第2話

二階の角部屋の開け放した窓から強い光が差し込み、僕の頬をじりじり焼いている。

「あつい。。。。。」

思わず目をしかめて、砂壁に掛けられた古時計を見た。

「まだ五時半かよ。。。。」

昨夜も遅かったので、もっと寝たかったが、驚くほど目は覚めて頭がすっきりとしている。

しばらく仰向けのまま、木張りの天井を眺めた。ところどころ黒い染みがついている。実家の瓦屋根もかなり古い。雨漏りしているのだろうか。しばらくぼうっとした後、ゆっくりと起き上がった。頭がすっきりしている。久しぶりの感覚だ。こうして場所を変える、ということは、やはり正解だったのかもしれない。


スーツケースに適当に放り込まれて皺のついたTシャツに着替えて、ジーンズをはいた。

キシキシと不安定な音を立てる階段を下りながら一階に降りると、野菜が茹でられる  

香りが鼻をくすぐった。

こんな早朝だと言うのに、母は既に花柄のエプロンを巻き、忙しそうに古い台所を行き来しながら朝食の準備をしている。隙間風などで朝晩冷え込む古民家は寝泊りには厳しいとのことで、同じ敷地内に新築を建てた両親だが、やはりこの古くて趣のある日本家屋に愛着があり、一日の半分はここで過ごしているそうだ。

「おはよ。」

声をかけると、母はピタリと動作を止めて振り返った。目が真ん丸だ。久しぶりに見た母の顔は以前よりも皺が増えている気がした。

「あー。。。びっくりした。結太郎か。どうしたの、あんた。こんなに朝早く。いつもなら九時過ぎたって降りてこないのに。」おたまから、ポタポタと味噌汁の汁が垂れて床を汚している。

「なんか目が覚めちゃったんだよ。もう朝飯出来ている?」

「まだ出来て無いよ。もうちょっとかかるから。縁側でゴロゴロしていて。」


母は一体何時に起きるのだろうか?ひとまず洗面所に行き、ぼさぼさの髪の毛を整える。歯もいつもの倍の時間をかけて磨いた。鏡に映る自分の顔は、やはりここ半年の疲れの色濃

く残っている。まだ二十代だというのに目の下にはくまがはっきり見える。

 軽くため息を吐いてから首を振り、台所に戻った。冷蔵庫の中を見回してトマトジュールの缶をつかんだ。「ねぇ、ちょっと朝飯前に散歩行ってくるね。」

母は包丁で大根を千切りにする手を止めると、ゆっくりと振り返った。息子の口から「散歩に行ってくる」という言葉を聞くのは初めてだろう。でも母は驚く顔は見せず、ゆっくりと笑顔で頷く。

「行ってらっしゃい。気持ちがいいよ。里山の朝の散歩は。」

「うん。ちょっと休んだら行ってくる。」

縁側に腰かけ、冷たいトマトジュースを一気に喉に流し込むと、体の隅々まですっきりと目が覚めてくる。しばらくぼうっとして目の前に広がる庭と里山の風景を眺めた。

 子供の頃からここから見える景色が好きで、よく縁側に寝転がって本を読んでいた。五分ほど景色を堪能してから立ち上がった。


建付けの悪くなった玄関の引き戸をこじ開けて、よく手入がされた庭に出た。まだ朝の六時だというのに、日差しが強く思わず目を顰めたが、空気は柔らかく、頬を撫でる風は草と土の匂いがする。目黒区の自宅周辺のそれとは、まったく別の物質で構成されているのでは無いか、という気さえしていた。

 急こう配の坂の上から、集落を眺めた。

山間部の朝晩は想像以上に冷え込むことがあるが、その凛とした空気が何ともいえなく気持ち良く、僕の身体と脳を満たしていく。

 一度、玄関に戻って薄手のパーカーを羽織ると、僕は美味しい空気を胸いっぱいに吸い込み、東京に居た時よりも何倍も軽く感じるスニーカーで庭の土を踏みしめた。

 石垣で押し固められた急こう配の坂を下り、曲がりくねる人幅ほどの細い道を進んだ。


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