小アルビオン防衛2
闇夜の中に巨大な何かが蠢動する。鉄騎を焦がす火災の炎に照らされて影が揺らめいていた。身長は十二メートルほどと鉄騎よりやや小柄あたながらも、それほどの存在が歩行する様子は圧巻だった。
驚くべきことに彼らは生物である。この地上において、これほど巨大な生物は生き残っていたのかと、事情を知らぬものなら驚嘆するものだろう。
「随分と呆気ないモンだったな」
更に言えば高度な知能を有していた。その巨大なものは人語を話したのである。
雲の切れ目に顔を覗かせた月光が彼らを照らす。黒灰色の毛並みが全身を隈なく覆い、その下からはちきれんばかりの筋肉が隆起し、滑らかな毛皮に幾筋もの山脈を描いていた。
事情を知らぬ者はすわ伝説の巨人族かと腰を抜かしただろう。しかしながら剛毛で描かれがちな巨人の想像図彼らほどの毛深くは描かれていなかった。
口は耳の根元まで裂けて、そこから獰猛な牙が顔を覗く。透き通るかのような青い目は美しくも野性味に満ちた眼光を放っている。
フェルクス連邦の生物兵器、強化人狼である。彼らは鉄の皮膚こそ持たないが、人狼由来の鋭敏な五感と敏捷性に長けている。
「油断するなよ」
彫りの深い顔立ちの男が強化人狼たちに支持を飛ばす。
「油断するな、だと? ははっ、見ろよ、ヴォルフ。もう死んでる。後はコイツらの死体を持って帰りたいとこだが」
強化人狼はうつ伏せになって倒れた鉄騎の背中に鋭い爪を突き立ててテコの原理でカバーを外す。カバーにはさしたる興味のない人狼は外したカバーをぞんざいに投げ捨てて舌なめずりをしながらコクピットを引きずり出した。
「あー、ダメだヴォルフ。死体の損壊が激しい。コイツらじゃ評価にはならねえ」
「なら、鉄騎の頭を外せ。最低でも鉄騎の分の評価だけは受けたい。リヴェンジ小型鉄騎四、紛れもない大戦果だ」
「メッサーだっけか。新兵器の難点だな。鉄騎を安全に倒せるのは良いが、中身を黒焦げにしちまうのがな」
人狼は左手の欠けた指を見た。人狼の指は五指であるはずだが、代わりに筒が三本手の甲の半ばほどから生えていた。無論関節はなく、物を握ることすらできない。
「全員生き残った。これ以上の贅沢はあるか」
ヴォルフは周囲を見渡した。計七体の強化人狼が斃れた敵の鉄騎たちを覗き込むなどしていた。
「お、こっちは損傷がねえぞ」
強化人狼が駆け寄ったのは足を欠損した鉄騎だった。全身を土煙で汚した状態で、一つの身じろぎもせずに天を仰いでいた。鉄騎とパイロットの接続が切れた状態の鉄騎である。パイロットが戦死して接続が切れた場合、鉄騎はその時点でただの鉄屑となる。
「よーし、待ってろよぉ死体ちゃん」
「いや待て。おかしくないか」
「何が」
「なんで胴体への損傷がないのに死んでる」
「さあ。でも反応がないし──」
彼が鉄騎の肩に手をかけた瞬間だった。
「今だ!」
まるで屑鉄のように、撃破されたかのように擬態していた鉄騎の中でビショップ中尉は叫んだ。
何かが連続して爆発するような音と共に鉄騎の排気筒から黒煙が吐き出された。そして鉄騎と人狼の目が合う。惚れ惚れするほど美しい宝石のような眼球と、何ら美を見出すことができない光学レンズとが視線を交錯させた。
次の瞬間、鉄騎と人狼との間で閃光が何度ともなく閃いた。その光が生じる度、火箭が走り人狼の頭や肉体を貫いて夜の空へと消えていく。一秒にも満たない間に、人狼の厚い胸板より上はただの肉塊になっていた。
鉄騎の頭部カメラに同軸で装備された七・七ミリ連想機銃の閃きである。
「野郎、生きてやがったか!」
「くそっ、メッサーを使え!」
人狼たちが口々に呻く。
「寄せ! この距離じゃメッサーは作動しない! 距離を」
ヴォルフの叫びは遅く、人狼たちは右手で左手を構え、指の代わりに移植されたメッサーを腰だめに構える。既に全員が一発は撃っているため、残りは二発だ。それを景気良く一斉に打ち出した。発射の瞬間、メッサーからはぽんっと間の抜けた音と共に指先からは弾丸が、そして逆に肘からはカウンターマスが飛び出す。カウンターマスの軌道から体を逸らしていた人狼たちの背後に、次々とカウンターマスが突き刺さった。
六体につき二発、計十二発のメッサーが次々と下半身を失った鉄騎に襲いかかる。
「ああ、くそっ!」
だが、それらの弾丸は鉄騎に到達する直前見えない壁に衝突し、あらぬ方向へと跳弾してから信管が作動する。
魔力防壁である。空気中の魔素に魔力を循環させることであらゆる物質を通さないフィールドを形成することができる。鉄騎の防御の要であり、更に言えばこれこそが鉄騎という戦力を構成する核であった。
魔力防壁自体は地上のあらゆる生物が持つありふれた技能ではある。しかしながらその強度は生物種によってピンキリであった。大抵の生物は投石すら防ぐことができないのである。それらはある程度生物の体格の大きさに比例していた。体が大きければ、より多くの魔力を溜めることができるためである。
しかしながら例外はあった。人類である。彼らはゾウに劣る体格でありながら、防壁の堅牢さはゾウをも凌ぐ。これによりこの地上の人類たちは血を覆い尽くすほどの繁栄を遂げたのだが、なぜそれほどの魔力を発揮できるかは大いに謎であった。
聖暦六九八年、人類を凌ぐ防壁が形成可能な生物が発見された。人間に対して勝るのは強度のみで、持続性など他の点で比較すれば人類が勝る点の方が多いが、それでも短期的な出力では人類を上回る生物の存在は人類に大きな衝撃を与えた。
その生物とは神聖帝国の海外領サザンアルビオン沖に浮かぶ孤島に生息するカニの仲間だった。このカニの成体は陸棲に適応しており、なおかつ当時から現在に至るまで、陸棲のカニとしては最大種としても知られている。
カニが人類の出力を上回ったことは更なる衝撃を人類に与えた。カニは哺乳類のような「高度で複雑な」生物ではなく、「下等で単純な」生物であったためである。彼らのそれまでの常識では、防壁の強度は高度な知能によって支えられていることとされており、もし人類を超える魔力を持つ存在が現れるとしても、それはゾウやクジラよりも巨大な哺乳類であると考えられていたのである。ところが知能では明らかに劣る甲殻類が人類を上回る数値を出したのである。人類は防壁の強度とは頭脳ではなく他の要因によるものであるという認識を改めなければならなかった。
改めて研究がなされたところ、大地と二つ以上の離れた場所に接地する面を持ち、逆に大地から離れた部分の内臓に魔力を溜め込むことができ、そして魔力を発する二つの器官を持っていることが防壁形成に対して有利であることが明らかになった。
要約すれば、一対以上の足を持ち、胴体は地面から離れた高いところにあり、そして魔力を発揮する一対の腕を持つことである。クジラには足がなく、ゾウには二対の足こそあれ、魔力を発揮するための腕を持たない。またカニの出力が人類を上回ったのはそれぞれ独立した接地面を八つも持つためであり、持続性が低いのは体格の小ささ故に魔力の貯蔵量が少ないためであった。
鉄騎はそのような状況の中で生まれた。聖暦七〇七年、神聖帝国の秘密兵器、
とは言え機械トラブルから戦局を変えるには至らず、しかしながら獅子奮迅の活躍から各国が鉄騎の開発に乗り出した。翌七〇八年、最終戦争の末期にはアレマン帝国領のアルトリンゲン(現在のリリス共和国領ローザス)にて生起した戦いでは神聖帝国軍の鉄騎七四一騎と共和国軍の鉄騎三八二騎がアレマン帝国軍の鉄騎八二四騎が激突し、戦場の王としての地位を確固たる物へと変えたのである。
その圧倒的優位性に一矢報いる兵器こそ、メッサーであった。メッサーは特殊な魔力により防壁を無力化することが可能であり、また鉄騎の本体は装甲が貼られていないため僅かな炸薬量で破壊できる。
はただし魔力の消費量が著しいため、防壁が無力化可能な魔法は時限信管により作動する方式を取っており、発射から〇・四秒後に信管が作動し、魔法が展開され〇・二秒には魔力を使い切ってただ速度が遅く、軽い上に炸薬量が小さな砲弾となる。また〇・四秒以前に着弾しても跳ね返されるばかりである。
今回の場合は後者であった。鉄騎によって展開された防壁に弾かれて十二発全てが明後日の方向で起爆したのである。
人狼たちは勝ち誇り遠吠えなどを挙げるものもいた。そこへ無慈悲な火箭によって磔にされたかと思うと勢いそのままに後方へと斃れて動かなくなる。
またある者は圧倒的な暴力の塊に腹部を消失させられて、上半身が下半身との係累を失い空中に投げ出されていた。これは対鉄騎用に用いられる一五・二センチ砲によるものだった。ようやく人狼たちは形勢が逆転された事を悟った。
否、これまで奇襲で辛うじて形成を有利にしていただけである。脚部を失い、もはや満身創痍と言い表すことすらできないこの鉄騎にすらも人狼は敵わない。
また一つパパパッと機関銃の音が響く。今度はそれは見えない壁に阻まれた。人狼による防壁が機銃掃射を防ぎ、跳弾した弾が四方八方へと飛んでいく。だが、それまでであった。鉄騎は機械的に機銃を更に連射すると、防壁は白く濁り始め、かと思えば消滅した。かくして火箭は人狼を貫くのである。
あるいはもう一体は展開した防壁ごと一五・二センチ砲弾によって呆気なくつらぬかれていた。主砲口径六インチ、砲弾重量約五十キログラムの金属の塊が音速の三倍を越える速度で飛翔するそれを、防ぐ術などなかった。
最後の一体が火箭に貫かれた時、もう一体の人狼が左腕を構えていた。黒っぽい毛並みの人狼の中でも一際黒く艶やかな毛並みの人狼だった。
八体目の強化人狼、ヴォルフ━━ヴォルフガング・エグゼコフである。彼は撤収する際に変身時間が解けた仲間を連れて撤収する役割を持っていた。
今現在、その必要はない。七体の人狼は既に息絶えていた。
ヴォルフの耳が物音を拾う。彼の体の右側方からだった。ちょうど火災の火を浴びていたはずの鉄騎が炎を滴らせながら立ち上がったのである。
「俺たちの戦果は高々三騎の鉄騎だったってことかよ」
呟きながら、ヴォルフは防壁を展開した。夜の闇を切り裂く連続した閃光と、飛び交う火箭、そして後からやってくる暴力的な風切り音の本流が彼を包む。
「ハハッ、綺麗だなぁ」
半ばやけなのか、ヴォルフは笑っていた。
やがて防壁は砕かれ、火箭が彼の首をかすめていった。だがそれだけだった。
「はっ! 弾切れだなあ、そうだろう、ええっ!」
ヴォルフは新たに左腕を構え直した。左の手の甲から生えたメッサーの砲口の先で、鉄騎はゆっくりと対鉄騎用の主砲を向けている。
「距離はギリ適正、これでっ、四騎!」
耳まで裂けた口角が不意に吊り上がる。照準は明らかに彼の方が早い。
彼の耳が捉えたのはぶすぶす、とやけに重たく水分を含んだ音だった。焼けるような痛みと衝撃によろめき、発射されたメッサーははるか手前の地面に頭から突っ込み、それから地面を跳ねて爆発した。
斃れゆく人狼の視界の端にて巨人が立ち上がる。炎に包まれながらも立ち上がり、積もっていた土が炎に包まれながら落ちていく。
「……もう一騎いやがったのか」
落胆と、絶望が入り混じった声で彼はつぶやいた。
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