小アルビオン防衛

「紅茶はいかがです?」

「いただこうかな」


 ウィンストン・ビショップ中尉は、後方から降りてきた声に微笑しながら頷いた。

 狭く暗い室内に計器が所狭しと敷き詰められている中で、箱型の給湯器の中に水を注ぐ。


「ミルクは」

「ありません」

「角砂糖は」

「いくつですか」

「三つ」

「どうぞ、中尉」

「ありがとう」


 狭く蒸し暑い室内に紅茶の香りが充満していく。

 大アルビオン神聖帝国とリリス共和国とを結ぶ街道に面した街、クレイトンという村落のハズレに彼らはいた。一面に続く葡萄畑の中にある街で、到底目的地となるような場所ではない。現在午前二時、運量は七〜八だが西の空からやってくる分厚い雲が月を飲み込もうとしていた。

 ここは主に前線から運び込まれる負傷者や、家を破壊された難民らが船を使って脱出する際の、中継地点の一つであった。また前線が近づいてきたこともあり、五日ほど前から物資の集積所としても利用され始めていた。


「君の腕は確かだよ、カニンガム伍長」

「角砂糖三つも入れておいてですか?」

「賞賛は素直に受け止めるべきだ」


 彼らが守護するのは大アルビオン神聖帝国大陸領小アルビオンだった。

 神聖帝国は大アルビオン島のキャメロットに首都を置く島国ではあったが、大陸側にも領地を持っていた。小アルビオンはその中でも政治的・文化的・軍事的な部分において、最も重要な海外領土であった。


 リリス共和国が軍人皇帝を擁立し、またその名がゴール帝国であった頃、あるいは今より一つと半世紀前の頃、神聖帝国はゴール人の支配に置かれていたこの地を獲得した。

 かつて大陸の一貴族に過ぎなかったアルビオンの帝室が、大陸から排斥されること四世紀。帝室はかつての所領を取り戻したのであった。


 また、この小さな大陸領が陥落すれば大アルビオン島と大陸の間に横たわるアルビオン海峡の南岸の喪失を意味した。その


 聖暦七二九年九月、即ち昨年の晩夏、アレマン人の住む国フェルクス連邦が、東隣に位置するポルシカ共和国への侵攻を開始した。

 それに呼応するかのようにポルシカ共和国の東隣に位置するルテニア帝国も侵攻を開始した。人口三千万を数えるポルシカは、決して小さな国とは言えなかったが、相手は人口六千万を数える連邦と、人口一億二千万と大陸列強随一の人口を誇る大国ルテニアを前に、勇猛果敢に交戦したが、一ヶ月後には地上から消滅した。


 神聖帝国もリリス共和国も、口では強く非難し亡命政府の受け入れも行い、軍も派遣したが実際には交戦は起きず睨み合いの状態が続くばかりだった。終末戦争より二十数年、この頃はまだ、全てが終わり、恒久的な平和を享受できるものだと信じて目を背ける人も多かった。

 年末、ルテニアは北方のノルデン連邦へと侵攻した。


「そういえばここ、増員されるらしいですよ」

「増員……アレか。から撤退した連中が来るのか。所属は?」


 マドブールとはリリス共和国とダッチラント連邦の国境に位置する港町である。

 連邦による共和国への侵攻にて、機動力に優る連邦軍に翻弄された挙句、完全包囲を受けてしまったため官民問わず大量の船舶を用いた大規模な撤退が行われた。命からがら撤退してきた人員がこの大陸領守備のために投入されているのを、彼は見かけていた。


「それが、どうもウチの指揮系統から独立してるらしくて」

「なんだそれ」

「なんでもアルビオン語が通じないせいでウチに組み込めないらしいんですよ」

「外人部隊か」


 ビショップは露骨に嫌な顔をした。言葉や文化の異なる相手が自分の生殺与奪の権利を握るかもしれない可能性が生じることは誰だって嫌に違いなかった。加えて、外人部隊と言えば平和な地域から態々戦地へと向かう物好きな人間である。奇特である分には問題ないが、大抵の場合それは正気度と勇猛さはトレードオフの関係にある。勇猛なだけの人間は、かえって臆病な人間以上のお荷物だ。


「いずれにしても、歩兵がいくらいても無駄さ」

「それが鉄騎部隊らしく。一個小隊ですが」

「外人部隊が鉄騎を? ヴェスペシアか?」

「共和国です」


 カニンガムは共和国とだけ言ったが、通常これはリリス共和国を指す。リリス共和国は現状七つの列強の中でも最も古い民主共和政の歴史を持ち、特に断りがなく共和国という単語が出てきた場合はほぼリリス共和国のことを指す。


「残党軍か」

「正確にはリリス解放戦線を名乗ってはいるそうですが」

「笑わせるぜ。残党軍が一体どこを解放したってんだ」


 あと二十日ばかりでポルシカ侵攻開始より一年が経とうとしていた。

 半年ほど前、連邦軍はノルデン連邦へと侵攻を開始したが、未だ連邦軍の攻勢は衰えることはなく、戦線は後退するばかりだった。連邦軍の敗退らしい敗退と言えば、春に行われたノルデン連邦への上陸作戦失敗であるが、大陸列強の主戦場は海ではなく陸地である。戦線全体への影響は皆無と言って差し支えなかった。


 逆にこちら側の状況は日を増す毎に苦しくなっていく。今や列強で連邦に表立って対抗するのは神聖帝国だけになっていた。

 共和国は一ヶ月前に首都リュテスが陥落したのである。他の列強と言えば、ルテニアは元より連邦側であり、また中立を保っていたサフィール王国もリュテスが陥落する十日前に連邦側で参戦し、共和国の一部地域を併合した。残る列強新大陸の主権強化を図るヴェスペシア星雲国、極東ではルテニアと利権が対立し、幾度か衝突もしている大敷島皇国があったが、両国は連邦に対して中立を保ったままだった。


「さっさと講和してほしいぜ。お上のメンツのために死ぬんじゃ、死んでも死にきれねえ」


 この戦いは負ける。

 そのような空気は、敵と正対する前線において蔓延していた。


「饒舌ですね」

「だろうさ。次の瞬間には死んでるかもしれねえのなら、口も軽くなるってもんだぜ」

「ここは後方ですよ」

「連邦軍の戦術は、強固な場所を迂回して柔らかい場所を叩く機動戦が基本だ」

「こんなとこ落としたって何になるんです」

「戦略目標なんてのは、相手が重要だと考えた場所になる。こちらの価値観で相手は動かないからな」


「で、その残党軍はいつ到着するんだ?」

「夜明け前、とは聞いてますがね」

「俺たちもちょうどその頃交代だったな。見に行くか」


 その時だった。

 スピーカーから割れた雑音が入る。


「なにを」

「しっ」


 ビショップはカニンガムの言葉を遮った。雑音の最中タタタ……と乾いた音が聞こえた気がした。


「敵襲!」


 ビショップがその言葉を無線に伝えた後、警戒を促す不快なアラート音が小さな街に鳴り響いた。俄に無線越しの声が騒がしくなる。


『ビショップ、敵襲だ!』

「分かってる、場所を言え、場所を!」


 すでに顔馴染みとなった通信員に怒号を飛ばしながらビショップはレバーを大きく引いた。ブオン、と一際機械が大きく唸った後、尻を叩くような振動が座席を揺らす。排気筒から吐き出された黒煙が夜の闇に溶けていく。

 月下、巨人たちが目を覚ます。生物にしてはやけに直線的なシルエットだった。いつしか降り出していた小雨に濡れた外板が、雲間から顔を覗かせた月光を照り返す。

 まるで猛獣が唸るように、静かな夜にエンジンの音が高らかに響く。彼らが身動きをするたびに窪みに溜まっていた雨粒が落ちて、濡れた土に吸い込まれていく。

 鉄の騎士の名はリヴェンジ。神聖帝国では脚の数から二脚鉄騎、国際的には比較的小型の鉄騎であることから軽鉄騎に分類される。


『歩哨がやられた、近いぞ!』

「だから場所を言えと」


 その瞬間、バンっと衝撃を伴った音が二人の間に割って入った。ビショップとカニンガムに至っては軽い衝撃を尻越しに感じていた。


「中尉、三番騎が」

「コーウェルか。一番騎より小隊全騎へ、我が方は敵方の奇襲を浮く。敵は対鉄騎兵器を所持した強化人狼と認む。小隊各騎は探照灯による捜索を開始せよ」

『了解!』


 ビショップは一息に言い終えるとティーカップを煽ってぬるい紅茶を飲み干した。

 次の瞬間、モニターの先が明るく照らされ、白く塗りつぶされる。鉄騎の頭部に搭載された光学装置の分解能が、突然現れた膨大な光量を処理できずにホワイトアウトしているのである。それに慣れると、まず最初に目に入ったのはうつ伏せに倒れた鉄騎だった。土にこそ汚れているが、損傷自体は少なく綺麗な状態だった。ただ唯一背中の右側から脇腹にかけてが大きく抉られていた。


「コイツは……」


 ビショップの呟きの最中、ぽんっとどこか間の抜けた異音をスピーカーが拾っていた。

 ひゅるひゅると風切り音が聞こえたかと思うと、周囲に炸裂音が鳴り響き、閃光が小さく瞬いたかと思えば夜の闇と同じ色をした土煙の中に鉄騎たちは呑み込まれていった。

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