ルフェーヴル男爵

 芹沢が召喚されてから四時間ほどが経っていた。異世界のあらゆるものに驚かされ続けた芹沢だが、今回はそれらの何よりも驚愕が走った。


『よろしく』


 彼の口から、彼らの世界の言葉が発せられるたびに逐一ベルモンドがそれを訳した。同時通訳は、ただ単なる翻訳のそれよりも遥かに高度なスキルであり、それを驚く事もなく始めたベルモンドの語学センスに改めて芹沢は驚かされたが、目の前の存在はそれ以上の衝撃だった。


『君の後見人になるリュカ・アレクサンドル・フェルディナン・ド・ルフェーヴル男爵だ。正式な場では閣下呼びが基本だが、こういった場では単にルフェーヴル卿とでも呼んでくれ。階級は大佐だから、そう呼んでくれても構わんが、そこのベルモンド大佐と役職は被ってしまうのでな。……余の顔に何かついているのかね』


 芹沢は食い入るように彼を見ていた。否、芹沢の感覚によればそれは彼女だった。


「せ、芹沢昭彦です」


 男爵を名乗る少女は、ベルモンドの耳打ちを聞きながら、じっと芹沢を見据えた。

 身長は百四十センチほど、体格は露出の少ない軍服の上からでも華奢と分かるほど細かった。身長の割に手足は長く、頭身は高いため見る者には百四十センチ半ばほどの身長があると周囲に錯覚させる。芹沢に至っては座った状態で正対しているのも相まって、その身長は百五十センチ程にも感じられた。彼に身長を誤認させる最大の理由はその顔の小ささであり、頭身は百四十センチほどにも関わらず七頭身と小さかった。

 抜群のスタイルを際立たせる小顔には幼さと色気が同居した、目の醒めるような美貌があり、いっそ神秘的ですらあった。特に瞳は小顔に反してぱっちりと大きく、ターコイズブルーの光を湛えた美しい碧眼は、怜悧な輝きを放っていた。

 ツヤのある金髪は複雑に編み込んでおり、複雑な立体のそれはダイヤモンドのように照明の光を様々に反射していた。

 その編み込みの付け根に覗くのが、芹沢の住む世界には見られなかった人間の形質だった。彼女の小顔とほぼ同じ長さの大きな尖り耳が浅い角度で地面に向けて垂れていたのである。


『大佐、恐らく彼はエルフを見たことがないのではないかね?』


 ベルモンドは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、それから一つ首肯した。


「セリザワくん、彼は」

「エルフ、ですよね」

「その通りだ。彼が不死者の人事を私に頼んだんだ」

「その……」

「どうした?」

「その……お、女の子に見えるんですが……」

「エルフと言えば長命は、ニッポンにも通用する知識のはずなんだが。まさかトールキンを読んだことがないのか?」

「いえ、そうではなく。本当に、彼、なんですか?」


 芹沢は内心、長命である事にも驚いていたが、それまで目の前の人物が彼と呼ばれていたのに対し、自分の目には彼女にしか映らない事実に混乱しているのだった。


『彼はなんと?』

『恐らく、女捨(にょすて)の習俗を知らないのかと』

『致し方あるまい。それを教えるのも貴様の役割だったのだ』

『申し訳ありません』

『些事だ。気にすることもあるまい。見たまえ。彼は困惑している。説明してあげなさい』


 芹沢からは、あまりにも馬鹿げて見える光景だった。それでも彼がを信じたのは、生来の真面目さと異世界故に未知の概念に対する一種の諦観があった。だが何よりも目の前の少女の、小女らしからぬ威厳、あるいは貫禄をひしひしと感じていたためだった。


「セリザワくん」

「なんです?」

「彼はれっきとした女性だが、エルフは女しか生まれない。だから家主は男を自称する」

「色々とその方が都合がいい、からですね?」

「ああ。話が早くて助かる。エルフの性別に関する話題は儀礼上の問題を抱えているから、あまり指摘はしないように」

「以後気をつけます。……その、失礼いたしました」


 芹沢は立ち上がり頭を下げた。


『良い。あまり大佐の面目を潰してやるな』

「閣下はあまり気にするな、と言っておられる。席につきたまえ」


 礼を言いながら芹沢は再び腰を下ろす。


『大佐、彼にはどこまで話を通してあるのかね』

『彼の人事についてまでは』

『ふむ。では、それまでの予定についてはまだだったな? セリザワ』


 芹沢は一層背筋を正して傾聴する。


『君は、通常とは異なりエリートとなることが確定している。だからまずは語学だ。実際、試験でもこれが最も重視される。無論君はその試験を白紙で出したところで我々がゴリ押ししても通るが』


 芹沢はベルモンドに視線を向けた。


「……一つだけ、よろしいですか」


 男爵は首肯する。


「なぜ、そこまで気にかけていただくのです」

「それは、君が不死者だからだと言ったはずだが」


 答えたのはベルモンドだった。その隣で男爵が遮るように手を上げた。言葉は通じないが、その意図は芹沢にも理解ができるモノだった。


「なぜ不死者を気にかけているのか、その理由を教えていただきたいのです。その……自分だけがいただいてばかりでは、他人に対して面目が立たないので」


 男爵は芹沢の言葉に何の面白みも見出せなかった。ただ仏頂面で、芹沢の言葉をベルモンドの口から聞いている。


『当然だが、余にも要求はある。打算あってのものだ』

「それは一体?」

『其方は不死者であることを隠して欲しいのだ。余と、此奴以外の誰にもだ』

「その、他には?」


 芹沢は拍子抜けするような内容の要求に対して、更なる緊張を深めた。口止めにしてはやはり大きすぎる報酬の様に感じられたためだった。


『ない。逆に言えばそれだけが重要だ』

「本当に、それだけですか」

『無論、共和国陸軍の鉄騎兵として、最低水準の働きは求める。だがこの二つだけだ』

「自分が不死者である事情は、それほどまでに都合が悪いのですか」

『悪い』

「ご説明いただいてもよろしいでしょうか」


 男爵は首肯した。


『余は今のニッポン人で国防を補う体制に対して少なからず不安を抱いている。あえて隠さずに言うと、私は異界より召喚、いや拉致してきた宗教も言語も異なる異民族を、兵力として信用しない』

「はい」

『気を悪くしたなら謝罪しよう。だが、これが偽りようのない本音だ』

「いえ、仰りたいことは分かります」

『不死者とは、異世界より召喚した者からごくごく稀に見られる者だ。従って、其方もその異民族の一人となる。人間誰しも、其方のように道理を弁えてはおらんのだ』

「過分な評価で……」


 芹沢は心臓が締め付けられる思いだった。男爵からの視線は、自分の背後に立つ虚像を見ているかのように感じられた。現実と虚像のギャップに思いを馳せるたび、彼の心臓は軋みを上げるのである。


『自らの国家を守るための流血を厭い、他者を犠牲にして成り立つ国など、長く持つはずがない。故に余は、召喚魔法に不死者などと言う成果を与えたくないのだ』

「よく、分かりました」


 芹沢は辛うじてそれだけ答えた。


『よかろう。今日は疲れたはずだ。大佐、彼を案内してあげなさい』

『はい』


 男爵は、芹沢の顔色が悪くなりつつあることを察して気を回した。無論彼が気を病むのがそれほどまでに些細なことだとしたら、彼もそれほどのことはしなかっただろう。


「あの人は俺の能力に期待しないって、言ってくれたじゃないですか」


 芹沢は廊下を幽霊のように歩いていた。恨み言のように呟いた放言を、あえてベルモンドは聞き流した。


「ここが君の部屋だ」

「どうも」

「多少の不都合は堪えてくれ。眠れないだろうが、少しでも体を休めてくれ」

「他の人は、どうなってるんです」

「……都市部での訓練を受けるようになっているが」

「大佐みたいな、立派な将校さんに部屋を案内してもらっていますか」

「……」

「ですよね。すみません。俺に関してはお気遣いなく。その、ありがとうございました」


 芹沢はそれだけ言うと部屋の中へと消えていった。

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