとって比重の大きいように思えるのですが」

「それを彼に言って、何になるのかね」


 それだけ言うと男爵は次の書類に目を通し始める。


「無責任だとは思いませんか」

「思わないね。それに事実とは限らない話だ」

「ですが、確実に我々の歴史は良くない方に傾きつつあります」

「それなりに歳を取った人間はね、まあ弁護士や政治家のような詭弁を生業とする連中は別として悲観論を語りたがるのさ」

「悲観的に備え、楽観的に対処せよ、ですか」

「そうだとも。ニッポン人は良い言葉を持っている。無論、貴様の翻訳も見事だ」

「楽観的な対処とは、死地へ送る事をその限界まで黙秘することですか」


 机にベルモントの拳が叩きつけられた。大の男が拳を軋ませるほどの一撃を間近に見てもなお、男爵の涼しげな目元はピクリとも動かなかった。


「怒るな。どうせ何をしても同じだ。戦争は避けられない」

「彼にだけでも教えるべきだったのでは? 彼は不死者です。彼ならば、あるいは……」

「あるいは、なんだね? まさかこの世界を変えられるとでも?」


 ベルモンドは押し黙る。


「ナカジマという男は知っていたな?」

「ええ。五百年ほど前に発生した、現存する唯一の不死者であり、あるいは全知全能とも」


 ベルモンドは、かつて言葉を交わした時のことを思い出していた。


「全知全能の彼にもできなかったことだ。不死者は所詮、ただ死なないだけの人間でしかない。歴史の流れを変えることなど、只人には不可能なのだよ」

「いつまで隠すんです。ニッポン人は戦争が起きた時、最先鋒を務めさせられるんですよ」


 男爵はベルモンドに矢のような視線を送る。だがその程度で止まるような男ではないと、男爵は良く知っていた。


「今日の業務は終了だ」


 老エルフは今にも掴みかからん勢いのベルモンドを尻目に書きかけの書類も放り出して支度──と言っても基地に併設された将校用の官舎に住んでいるため大した荷物はないが──を手早く終えた。


「閣下!」

「歩きながら話そうじゃないか」


 夜ともなれば気候も冷涼だった。太陽はすでに稜線の下に呑み込まれて久しく、光源は疎らに照らす基地の電灯と星の光しかなかった。

 主に日本人兵士たちの練成を目的とした基地のため、現在の宿舎は不気味なほどに静寂だった。音と言えば、会話の邪魔にならない程度に夏虫たちが音色を奏でていた。


「君のニッポンへの愛の深さは知らないが、愛していることそれ自体は私も承知している」

「それは……」

「理由もだ。聞くだけ野暮だろ」


 この短いやり取りのうちに官舎群の門に辿り着こうとしていた。

 守衛を務める兵士に両名は一瞥をくれると、慇懃な答礼を返され、門が開けられる。官舎群は煉瓦造りの壁でぐるりと囲われている。これは、日本人の反乱に備えてのものだった。

 現在の居住者は男爵と、ベルモンドの両名のみであるため閑散としているが、ここに日本人が移送されて来れば、彼らを錬成するための若干名の教官と、彼らの反乱を取り締まる共和国憲兵隊が派遣されてくる。

 その中でも、中心にある他の官舎と比べても一際大きく、瀟洒な作りの官舎こそが男爵の現在の住居だった。他の官舎は戸建ての平家造で柵と生垣で区切られているばかりだったが、この官舎のみは煉瓦造りの三階建となっており、周辺もまた鉄の塀で囲われていた。

 ただでさえだだっ広い土地である。まして、男爵は共和国陸軍創設以来の軍歴を持つ軍人であり、ここ一世期以上もの期間、最先任の大佐であり続けた人物である。その影響力は佐官の範疇を優に超えていた。

 男爵が大佐の地位に甘んじるのは、あるいは共和国が甘んじさせているのは、彼女がまだ一介の歩兵将校に過ぎなかった頃の逸話に由来する。共和派最大の英雄にして、エルフであるエルキュール・ド・モンカルムが将官への昇進を固辞し、更には陸軍の規則に『エルフの最高階級は大佐とす』との文言を付け加えさせたために過ぎない。

 そのような人物に与えられる官舎としては、妥当の規模であった。一人で住むにはあまりに広すぎるが、時に迎賓館としての役割も果たすため、一概に贅沢と論じる事もできない。

 男爵は、一度官舎の位置に立つと、ため息をついた。

 彼女個人の感覚としては、この官舎に住まうことはあまりにも華美だと感じているのである。あるいは共和国の一佐官としての自信が揺らいだ時、この官舎はより一層豪華絢爛の輝きを増すかのように錯覚するのである。


「私の判断も、分からんとは言わせん」

「ええ。分かります。分かりますとも」

「だろうな。だからこそ、この問答は無意味なのだよ」


 男爵は官舎の玄関口の前で、ベルモンドへと向き直った。


「上がっていくかね?」

「いえ、結構です」

「うむ。ご苦労」


 男爵は官舎の中へと消えていく。ベルモンドは今にも叫び出したい衝動に駆られ、それをすんでのところで飲み込んだ。


「あなたはやはり、生粋の共和国軍人ですよ。大佐」


 我慢ならず吐き出された呟きがそれだった。

 次の瞬間には自己嫌悪が襲った。

 皮肉に陰口と、正面切ってそれを言うことすらできない己の胆力に一層の情けなさを感じたのである。


「大佐、エルフは地獄耳なのだよ」


 華美な作りのドアの向こうで、男爵は呟いた。無論相手にはきこえないほどの小さな声である。


「単純な計算の話でしかない。ニッポン人の人口は五万人を切るかどうか、市民権を持つ者となれば五千人を下回る。対して共和国市民は総数四千万を数えるのだ」

「それでも、ニッポン人は、人間なんですよ……」


 その呟きは互いに届くこともなく、虫の鳴く声に飲まれ消えていく。不思議と会話の体を為していたのは、ただ単なる偶然に過ぎなかった。

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