小アルビオン防衛4
ビショップの剣筋は見事なものだった。青い光が円弧を描いて敵に食らいつかんとする様は、何者にも勝る迫力があった。惜しむらくは、本当に惜しいところだったのは、最初の魔法剣の斬撃が、一メートル、いやその半分もないほど下であったなら、ということである。その願望は、二つの誤算によって断たれた。
魔法剣は、物質に対してはただ鋭い刃物として振る舞うだけである。その太陽を思わせるほどの眩さとは打って変わって、熱は一切帯びていない。即ち、四肢の切断、あるいはパイロットを直接殺傷することで鉄騎を無力化する近接兵器である。
彼の斬撃は確かにコクピットに届いていた。しかし、それはタンデム式の操縦席の内、エンジンを避けて一段高くなっている後部席に座る砲手を切り裂くばかりで、あとは前席の操縦手の癖っ毛を一束切り裂くばかりだった。無論、極細の刃で切り裂いたために外傷ではそれは分からない。ビショップは長年の勘によって撃破したと判断したが、それは結果的に言えば誤りでしかなかった。一つ目の誤算はここにあった。
そして、二つ目の誤算とは、操縦手が「生きていた」ことである。
斬撃が逸れたのだから当然のことではあった。しかし、少なくとも自らを殺すのに十分な威力の斬撃が、風圧が感じられるほど近くを通過したにも関わらず、彼は正気を保っていたのである。数刻前まで共に笑い合っていたはずの戦友から溢れる血を浴びながら、尚も彼は鉄騎を駆るという、尋常ならざる精神力を発揮していたのである。
実のところ、彼は正気ではなかった。自らも後席の戦友と共に殺されたと勘違いしたのである。致命傷を負ってなお、五体が形を保っていたのなら人は動けるものと、彼はこの短い戦争で嫌というほど知っていたから、生への執着を無くして至極冷静に兵士としての責務を全うしたのである。
即ち、円弧を描いて隊長へと襲いかかる敵を咄嗟に主砲の一二・八センチ砲を構えて射撃したのである。
重砲と言って差し支えない規格の大砲が至近距離から炸裂した。備え付けの即発信管は着弾と同時にすぐさま威力を発揮した。鉄騎本体の装甲は薄く、断片防御以外の用を成さないため、着弾と同時に炸裂した断片は呆気なく騎体の中枢をズタズタに切り裂き、次いでエンジンの燃料タンクに火をつけてこれを爆発させた。
身長十数メートルの鉄の巨人が爆発四散した。支えを失い、それまで円弧を描いていた右腕は爆発の余波でコクピット目掛けて描いていた円弧の軌道を歪ませて、ただカメラの置き場でしかない頭部を根本から寸断したに止まったのである。
「い、生きてる……」
右腕を失ったアドラーの中で、操縦手、オットー・フェルナー下級軍曹は小さく呻いた。
小さな港町の端にあるパン屋の産まれの彼は、燻っていた僅かばかりの反骨心によって陸軍の門戸を叩き、今こうして戦場に立っている。小麦粉と煤に塗れての生活に自尊心を満足させることができなかった彼だが、今や戦友の血に塗れて呆然としていた。
「無事か、フェルナー」
「俺は、無事です。中尉」
「ありがとう。君のおかげで助かった」
「でも……うっ」
背をゆっくりと伝う生暖かい感触と耐え難い臭気の中で、フェルナーは嘔吐した。
「やられたな」
部下の嘔吐する音を聞きながら、ガルスターは短く呻いた。
「主砲照準用のサブカメラは生きてるか」
「はい」
「映像をこっちに回してくれ。戦闘は厳しいが、帰投までならなんとかなるだろ」
「フェルナー下級軍曹はどうしますか」
「一分待つ」
ガルスターは主砲をグリグリ動かして挙動を調べる。主砲は彼の操作にもカタログ通りの性能で追従した。
「これは酔いそうだな」
「慣れれば楽ですよ」
「帰るまでに慣れてくれればいいんだが」
唐突にガルスターの表情が張り詰める。シュルツは空気が変わったことを察して、緊張を露わにした。しかしガルスターは、戦場にいる時とは打って変わって、緩慢な動きで視界に入った物体へと歩み寄る。
夜の中にあってなお目立つ漆黒の毛並みに覆われた強化人狼だった。その毛並みは血に濡れて、雲の切れ目から覗く月を照り返していた。
「クソ犬が……」
ガルスターは短く、怒りに震えた声でつぶやいた。
そして鉄騎の片足を上げて、怒りのままにヴォルフを踏みつけた。巨大が痙攣し、口からは血を吐き出す。
「なんで生きてる? クソ犬の分際で。俺の部下はみんな死んだんだぞ」
ガルスターの怒りはただ一度の踏み付けで済むはずがなかった。鉄製の脚を持ち上げて、執拗に同じところを踏みつける。
「お前らクソ犬の失敗で五人も死んだんだぞ。結婚を控えてるやつだっていた。まだ子供に会ったことすらない奴もいた。クソ犬、お前らが失敗してなければ死なずに済んだ命だ。なのに何故、お前はまだ生きてる?」
「中尉。強化人狼は既に致命傷を負ってます」
「黙ってろシュルツ。んな事は分かってる。だけどよ、胸糞悪くてしょうがねえんだ。別に死ぬ命なら何をしたっていいだろ」
シュルツは瞠目し、天を仰いだ。それは上官の行動を否定しないことを意味していた。
うつ伏せのまま、死を迎えるばかりであったヴォルフの顎を鉄騎が蹴り上げる。顎の骨が割れ、砕けた牙は口内の粘膜をズタズタに切り裂いていく。仰向けに変わったヴォルフを、鉄騎は冷たく見下ろしていた。
「くそッ、くそッ、お前が死ねばよかったのに。アイツらはみんな良い奴だった。人狼なんかの代わりに死んで良いような奴らじゃなかった。死ねっ、お前が死ねよ!」
「気分は晴れましたか」
「……」
肩で息をしながら、どこか冷めた表情のシュルツをガルスターは睨みつけた。
「そろそろ時間です。撤退しなければ、こんな部隊で敵に襲われでもしたらひとたまりもありません」
「……そうだな。終わりにする」
ガルスターは虫の息の人狼をカメラの中央にとらえた。
その瞬間、ガルスター騎の近くに土煙が立つ。爆発でほじくり返された土がパラパラとアドラーの頭や肩に降り注ぐ。
「敵襲!」
「ひいっ!」
シュルツは叫び、完全に心を折られていたフェルナーは情けない悲鳴を上げた。
「チッ」
ガルスターは舌打ち混じりに索敵する。
「防壁展開」
「逃げましょう、中尉」
「数を見る。多分、敵は一騎だ」
「多分って、今の小隊は戦える状態では」
「それを決めるのは俺だ」
「アンタが勝手に自殺するのは結構だが、俺たちを巻き込まないでくれるか!」
ガルスターは振り返り、シュルツを異様な目で睨みつけた。正気を失い、血走った目に大の男であるシュルツは思わず生唾を飲み込んだ。
「て、敵発砲!」
「遠いな。素人だ。六インチ砲じゃこの距離の防壁は抜けんよ」
「アンタ……」
ガルスターが呟いた瞬間、風切り音を立てながら突き進む砲弾は防壁を切り裂き、ガルスター騎の胴体を貫いた。次の瞬間、夜の闇を鮮やかな炎が彩る。爆発の炎と共に金属製のスコールが周辺に撒き散らされる。悲鳴を上げることもなく、また己が死ぬことすらも知らないまま、二人のアレマン人はその生涯を終えた。
「ひぃぃいいい!」
モニターの中で赤く血に塗れたフェルナーは一際大きな悲鳴を上げた。そして、魔力軌道を展開すると大きく旋回しながら敵に背を向けて駆け出した。敵の主砲は異様なまでに沈黙していた。
「い、嫌だ。死にたくない! 死にたくない! 父さん、母さん!」
フェルナーは叫びながら騎体を全力で前進させた。焼けついて白煙を上げながら進む脚部の車輪と、何かに縋るように中空に投げ出された両手は酷く無様であり、遁走と呼ぶに相応しい醜態を晒していた。
その瞬間、フェルナー騎が大きく震えた。そしてバランスを崩した鉄騎は地面をもんどり打って地面を転がる。
「うっ、うう……」
騎体によって撹拌されたフェルナーはほんの一瞬だけ、意識を失った。そして次に意識を取り戻した時、遥か遠くから発砲の光が小さく瞬くのが見えた。
「お、お願いです、神様……どうか」
フェルナーの呟きは、防壁ごと貫いた敵の大口径弾の爆発の中に消えた。
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