ようこそ異世界へ

──聖歴730年8月24日


 そう、彼は人生を終えたはずだった。


 彼は目を覚ますと大理石の上の冷たい地面の上に転がされていた。

 周囲には彼と同じ境遇の、目を覚ますのが彼より早く、既に立ち上がって早くもコミュニティを形成する一団と、彼よりも目を覚ますのが遅く、未だ地面に横たわっている人々に大別されていた。


 皆、歳は芹沢とそう変わらない年齢の者たちばかりだった。

 しかしその容貌は、芹沢の見慣れたモンゴロイド系の平面な顔立ちの物ではなく、どちらかと言えばコーカソイド系の彫りの深い顔立ちの者ばかりだった。


 奇妙なことに彼らは日本語を話していた。それも幼年期を日本語に囲まれて過ごした者特有の、流暢な発音であった。


「やあ」

「……」


 芹沢に声をかけたのは、そんな流暢な日本語を操るコーカソイド系の少年だった。


「ど、どうも」

「混乱するよな。オレ、春田秀人」

「……芹沢です」


 見た目にそぐわない流暢な日本語と名前に芹沢は思わず面食らった。

 そんな彼らにもコーカソイドとは大きく異なる特徴があった。


「それ、地毛ですか」

「ああ、これね。何色に見える?」

「青です。藍色と青色の中間くらいの、深い青色に見えます」

「瞳は?」

「同系色ですが、もっと暗い色ですね」


 他人から、その人自身の髪色を尋ねられた経験のない芹沢は訝しみつつも素直に答えた。


「キミの髪色は何色?」

「何故です」

「いいから、答えて」


 いかに主体性に乏しい彼であっても、そろそろこの意味を見出せない問答には彼も苛立ちを隠せなくなりつつあった。


「見ての通り、黒ですが」

「瞳は」

「同じ色です」

「髪の毛を抜いてみてくれ。話はそれからだ」

「はあ」


 芹沢は言われるがままに従った。プツリという感触が手に伝わり、指先に挟まれた髪を見る。


「ん?」


 芹沢は目を凝らすも、その目にはぼんやりとした輪郭が映るばかりだった。芹沢は周囲を見渡し、芹沢は、照明に髪を透かせて見せた。


「驚いたろ。君の髪が君の言う通り黒い髪なら、この部屋の照明でも十分に輪郭を掴めたはずなんだ」

「これは……」

「信じられないかもしれないが、オレは純粋な日本人だ。髪も瞳も、キミと同じ黒、のはずだった」


 狐につままれたようだった。芹沢は家族がよく見ているゴールデンタイムのドッキリ番組を思い出した。自分はアレの対象に選ばれたのかもしれない。ひょっとすれば目の前の春田と名乗った彼は仕掛け人なのかもしれない。


(そもそも、この状況で他人に話しかけるか?)

「待て待て。オレじゃねえよ。オレだってよく分かってないんだ」


 春田は慌てて首を横に振る。その姿を見て芹沢は一抹の罪悪感を覚えた。

 芹沢は、特に親しくなくとも他者に話しかけることが出来る人種がいるという事に、あまり実感を持ってはいない人種だった。


「あ、いや……」

「うん、まあしゃあないよな。オレだって疑うわ」


 扉が音を立てて開いた。外からは涼しい風が吹き込み、風は若草の匂いを部屋へと運んでいた。

 逆光を遮るように、三人の男が入ってくる。芹沢を始めとして、人々はどよめきをもって迎えた。


「全員お目覚めかね?」


 先頭の男が口を開く。舞台俳優を思わせる、よく響く声だった。またその容姿も、声に恥じぬ品格と美貌を併せ持った壮年の男だった。


(なんだろ、違和感が)

「よかった。これで話が進む」


 芹沢の思案は、喜ばしげな春田の呟きに押し流された。


「悪い方じゃないと、良いんですがね」


 春田は芹沢の言に対して、腹の中で思い浮かんだ言葉を意識し、そしてそれを腹の奥底へと沈めた。


「アレがもし本物だったら」


 芹沢の視線の先には、声を発した最初の男ではなく、その後ろに控えた二人の男──服装からして恐らく兵士──がいた。

 より正確にはその両名に抱えられた、日本ではすでに半世紀以上も前に日常から姿を消したはずの道具だった。


 芹沢の思考を遮ったのは、狭い室内に轟々と鳴り響く非難の声だった。口々に計画性もなく開かれる罵声は、最早形を失い、場を乱す騒音でしかなかった。


 男はそれらの非難に顔色ひとつ変えることなく、それらを無視した。数秒経って、それが一過性のものではないと判断すると後ろの兵士に短く話しかけた。


 兵士は一度聞き返すそぶりをすると、男は迷いもなく、ゆっくりと首肯で返した。そのような態度が、更なる人々の怒りに火を注ぐこととなった。


 ピシャリと、冷水を被せられたかのように人々は押し黙る。実際には、それは人々の怒りを炎に例えるのだとすれば、それを上回る破壊力を持って力づくで消化する爆風消火にも似ていた。


 短くも、太い音が、人々の耳を貫いたのである。


 推し黙る群衆を尻目に、兵士は手持ちの道具を操作して、排莢作業を行う。ガチャガチャと操作音が響いたかと思うと、排出された金属薬莢が甲高い音を立てて床に転がった。


 日本では、すでに半世紀以上も昔に日常から姿を消し、今や老人ホームの住民たち──今や彼らすらもそれを知らない者に塗り替えられつつあるが──が忘れ去った人を殺すための道具だった。


「に、偽物だ」

「試すかね?」


 誰かの呟きに、先頭の男は呟いた。


「結構。今呟いた者は前に出るように。平和ボケした君たちにボルトアクション・ライフルの威力を教えてやろう」


 再び、静寂が降りてくる。人々の視線はまず第一に、声を発した男に向かい、第二には先程ライフル銃を発砲した兵士に、第三に兵士の放った弾丸が穿った壁だった。

 当然、前に出る者はいない。


「私はリリス共和国大陸軍のジャン=ロベール・ベルモンド大佐。諸君ら異世界人を教練する任を受けている。諸君らを一端の兵士に育てることが私の任務だ。ようこそ、異世界へ」

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