小アルビオン防衛3


「よくも、部下をやってくれたなぁ、クソ狼が」


 コクピットの中でビショップが吠えた。

 次の瞬間、立ち上がったリヴェンジの姿が爆発にかき消される。着弾時の短い爆発音の後、やや離れたところからの砲声のこだまが聞こえた。

 フェルクス連邦の今次の戦争における、主力軽鉄騎のアドラーが装備する十二・八センチ砲の砲声だった。


「アレマン人め……俺を餌にしやがった……!」


 ヴォルフは血が溢れ出す口の中で一つ毒づいた。

 二発の砲撃がリヴェンジを襲う。リヴェンジは当然防壁を展開して防ぐ。アドラーが砲撃するたびに、夜の中を疾走する鉄の巨人のシルエットが一瞬露わになる。

 彼らは平地を、まるで山の斜面をスキーで滑降するかのようなスピードで突進する。その鉄騎離れした機動力は、アドラーの脚部に備えられた魔力軌道による恩恵だった。小径のタイヤとモーターを、道路状に展開した魔力防壁の上で滑走させることで戦術的に圧倒的な機動力を鉄騎に与えたのである。


 それほどの速度であるため、互いの砲撃は掠めることすらなかった。

 移動しながらの砲撃のため、精度は低く脚を破壊したリヴェンジにすら、周辺の地面を耕すばかりに終わる。だが彼らの投射する砲弾の散布界は次第に収束し、脚を破壊されたリヴェンジの周辺にはクレーターが何重にも重なっていた。


 ついに脚を破壊されたリヴェンジが爆発に包まれる。

 この砲戦は全体的にアドラー側の優位だった。

 まず数においてアドラーの数は四騎、対するリヴェンジは二騎と優位であり、加えて砲弾の発射レートにおいても、アドラーの十二・八センチ砲が分間十五発であるのに対し、リヴェンジ十五・二センチ砲は分間十発ほどとやはりアドラーの方が優位だった。


 しかしながら、リヴェンジはこの砲戦において二つ、優位な点を有していた。

 アドラーの砲撃による爆炎が晴れて、白く濁った半球状のドームが露になる。アドラーの砲撃は、リヴェンジの魔力防壁を貫くことはできないのである。よって、複数弾の命中が必要だった。

 次の瞬間、さらにアドラーからの砲撃が降り注ぎ、魔力防壁は完全に破壊される。だが、それらの中で戦果らしい戦果と言えば、頭と肩を右肩に一発、砲弾が命中して破壊するばかりであった。すでに機動力を失っているリヴェンジには不要な部位であった。

 逆にリヴェンジの反撃が、一騎のアドラーを捉えた。いくらアドラーの足が速かろうと、音速の二倍以上で飛翔する砲弾と比べればはるかに鈍重だった。アドラーの未来位置を正しく狙撃できたなら、その砲撃を躱すことはできない。


 リヴェンジの砲撃がアドラーの防壁に阻まれる。次いで、ビショップの砲撃が被弾したアドラーの騎体を食い破った。砲撃を受けたアドラーは騎体をぐらりと傾けさせたかと思うと、そのまま葡萄畑の中に頭から突っ込んだ。騎体が転倒の衝撃には堪えられず頭や手足、その他細かな部品を撒き散らしながら地面を転がっていく。


 リヴェンジ側の二つ目の優位点、それは一撃の重さだった。

 リヴェンジが使用する十五・二センチ砲の砲弾重量は五〇・八キログラムであり、アドラーが使用する十二・八センチ砲の砲弾重量が二十八キログラムであった。つまり一撃の重さは一・八倍と一挙に逆転可能な質量を持っていた。

 具体的に言えば、リヴェンジとアドラーは同出力の魔力防壁を展開するが、アドラーの主砲ならば防壁は一発を耐え、さらにもう一発を受けてようやく破壊される。一方でリヴェンジの主砲は、ある一定以上の近距離になれば一撃で防壁を破壊することが可能だった。


「よーし、このまま……」


 だが、その程度の優位性は所詮同数を運用した場合に発揮される程度であり、古代より連綿と続く数の優位という絶対的な法則を覆すことは敵わなかった。


 仲間を殺されたアドラーの砲撃はより激しく、動けなくなったリヴェンジに降り注ぐ。反撃らしい反撃は不可能だった。最初の砲撃こそ、防壁で耐えたものの、魔力の主要な出力器官である腕を一つ失い、出力が落ちた防壁は、十二・八センチ弾の直撃に耐えきれなかった。

 次いで直撃弾は反撃のために必要な主砲を根本から吹き飛ばし、その次は胸だった。ビショップはそれで部下の死を確信したが、連邦側の砲撃はなおも続く。最早リヴェンジ側に砲戦にて有効打を与える手段は失われたためである。


 燃料タンクに十二・八センチ弾が飛び込み、騎体の隙間という隙間から炎を吹き出してようやくアドラーの砲撃は沈黙した。

 ヴォルフはあれほどに脅威だった敵の、あまりにも呆気ない最期をただ呆然と見ていた。


「……逃げずによく戦ってくれた」


 ビショップは部下の棺桶と化したリヴェンジに一瞥をくれた。

 リヴェンジの出入り口は背中にある。脚部を失ったリヴェンジは背中を預けていて脱出できなかったのである。

 ビショップはキッとアドラーを睨みつけた。彼の頭からは論理的思考というものは彼方へと抜け落ちていた。ただ闘志と憎悪に頭を支配されていた。


「殺す」


 ビショップは短く吐き捨てると、砲撃をしながら突進を始めた。だが、砲手による管制下にない砲撃など当たるはずもなかった。

 アドラーには数の有利があった。砲撃は命中するも、六インチ砲弾まで対応しているアドラーの防壁を射抜くことはできない。逆に、リヴェンジには三発の砲弾が順番に降り注ぐ。ほぼ間髪のない二連発がリヴェンジの防壁を破壊し、遅れた一発が肩を射抜いた。


 アドラーが射抜いたのは左肩だった。リヴェンジは大きくのけぞりながらも体制を立て直す。主砲を懸架していた左腕が根元から脱落し、土の中へと半ばその巨大を沈ませた。


 バランスを崩したリヴェンジは大きくよろめきながらたたらを踏む。その間に五秒ほどが経過し、再びアドラーの射撃が放たれた。リヴェンジの騎体が砲撃の黒煙が覆い隠す。

 一拍置いて、最後の一騎が砲撃が黒煙を貫いた。


 炸裂音もなく、まして砲弾が鉄を捉えた時に鳴る甲高い金属音もない。代わりに聞こえてきたのはリヴェンジの重々しい駆け足の音だった。


「くそッ、砲撃が当たらねえ」


 砲撃を外す度、アドラーの中で砲手がいた。


「これで!」


 四秒経ち、一拍遅れてアドラーの主砲が火を噴いた。防壁は展開されない。二発の砲弾が一発は頭部を掠め、もう一発はまだ脱落せずにぶら下がっていた左腕の残骸が吹き飛ばされた。

 だがビショップの表情に焦りはない。あるのは、自らの命を賭けた勝負に、また一つ勝利を重ねたという高揚感だけだった。


「ち、近いっ!」

「装填が間に合わねえ!」


 破壊されながらもなお止まらずに突進するリヴェンジの迫力に、対峙するアドラーたちは数的有利にも関わらず気圧される。すでに主砲照準用のカメラのレンズは等倍だった。即ち、肉眼であってもお互いの姿ははっきりと見えるまでに、リヴェンジは距離を詰めていたのである。


「怯むな! 最後の砲撃の時、奴は防壁を展開しなかった。今コクピットを撃てば勝てる! 誰か、装填間に合うか!」


 ふと我に帰った男が檄を飛ばした。小隊長であるヴィルヘルム・ガルスター中尉だった。

 彼の言葉に答えることができたのは三騎のアドラーのうち、最も若いウルリヒ・ブラウン伍長が操縦兵を、ロベルト・マイスナー上等兵が砲手を務めるコンビのみが争点を間に合わせた。

 恐ろしく単純な動きだった。回避する素振りすら見せない。マイスナーの手にかかった緊張がゆっくりと薄れていく。


「早く撃て、敵の魔力防壁が回復するぞ!」


 ガルスターの声と同時に発砲した。


 発砲音と共に砲弾が、重力を忘れて低伸弾道を描く。その弾頭は鉄騎のコクピットが存在する胸部ブロックを寸分違わず捉えていた。外しようのない至近距離からの砲撃である。突進する鉄騎の上半身が黒煙に包まれる。


「来た、見た、勝った!」


 そこから姿を現したのがリヴェンジだった。彼は今度の射撃こそ防壁を展開して防いだのである。彼はかつて古代において隆盛を誇った軍人皇帝の有名な言葉を吐きながら、残された片腕、右腕を腰ダメに構えながら突進する。


「ぐっ、本命の射撃を防いだか!」


 ガルスターは短く呻いた。

 鉄騎の防御力は主に装甲ではなく魔力による防御に依存する。

 防壁を貫通できない場合にはまず最初に一発、それでも足りないなら二発、防壁を破砕するための射撃を行う。

 防壁は騎体を中心に地面に沿う形で半球型に展開される。あらゆる角度からの攻撃に備えるためである。しかしながらそれは被弾面積は増える。


「いかん! 防壁を展開して退避!」


 即ち、ビショップは賭けたのである。精度の低い破砕射撃には防壁を展開せずに回避に専念し━━と言っても、反応できるほどの距離感ではないが━━本命の射撃のみを防壁で防ぐという、自らの命を賭したギャンブルであった。

 リヴェンジは用済みになった防壁を捨てると一目散に突撃する。目標は最も近くにいたブラウン騎である。


「あばよ」


 リヴェンジの頭部に備えられた機銃が火を噴いた。口径七・七ミリの機銃弾では無論致命傷にはならない。当然、防壁に弾かれた機銃弾は四方八方に散りゆく。だが銃撃を弾くたびに防壁は薄く濁り、それによって防壁の位置に見当をつけたビショップは、まるで武士が刀をもって居合を放つように、腰だめにあった右手を振りかぶった。


 彼が右手を振りかぶったその最中、夜の闇に青い光が走った。

 暗い闇の中、残像を残して動くそれは機銃を弾いた部分を通ると、呆気なく防壁は真っ白に濁ったかと思うと呆気なく霧散する。


 リヴェンジの足音が近づく。ガルスターは退避の命令を下すが、あまりにも遅かった。

 アドラーの背中から閃光が迸り、青い刃がその姿を見せる。それはなんら抵抗もなく、胸から背中を貫き、アドラーの心臓部たるコクピットを貫いたのだった。


 魔力防壁の分類は二種類ある。

 一つは単純な魔力防壁である。鉄騎を鉄騎たらしめる守りの要であり、鉄騎の巨体と潤沢な魔力をもって今次の戦いでは軽巡洋艦の主砲にも一発までならば耐えられるほどの防御力を発揮する。

 しかし欠点があり、それは動かすことができないということである。出力の違いこそあれ、魔力防壁の展開は呼吸と同じく論理的思考が限りなく省略されている習慣化された動作であるため、意識的に働かせることはないが、その本質は魔"力"同士を作用させた力場であり、そのためには座標の入力が必要になる。


 これに対して多少座標を意識しての動作が必要となるのが可動性魔力防壁である。別名侵食魔法力場とも称されるそれは、通常の防壁とは打って変わり、攻撃の目的で利用されている。

 魔力防壁を連続で展開し、常に力場を上書きし続けることで座標を更新し続けてずらし続ける代物である。軽巡洋艦の主砲にすら耐えられる超物質を武器として用いるものであり、力場を上書きし続ける都合上、その座標にある物質を押しのけて力場を生じさせるため、存在するあらゆる物質を切断するための剣となる。

 そのため、魔法剣というなんら捻りのない呼称を傭兵側は用いている。


 アドラーの騎体を貫いていた魔法剣が頭部目掛けて走る。パイロットと砲手を殺された鉄騎は直ちに機能を停止して、項垂れるように跪いた。リヴェンジの右手から伸びる魔法剣が急速に輝きを失い、魔力が蓄積されたカートリッジが肘から排出される。魔法剣は連続で防壁を展開する都合上、魔力の消耗が激しく、カートリッジ式になっていることが多い。リヴェンジの場合、三つのカートリッジが定数として支給されていた。


 その頃には残された二騎のアドラーは行動を開始していた。モーター音と共に地面を高速で滑走するそれは、迫力はなくとも速度はリヴェンジの突進を上回っていた。ローラーダッシュ機構である。これにより、連邦の鉄騎は行動半径と引き換えに神聖帝国に対して行軍速度で優位に立っている。それを今解放したのである。


 まるでスキーを滑るかのように滑走する両騎が最大速度で突撃する。リヴェンジは低く構えてそれを迎撃せんと構えた。アドラーたちは見せつけるように右腕から魔法剣を展開する。連邦よりも純度の低い魔法石を使っている都合故か、その刀身は眩いほどに赤い輝きを放っていた。リヴェンジも青い刀身を展開して低く構える。


 時間にして一秒にも満たない時間が、急速に遅くなっていく。ビショップの目には魔法剣の光を反射する雨粒の軌跡がゆっくりと流れていくように映った。

 すれ違いざまの一閃がリヴェンジを襲う。円弧を描く二つの軌道にリヴェンジの騎体は捉えられている。最早回避は不可能である。ビショップの脳裏にこれまでの記憶がフラッシュバックした。


 父は靴磨きだった。

 今のビショップよりも若い頃に喧嘩で死んだ。

 母は苦労の人だった。

 弾薬の工場で自分と一緒に働いていた。

 軍学校に入った時、体を壊して治療費が払えないままに死んだ。

 失意の頃、今の妻となる人と出会った。

 二週間付き合って、そのまま結婚した。

 最後に会ったのは二ヶ月前だった。

 お腹を大きくしていた彼女は、いちいち赤子が動くたびに自分に報告してくれた。

 だった二年、共にいた時間は恐らく三ヶ月にも満たない結婚生活だった。


 懸命に思考が加速し、そしてその末に一つの結論に至った。


「うぉぉぉおおおおお!」


 リヴェンジは右より来襲する鉄騎へと突進した。円弧を描いて迫る魔法剣の刀身を睨み、その根本に突きを放つ。途端、魔力が寸断されたアドラーの刀身が消失し、そのままV字を描くように右上方へと魔法剣を振り上げた。

 なんら手応えを感じなかったが、戦果は確認することなく、頭部を回転させて後ろから迫る魔法剣を睨む。


 間に合え、間に合え。

 思考はそれ一色に染まった。敵を斬り上げた右手を背中に回し、背後の魔法剣を迎え撃つ。

 その瞬間、一帯が光に包まれた。まるで地上に太陽が現れたかのような光だった。閃光は、地上のあらゆるものを光の白と影の黒の二色に彩った。


 魔法剣を防ぐことができるのは魔法剣だけである。お互いに指定された座標にて魔力が干渉し合い、光子となって一挙に霧散するのである。

 魔力とは物質に干渉するものであるために誤解されがちだがその本質とは力場である。よって、その現象自体には眩しさ以外の害はない。


 光の奔流の最中に、リヴェンジは魔力を光子として放出し尽くした空のカートリッジを排出する。そしてそのまま最後の魔法剣を展開するとそのまま半円を描いて斬撃を放つ。


 光が夜の闇に飲み干され、漆黒に塗りつぶされた丘の上に、何かの部品が落下した。アドラー小型鉄騎の首である。斜めに大きく傷が入ったそれは、根本から断たれていた。


 次いで微小の欠片たちが降り注ぐ。地面に転がるアドラーの生首にそれらが当たるとトタンを打つ雨垂れのような音がした。そればかりでなく、大きな破片も土を押しのけて次々と着陸する。


 それらの一部始終を見ていたヴォルフは、喜怒哀楽の情を一切持たない声音でただ短く、「ああ……」と呟いただけだった。

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