鋼鉄の騎士

「そろそろだ」


 平野を蛇行する川沿いの街道を車で走ること一時間、長い沈黙を破り、ようやくベルモンドが口を開いた。


「どうも」


 芹沢の反応は淡白なものだった。短く礼を言うと、そのまま車窓に思いを馳せる。一時間変わらなかった風景は、ゴール人であるベルモンドにとっては苦痛でしかなかったが、放心の芹沢には大した問題ではなかった。


 風景は、芹沢の心境に反して長閑なものだった。遥か遠くの地平まで続く平原を、異世界人には皆目見当もつかない作物らしき植物の若緑と、格子状に植えられた深緑の風景が連続する。

 車はほとんど通らなかった。


 空を鳥が飛んでいく。

 芹沢は不思議な安堵が胸に宿るのを感じた。


(あまりにも馬鹿らしい話だな。この世界に鳥がいたところで、元の世界に戻れるはずがないのに)


 視界の端で鳥が群れを成して勢いよく飛び立った。それは芹沢らの進む方角にある森の中からだった。

 芹沢には不安の感情が宿った。鳥たちは群れをなすと言うよりも、何かから一斉に逃げ出したかのように見えた為である。


「目的地は、どこなんです?」

「言っても分からんと思うがね。陸軍のヴァンサンヴィル基地だ。第117特別教育大隊が駐屯している」

「特別……」

「その言葉の意味が分かるか」

「ええ、まあ。要は俺たち異世界人を集積・管理・教導するための収容所ってことでしょ」


 ベルモンドは何も答えなかった。


「俺が聞きたいのは、何があるかなんです。何もなければ、あんな風に鳥が飛び立つことはないはず」

「百聞は一見にしかず、だ」


 芹沢は勿体つけるようなベルモンドの態度に一瞥のみをくれると、己の疑問を解消するべく窓の先にある森を睨んだ。

 遠くから森に見えていたそれは、どうも防風林のようだった。大地に一文字を描くように植樹された針葉樹の切れ目を通り過ぎる。


「どこでことわざを知ったんです」

「勉強してるのさ、ニッポン人を知るために」

「あんまり使う人いませんよ。特に口語レベルでは」

「手厳しいな」


 防風林を抜けると、地を覆っていた畑は姿を消し、人間の背丈ほどの高さの草が生い茂っていた。その平原を横断する一本の帯が、今芹沢を乗せた車が走っている街道だった。その街道の先に煉瓦積みの大きな洋館が複数、平原の広さに反して一群になって密集していた。

 そこが目的地であろうことは土地勘のない芹沢にも理解できた。目ぼしい建物が他になかったという理由もあったが、そもそもこの街道が洋館群の真ん中へと伸び、そこで途切れていたためである。


 ふと、芹沢の視界の端を何かが黒く彩った。目を凝らした頃には黒い何かは霧散していた。代わりに、そこから遠く離れた場所で爆発が起きていたことに気づく。爆発により地面が深くから掘り起こされた石や土が天高く放物線を描いていた。爆発の威力が重力を相殺するも、堪えきれずに落下し始める、そんな瞬間だった。

 数秒遅れてくぐもった、まるで大地が呻くような音が微かに芹沢の鼓膜を震わせた。エンジン音が支配する閉鎖された空間の中ですら響くほどの轟音である。


「やってるな」

「窓、開けてもいいですか」


 ベルモンドが首肯するのを見て、芹沢は窓を開けようとしてしばらく戸惑った。


「窓を開けるためのスイッチはないぞ。窓はこうやって開ける」


 ベルモンドがクランクハンドルを回すと、それに従ってスルスルと窓が降りていった。ベルモンドの小さな笑みに気恥ずかしくなり、芹沢は蚊の鳴くような声で礼を言ってから教わった通りにやった。


 芹沢が顔を覗かせた時、ちょうど二度目の黒煙が現れる。まるで墨汁の滴が水に落ちたかのように、噴き出された黒煙は空気に薄められて見えなくなる。

 またもや、そこから遠く離れたところで爆発が起こる。


「大砲を撃ってるんですか」

「見たまえ」


 ベルモンドは双眼鏡を手渡した。


「どうも」


 芹沢は双眼鏡を覗いた。素人故に被写体をレンズに映すのに苦労して、どうにか三射目までに間に合わせる。


「戦車──いや、ちょっと違う」

「我々ゴール人は、アレを鉄騎と呼んでいる」


 双眼鏡のレンズに収めるのに苦労した訳は、被写体が常に動きながらの射撃──軍事用語ではこれを行進間射撃と称する──を行っていた。


 鉄の筒が煙を吐き出した。遠くからでは木の枝のように見えるそれも、噴き出す煙の量からそれが途方もない大きさの重砲である事が、さして軍事に明るい訳でもない芹沢にも理解できた。

 発砲の反動で重砲を保持する兵器が僅かに身じろぎをする。芹沢のいた世界では、重砲は直接牽引する他に、分厚い装甲に覆われた車体の上に砲塔をマウントしたり、車体に直接砲室を築くなどの方法がある。前者が牽引砲で、後者が戦車に代表される装甲戦闘車両である。


 だが双眼鏡に映るのはそのどちらでもなかった。

 せいぜい共通点と言えるのは金属で全身が構成されていることくらいだった。基本的な構造からしてまず大きく異なっていた。それは、戦車というよりはさながら──


「ロボ?」


 明らかに異なる体系の中で発達した兵器だった。

 人間よりも更に関節が一つ増えた鳥足である点、腰の関節が全周旋回可能となっている点、生産性が考慮されたのであろう直線的なパーツで構成されている点の他は、明確に人体のそれを模していた。


「共和国ではこの種の兵器を鉄騎と呼んでいる」


 芹沢は、ここが異世界であることを思い出した。


「先ほど、私は異世界人には四十年の兵役義務を課していると言ったな?」

「はい」

「それを二十年短縮できるとしたら?」


 全身に緊張が走った。総毛立つ感触に震えながら、芹沢はベルモンドへと向き直った。


「是非、受けたいです」

「私は、君を鉄騎兵に選ぶつもりだ」

「どういう事です」

「そのままの意味だ。君はアレに乗る。エリートコースだ。ほぼ全ての異世界人は鉄騎兵を志すから、倍率は百倍を超える」

「そんなこと、できるんですか」

「できる。私は東部の召喚者たちの人事を任されている」


 ベルモンドの態度に対し、芹沢は眩しいものを見るかのように目を逸らした。手汗が出てきたように感じたのか、芹沢はズボンでそれを拭った。


「それは俺が、不死者だからですか」

「不死者だからだ」


 芹沢の声は震えていた。所在なさげな視線がベルモンドとかち合った。


「俺、自分で言うのもなんですけど、大したことのない人間ですよ」


 卑屈な芹沢には厳しい視線を向く。エンジンの音と、遠くからの遠来じみた砲声と、脈拍の音と感触が芹沢の頭を支配する。


「私は、君が不死者であることのみを重視する。君の人事は大いに政治的判断の絡んだ、空虚なものでしかない。私は君に、不死者である以上のことを期待しない」


 ベルモンドはそれまで通りの口調と視線で淡々と告げた。


「……分かりました」

「そもそもこの人事は私の判断ではない。責任の所在こそ私にあるが、私は頼まれただけのことだ」

「その人も、俺に俺以上のことを望んだりはしませんか」


 沈黙だった。

 芹沢は激しく後悔した。相手の優しさにつけ込み、調子に乗りすぎたのだと自分を激しく糾弾した。掌の中で血が出んほどに突き立てられた爪だけが、それを語っていた。


「期待をかけられるのは、嫌かね」

「嫌です、すごく」

「何故に」

「裏切ってしまうかもしれませんから」

「その自罰的思考は、若いうちに治しておいた方がいい。ゴール人は傲慢だ。謙遜はニッポン人の美徳らしいが、この世界にはそれは通用しない」

「……分かりました」


 芹沢はどうすればいいかも分からずに了承した。相手を怒らせている訳ではないと分かった以上、それとは別にそのような人物に迷惑をかけたくないという心理が働いた。それが自罰的思考の応用でしかない事に、彼は気づいていなかった。


「私よりもずっと長く生きている人だ。人を見る目も確かだろうし、能力以上の何かを要求することもない。今から彼に会いに行くが、君もそれを理解するはずだ」

「え、いや、き、急すぎませんか。俺はまだ覚悟が」

「私が同道する。彼はニッポン語が話せない。安心したまえ。君たちニッポン人の境遇にも理解がある人だ」

「で、ですが、俺は今日転生したばかりで」

「覚悟を決めてくれ。その程度の期待はしたって構わんだろ」


 気づけば、車は緩やかに減速を始めており、車窓には一面古い煉瓦造りの洋館群が広がっていた。

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